結婚とは。

未婚者の増加と三組に一組の離婚という現実から結婚とは? 

を私なりに考えてみました。 

人間は生まれると同時に食欲が起動され、思春期には性欲が起こり、大人になるとお金への欲望が起こりますが、今度は高齢と共に

金欲と性欲が衰え食欲がなくなると死を迎えます。 

全ては人間が生きるために必要なものですが、私が思う

結婚とは『ひとりでは生きられない』動物である人間が創造した

子孫存続のために考案した制度だと思います。 

人間は言葉を交わし、愛情を交換し、お金で物を買うという

交換によって生きておりますが、誰でも病気や怪我をして

死に直面するような窮地の時、配偶者や子供や親族が支え

励ましてくれる相互扶助の最小単位が結婚という家族制度

だと私は思っています。 

未婚の増加は格差ですが、これを書くと長くなるので

離婚に至らない結婚生活のあり方について述べてみます。

若さや健康な人間とは傲慢なもので、健康でお金があれば

自由で大概のものはお金で買えますので自由恋愛を楽しみ

愉快に暮らせますが、人は病気や怪我や高齢による

肉体的な弱者を経験するまでお金では買えないものを

思い知ることができないような気がします。

また人間とは不思議な動物で、快楽だけでは本質的な充足感が

満たされないという精神世界を持っており、それは言葉や愛の交換

のような『相手の存在や言葉によって自分の存在を確認する』

という作業なしに生きている実感を持てない不思議さです。

物や人(買春や支配)をお金で買う対価行為の満足と、

愛情や人情による癒しが伴う行為による幸福感は大変な違いで、

人間とは愛情や人情のような無償の贈与行為なしでは生理的に

生きて行けない動物で、結婚や子育てなどの無償の贈与行為に

充実感や喜びすら感じて過ごしています。 

では結婚で失敗しないために具体的に伴侶を決める基準ですが、

決して収入などではなく人間性の共感こそが持続に必要な

唯一無二のものです。 

結婚生活においては数々の障害にも見舞われますが、

その障害を力を合わせ乗り越えるときに必要不可欠なものが

人間性の共感なのです。

二人だけでトラブルに見舞われた時の対処にこそ

一番大切な人間性が出ており、これこそが長く一緒に生活しても

楽しく愉快に過ごせる要素に繋がっているものなのです。 

その対処には二種類あり、突然のトラブルに相手を責めて

他責的に振舞う人か? 相手に文句も言わずトラブルを受け

入れ守ろうと利他的に振舞える人か? の違いが分かれ道で、

突然のトラブル対処法にこそ本来の人間性が表出します。

特に窮地に楽観的な人は好調時に調子に乗らず

『こんなことは続かない』と悲観的に考えられる人なので、

人生の困難を乗り越える確率が高い人ですから、

当然結婚生活は楽しく過ごせる確率が高いと私は思います。 

『成田離婚』という言葉が流行しましたが、

海外旅行などは知らない土地で突然のトラブルが多いからで、

そんな時にきっと配偶者の本性である他責性が剥き出しに

なったことが理由だと私は思っています。 

生涯の伴侶として男を選ぶときは、容姿や収入や家柄などの

ような外見的な幸せの要素を満たしている人ではなく、

誰にでも必ず訪れる困難への耐性の強い男を選択した方が、

楽しい家庭が作れて愉快な人生を過ごせると思います。 

これは女性も同じでトラブルの責任を男のせいにする女性は、

将来家庭に起こりうる困難の全てを生涯必ず夫のせいにします。 

ですから私は結婚前に同棲するか?(日常の素の顔を見る) 

