情報・コミュニケーション依存症。

可処分所得という言葉は、住宅ローン・家賃・水道光熱費などを

差し引いた残りの自由になるお金を指していますが、

昨今はこれにスマホやプロバイダ料金も当然のように含まれる

ようになっており、毎月二万円位は払っているそうです。 

昔の暇つぶしは麻雀や読書や映画でしたが、

昨今の若者は酒も飲まず車にも興味が薄く、今は電車や

バスの中では多くの人がスマホを見るようになり、

もう暇つぶしというよりは情報端末を忘れたら人と繋がっていない

漠然とした焦燥感を覚えるほどに現代人の必需品になっている

ように思います。 

交通機関内でもぼんやり景色を眺めている人など絶滅危惧種で、

暇つぶしに喫茶店で過ごしたり本屋で立ち読みしたりする人も

減ったので店舗は廃業が続き激減しています。 

暇つぶしに映画館に入るなどの習慣もなくなり、

情報ツールで得た映画を見るのもビデオやオンデマンドなどによる

自宅で見る時代になったので町の映画館も激減しました。 

音楽なども情報ツールを介した配信の時代ですので

CDの売り上げも激減で、買物も含めて日常生活の全てが

情報端末を使用した時代になっております。 

このような変化は情報ツールの商品を作っている企業より、

情報を仲介しているコミュニケーション企業の方が

見えない形で社会を支配している状態になっており、収集した

個人情報をもとに個人の嗜好や趣味や癖を分析し売買しており、

個人の日常生活を間接・遠隔的に支配するようになっています。 

私はしませんがSNSの発達は事件や犯罪の温床に

繋がっているだけでなく、裏サイトによる新種の犯罪も表面化し

始めており、まだまだこれからも情報端末を使用した

新種の犯罪は増えて行くと思います。 

日常生活でこれらの情報端末を使用する便利さの誘惑には

勝てないと思われるので、使用による人間の身体や脳に及ぼす

影響などはこれから明らかになってくると思うのですが、

格差が拡大する中で毎月二万円位という経済的な負担問題も含め、情報提供・仲介者による経済的な搾取が更に進行し、更なる

格差拡大と共に格差の固定化が進行すると感じています。 

企業から支給されているスマホなど、雇い主にはめられた首輪

のように私には感じられて、位置情報なども含めて管理・束縛は

休日にも及んでいるのではないか? と推察します。 

私も娘やごく一部の人とラインをしておりますが、この無料という

誘い水によって急速に普及したラインが及ぼした若年層への

精神的な影響は絶大で、生身の人間的な繋がりによる

葛藤がもたらす成熟を奪い、仮想空間での一方通行の

偽善的な人間関係の増加による未成熟は、他者への配慮だけ

ではなくあらゆる面での想像力欠落に繋がっていると思います。 

実質的な人間の繋がりには色々と面倒が起こりがちですが、

ラインやSNSなどの情報端末を使用した行為は一方通行ですので、過激だったり無責任だったり時間的な配慮を無視したりと、

かなり自己本位で利己的な行為が安易に出来ます。 

その行為は無意識的でも相手を束縛しながら自分の都合で

繋がりたい欲望を満たしている部分もあり、返信が来ないと

『自分の存在を無視された』という被害妄想的な怒りを持つ

傾向などは、幼児期から直に人間との折り合いの付け方を日常的に

学んでいないと抑制できない部分があるのではないかと思います。 

天才の『ひらめき』はぼんやりしている時に起こるそうですが、

情報端末の普及はぼんやりするようなゆとりの時間を

なくなしただけでなく、最近の若者はちょっとしたことでも

スマホで『ググって』ひたすら情報収集に熱心なのですが、

これは脳に知識として定着しない無駄な時間なのは

文章を書くことを生業にしている人に聞くと判ります。 

人との繋がりの中で摩擦が表面化しない情報端末を使用した

一方通行の人間関係と、自分が求める一方通行で集め続ける

情報収集への熱心さを見ていると、私には一種の依存症に

思えて何事も全てに双方向という発想がないのは、摩擦や

生産的な行為のような面倒なことが嫌なんだという考え方が

心の底にあるような気がしています。 

誰もが無意識的に相手を束縛したり攻撃したりするだけでなく、

無責任な感情を自覚せずに他人の不幸を覗き楽しんだりする

ための電子コミュニケーションに結構な月額料金と労力を

浪費しているように私には思えます。 

そしてこの一方通行の一番の問題点は

『自分の頭で思索していない』ことに繋がっていることで、

この習慣は人生における突発的な出来事にぶち当たった時や、

隘路に迷い込んだとき自分の頭で考え決断して突破口を

模索する習慣も失うことに繋がっており、結果として突破しようという

モチベーションを維持できない習慣にも繋がると思います。 

