私利私欲の蔓延で死語になった憂国。

開業以来通信販売のお客様にお便りを添えているのですが、

いつの間にか『私が感じ知ったことをお伝えしたい』という

気持ちで書くようになり、それをブログに転載しています。

私自身の人生における失敗も含めて、四十六年間の商いを

通じてたくさんの人達の人生の成功や失敗を見つめてきて、

結果には必ず原因があり『ここでこうすれば良いのに』と思うと、

私は店頭でも言いたい衝動を止めることができないので、

かなり厳しいことも平気で言うのは『その人の人生』を思っている

小さな親切と大きなお世話からです。 

手紙も同様で私の伝えたいことや誰もが知っていれば

人生にとって良いと思うことを書き連ねておりますが、

文章にすることは読み手の立場になって思考しないと

理解されないので語彙も含めて私自身の勉強にもなっています。 

私は暇があると本を読んでいるのですが、語彙も含めて

巧みな表現や難解な文章に出会い『なるほど』と思えるものは

記憶をしたり書き留めたりして、私自身の言語や文章として

血肉化したい思いで読んでおります。 

それは語彙の豊富さや巧みさによる適切な表現力こそが

豊かな感情表現に繋がると思うからで、単純な言葉だけで

表現できることは単純な内容で終わるからです。 

若い頃は理解できない難解な文章に苦しんだのですが、

『読書百篇意おのずから通ず』という昔の言葉がありますが本当で、理解できるまでの何とも言えぬ『もどかしさ』に耐える時間は、

赤子が言葉を覚えるまでのもどかしさに似ています。 

そんなもどかしさを積み重ねて様々な人の様々な語彙と表現に

出会い血肉化すると、言語と文章による感情表現も

富裕化するので生きる上での思考も深まると思うのです。

言語とは先祖の人達のものを継承しながら進化してきたのですが、

最近は『うざい』とか『ビミョー』とか『やばい』など短いフレーズが

多く、言語も文章も表現力が貧しくなっているように思います。 

私は孫達と話していても『概念』とか『哲学』など大人の言葉を

日常的に使うのですが、意味を聞かれたら丁寧に説明するのは

孫達の語彙が豊富になれば感情の表現力も豊かになる

思っているからです。 

先日五歳の孫が探し物を手元で見つけた時、

私に『燈台下暗しだったね』と言ったのには驚きましたが、

三年生のお姉ちゃんは知らない言葉を子供用の辞書で調べる

習慣になっており、五歳の妹も大好きなお姉ちゃんと同じ次元で

背伸びしているので語彙も豊富になっているからと思います。 

赤ちゃんが言葉を覚えるとき、最初は意味など知らずに

『ママ』と真似をしているうちに意味を理解するように、

自分に微笑みかけおしめの交換のような様々な不快を

取り除いてくれ優しく抱きしめてくれる人の言葉を真似るという

愛される喜びこそが学びを起動させています。 

私は基本的に言語と文章の学びはミラーニューロン機能の

模倣から始まると思っておりますが、例えて言うと習字の

練習のように最初は手本を下敷きにしてなぞり、

次に横に置き模倣するうちに基本的な筆運びを身に付け、

次第に手本を見なくても基本に沿った整った字が書けるように

なって行くのと同じです。 

絵なども模写から始まり繰り返すうちに、『基本は外れずに

独創的なものを生み出せる人が才能のある人』なのだと思います。 

ピカソは抽象画を描く前に日本の浮世絵を模写し続けたそうで、

同様に言語も文章も先行者の模倣から始まり、良い物を模倣し

続ける繰り返しによって血肉化されると、自分の感情や人間性が

独自の豊かな言語や文章として生み出されるのです。 

文章の場合は定型化された表現をたくさん覚えて行くと、

やがて習字の基本のように定型化された表現が身体化される

のですが、そうするとピカソの抽象画のように一見

破格な文章でも修辞法や論理の統辞法が守られているので、

文章に美しさや鮮やかさがにじみ出るので胸に沁み込むのです。 

私が手紙やブログを書くときなど『漠然とこんなことを書こう』という

主題はあっても、書き始めるまで『どんなものになるのか?』判らず、

間違って保存を忘れたときなどは二度と同じ文章は書けない経験を

何度もしたように、文章とは蓄積したものが湧き出てくる感じです。 

言葉や文章に真に独創的なものなどはなく、全て先行者がいる

言葉の組み合わせをなぞるようにして自分の言葉や文体に

しているのだと私は思っています。 

日本語は漢字の表意文字とひらがなの表音文字と外来語を

カタカナで表現するという特異な形で進化してきましたが、

脳科学的な調査では表意文字と表音文字では

脳の違う場所の二カ所を使用しているそうです。 

中国は表意文字だけ韓国は表意文字を捨てハングルの

表音文字に移行し、英語などは表音文字ですので

日本以外は全て脳の一カ所だけを使用する言語です。 

このような伝統的な言語形態が日本人の識字率の高さに

繋がっているとの説を読んだことがありますが、文化的な独創性や

模倣から応用に繋げる能力の高さなども脳の二カ所を使う

言語形態が関係しているような気が私はしています。 

私が病気後に新聞を取らなくなった理由のひとつが

記事の定型化と語彙の貧困化もあり、昔のような記事を読む中で

学びを起動させられるような言葉が極端に少なくなり、

文章から血肉化された芳醇な滲み出る言葉が失われ

官僚的な文章になってきたことがあり、用法の拡大や言葉や

文章の精密化は確実に劣化しているよう感じていたからです。 

幕末から明治にかけて学問が盛んになった背景には

攘夷思想があり、日本が西洋の植民地にならないための

危機意識が若者たちの学問への強い動機で、西洋思想の

キャッチアップで追い付き追い越せの憂国思想が学ぶ力を

駆動させていたという学問への動機が健全な時代でした。

 現代のように地位や権力や収入を求める自己利益という

 私利私欲のために学問をしていたのではなく、自分自身が

 学んだことを広く国家・国民に伝え働きかけて

 国力を上げるという大義を持っていたと思います。 

 西洋思想のキャッチアップ過程の翻訳作業では、

 日本には存在しない思想言語が沢山あり『哲学』などは

 福沢諭吉がフィロソフィーから造語したそうですが、

 夏目漱石は英語から『青春』を造語し、中江兆民はフランス語・

 森鴎外はドイツ語を短期間に習得して沢山の言葉を日本語訳

 として造語したのも、当時の青年達が西洋に早く追い付かないと

 外国の植民地になるという純粋な国民国家を思う憂国思想から

 学問に励んでいたのだと思います。 

 このように沢山の人達の努力によって言語や文章が豊かに

 なってきた歴史があり、漱石などは東京帝国大学の教師を辞め

 朝日新聞の記者になった動機は、『虞美人草』という物語を

 通じて『人間とはどう生きるべきか』を明治の青年達に伝えたい

 衝動からだったそうです。 

 そのような小説の中で欧米の学問の水準だけでなく、

 西洋の哲学や文学がどのようなものであるのか? 

 をさりげなく判るように刺激を与えることも忘れなかったのは、 

 夏目漱石は公費でイギリス留学を、津田塾大学創始者の

 津田梅子は米国留学でしたが、この頃の人達は自分自身の

 学びは贈与されたものだから、身に付けた学問は社会への

 返礼義務があるという意識が強かったのだと思います。 

 福沢諭吉などは一時明治政府に招かれましたが、

 官僚体制に失望し下野して慶應義塾を創設したのも

 自分の優位な地位よりも、国を救わなければという義務感だったと

 本で読みましたが、このように自身の栄達ではなく憂国思想で

 学問が盛んだったのは日露戦争に勝利するまででした。 

 明治維新後の政府中枢は官軍の長州・薩摩で占められ、

 敗れた賊軍の藩出身者はずーっと蚊帳の外の冷や飯でしたが、

 日露戦争勝利後は軍が力を持つようになり幹部ポストは

 陸海軍大学校の成績順で決められるようになりました。 

 長らく辛酸を舐め続けた賊軍出身者は怨念を晴らすべく

 猛勉強し軍幹部に上り詰め太平洋戦争開戦時の陸海軍幹部は

 ほぼ賊軍出身者で占められてから日本の暴走が始まったのです。 

 これは結果論などではなく、私利私欲や怨念や自身の栄達が

 目的で励む学問には大義がないので国を破滅に追いやる

 結果に繋がっただけなく、最後まで責任逃れに終始したのです。 

 現代社会の学問への動機がこの頃に類似しており、

 能力主義的な思考が内面化されて勝者は努力したから当然で、

 努力せず能力のない弱者に甘んじている人達への

 人間としての尊厳すら認めていない冷たさが感じられます。

 今の若者たちは私達高齢者世代より恵まれていないという

 世代間格差を感じていると思いますが、それならフェアネスを

 求めてなぜ若者達で連帯しないのか? と私は思います。

 自分自身が正当に評価されていない怒りだけでなく、

 世代間不平等の社会的な不備を若者が連帯して叫び、

 選挙で投票行動を起こすという具体的な行動に繋げて

 若者の投票率が急上昇すれば、当選したい利己的な政治家は

 世代間不平等の社会的な不備を是正せざる負えなくなるのです。

 誰もが天賦の才能を持って生まれてくるものではなく、

 天才より凡人のほうが多い世の中ですから、弱者がより弱者を

 イジメるようなマウンティング行為をやめて、負け犬の遠吠えでも

 諦めずに 『一寸の虫にも五分の魂』で連帯することです。

 天賦の才能を持って生まれた者はその才能を自己利益だけでなく

 弱者に甘んじている人達のためにも使うべき公共財産と認識する

 憂国思想を持つ人が増えたとき令和の時代でも維新は起こります。

 学びとは栄達や私利私欲のためではなく、学びを授かった中で

 純粋な知る喜びを広げて行き、利害を超えた何か大きな贈与

 を自覚できた人だけが、社会や次世代の人達への

 返礼義務が沸き起こり憂国的な行動に繋がるのですが、

 そのような人達が増えて欲しいと願っています。

 そのような思想に駆られた昔の人達の言葉や文章には

 胸打つ芳醇なものが溢れ出ていると本を読んでいて感じます。