人生の選択と決断は『ググって』も答えがないことの連続で、

年代や状況や相手によっても答えが違い、熟慮を重ねても

決断した時点では正解かどうか? が判らないのが人生です。 

人生のほとんどのことは失敗を経験してから、

『これだったのか?という痛みから学ぶようなことばかりで、

生身の相手との摩擦や経験による生身の情報こそが

第六感という生き残るための感覚を育てているのです。 

何かの本で読んだのですが、アップル創業者の

スティーブ・ジョブズは自分の子供にスマホをある時期まで

与えなかったそうですが、私の想像ですが脳がある程度発達する

まで一方通行の情報収集による、脳の自立思考停止を恐れた

のではないか? と私は想像しました。

脳の機能が成熟するまでは感情や情緒が優先しており、

自分の頭で物事を考え未来志向で状況判断できる段階まで

前頭葉が成熟しないと、与えられた情報自体に

コントロールされ易い脆く危険な状態だから、若年層が

SNS関連の事件などに巻き込まれているのだと思います。

最新脳科学で前頭葉の成熟は三十歳頃まで要すると判って

おりますが、社会や自分自身を俯瞰して眺められるようになる

のはこの頃で、私自身の人生を振り返ってみて頷けます。 

私が娘に携帯を与えたのは十八歳のときでしたが、

どの時期に子供に与えるか? は家庭状況にもよると思いますが、

子供の日頃の些細な判断力を観察しながら脳の成熟度を

見極めることが必要と思います。 

アルコール依存症を経験したコラムニスト小田嶋隆氏の経験談

ですが、幻覚・幻聴などの症状は覚醒剤依存症と似ており、

自分で物事を考えるという脳の機能そのものが壊れたような状態に

なるそうで、脳がまだ成熟していない状況の子供への一方通行の

情報洪水は、情報収集依存症というアルコール・覚醒剤依存症

に似た脳を作り出す危険があるのではないか? と思いながら

私は読んでいました。 

幼少期から高校生位までは余暇を持ち『自分自身を持て余す』

経験をして、何事も自分の頭で思索し自画像を獲得する過程を経て、自分自身の人間性を俯瞰する目が養うことの方が大切です。

それは自分自身を冷静に見つめることができるようになって、

初めて他者を冷静に見極められるようになると思うからです。 

脳が健全に育つ前に一方的な情報に晒され育つと、

情報とコミュニケーションの依存症による自立思考停止症状に陥り

自分に都合の良い情報を信じるという短絡性が起こるから、

援助交際などを含むSNS関連の事件に繋がるように思います。

子供の世界では友達が持つゲームや携帯など持っていないと、

 仲間はずれの感覚を覚えるので規制することの難しさが

 伴いますが、『なぜ駄目なのか?』ということの説明必要で、

 ここでも親子の関係において双方向という子供の意見に

 まず耳を傾けて聞く姿勢が重要になります。 

 それは『あなたがどのような状況を考えて必要なのか?』を

 じっくり聞く姿勢ですが、親は子供を愛するあまり

 『勉強やスポーツやしつけ』など多くのことを要求していますが、

 この行為が実は『あなたのため』という真綿で首をしめる強要

 に繋がっていることをほとんどの親は気が付いていません。 

 これらは子供のためではなく親の欲望であることの方が多く、

 実はこの行為こそ子供の持つ本来の生きる力を奪うことに

 繋がる子供の自尊心を深く傷つけているのです。

 引き籠りの子供達の挫折原因の根幹には、愛に変装した

 親の欲望に逃げ場と自尊心を奪われた心の傷が潜んでいます。 

 子供達の本来持つ能力を最大限に伸ばすための要諦は

 親が子供の人格や自我や人間性を尊重する という敬意を持っ

 て接することで、反対に子供達の生きる意欲を削いでいるもの

 全ては、『私は傷つけられた』という記憶によって起こっています。 

 よく考えると判ると思いますが愛はおおむね束縛に繋がっており、

 傷つけない配慮は必ず敬意に繋がっているから、

 誰でも自分に敬意を払ってくれる人が大好きで、一緒にいて

 安寧の感情を醸成してくれるので、自分に敬意を払ってくれる

 人の言葉には誰でも自然に耳を傾け従うものなのです。 

 逆説的ですが情報とコミュニケーション依存症に陥いる人は、

 孤独な自分を認めたくない本当に孤独な人だから、

 意味もなく他責的な誹謗中傷に走るのだと思います。

 『大人になるということはひとりの時間に適応することで、

 その一人の時間を愛することができれば自分自身を愛する

 ことができる』ようになり、その自覚に確信を持てたとき

 他者への敬意は自然に芽生えてくるのだと思います。

 夫婦も親子も全ての人間関係の潤滑油になっているものは

 愛などではなく敬意で、この他者への敬意さえ身に付けられたら

 あらゆる依存症からも逃れられるような気が私はしています。