ツアーではない旅行に行くか? することをお勧めします。 

こんなことを言うと女性の貞操観念を問題にしますが、

男も女も貞操観念の大切さは結婚という公的な宣言をした後に

こそ守るべきことで、性癖なども含め生涯を楽しく過ごすための

試金石として必要と私は思っており、昔の夜這いという慣習は

長期的視点で見た人間真理を突いた慣習だったのです。 

結婚とは困難な人生を二人で支え合い乗り切って行くための

生き残り戦略であることを忘れるから、どちらかが病気になった時の

心無い言葉や態度をきっかけなどで離婚に繋がるのです。

離婚による母子・父子家庭が苦労を強いられるのは、

日本では若い片親世帯への社会福祉が充実していない

からで、その家庭の子供達には貧困の連鎖も背負わせており、

離婚率の高さの数だけ辛い思いをしている子供がいます。 

恋愛とは相手がどんな人か? よく判らないけれど好きになり

一緒にいたい、そして相手を知りたい自分を知って欲しいという

錯覚で始まるのですが、結婚生活とは違った文化で育った者

同士が一緒に暮す中で、必ず文化的な違いによる摩擦が

日常的に起こってくる毎日なのです。 

そんな時たとえ収入が多くても他責的な人が伴侶では

傷つくのは当然で、反対に収入が少なくても利他的に

振舞える人なら味わっている辛苦も軽くなると思います。 

結婚生活でもうひとつ大切なことは『自分は伴侶や子供に

必要とされている』という実感が日常生活の中に存在しない

と虚しくなるということです。 

過度に必要とされることは幼児性による依存で苦痛ですが、

夫婦間の相互扶助とは人間的な成熟度の問題でもあり、

この人間的な成熟度こそ利己的・利他的と相関しています。 

私は娘が生まれた時に妻と娘のためなら死ねると思いましたが、

娘が成長するにつれて『この子を社会人にするまで死ねない』

と思うようになり、妻と娘を守るために自分自身を大切にしないと

いけないという責任を自覚するようになりました。 

妻にも私と娘のために健康で過ごして欲しいと願い

水泳を勧めましたが、人間は日常生活の些細な出来事の中で

『自分が欠け甲斐のない存在として扱われているか』を

無意識的に察知しているもので、このことも収入などより

人間の生きる力を削ぐか? 上げるか?に繋がっています。 

特に子供ができるとお互いに義務と責任が増え行動が制約される

上に教育方針の違いによる葛藤も増え、その頃から男には

社会的な責任も増しますので妻への配慮が欠けがちになります。 

しかしこの義務と責任と制約の人間関係の中にこそ、

お互いの人生を豊かにする要素が詰まっており、この葛藤こそが

人間としての成熟に繋がり真の大人へと導くものと思います。 

教育方針などは文化的違いからも当然で、むしろ違う方が

子供が戸惑い葛藤するので子供の成熟に寄与しています。 

私は娘が中学生の時に万引きを勧めたり、

孫にもやってはいけないことを『やったら』と言うのですが、

そんな時娘や孫達は戸惑い思案し『いいの?』という葛藤

表出しており、規制するより成熟への思考に繋がっています。 

独身から結婚すると自由と不自由が入れ替わり、

お互いに今まであった自由がなくなったことを事後的に

自覚するのですが、得た自由を忘れて訪れた不自由を嘆き

不満を言い合うのが常です。 

自分が失ったものがあるなら、伴侶も失ったものがあるのでは? 

という思慮が大人で、その配慮ができると相手も気が付き配慮して

くれ、それが相互扶助である結婚した意義そのものです。 

結婚生活で起こる倦怠期なども原因は相手に起因している

のではなく、実は自分自身の原因による苛立ちによって

起こっていることがほとんどです。 

たとえば仕事や人間関係が上手く行っていない苛立ちを抱え

自分自身に失望している時だったから、配偶者の何気ない

些細な一言や行為に切れてしまい夫婦喧嘩が起きている

場合の方が多いと私は思っています。 

もし自分自身の生活が充実し愉快だったなら、

こんな些細なことで喧嘩し離婚に繋がらなかったと、

振り返り思い出してもらえる離婚経験者がいると思います。 

私の妻も稀に自分自身に苛立って私に当たる事がありましたが、

そんな時は売り言葉に買い言葉ではなく

『お母さん私は褒められると伸びるタイプなので、褒めて!』

肩透かしを食わせましたが、それでも続く時は

『こんな私を選んだあなたにも半分責任がある』と言って

立ち去り妻の内省を期待しました。 

結婚の真価は楽しく上手く行っている時などではなく、

どちらかが不遇な時に相手の『傘』になるという安保条約を

速やかに履行するという配偶者双方の人間性にあるのです。

  そして喧嘩には二種類あり、ただ相手を傷つけるだけの

他責的な喧嘩に終始するものと、お互いの文化的な違いの

穴を埋め相互理解を深めるという将来の平和を維持するための

外交交渉的な喧嘩にとどめる意志を持って望む二種類です。 

一般に喧嘩にはハムラビ法典の『目には目、歯には歯』のような

報復的な要素が絡み合いますが、この法典の意味は

それ以上の報復をしてはいけないという戒めで、怒りや

憎しみによる倍返しを慎む法律なので喧嘩にも適用すべきです。 

人を愛するということは、自分とは違った考え方を持った人や、

自分には理解できない部分や行動の人に対しても

寛容な態度で接して理解しようと努める積み重ねです。 

仕事と結婚は似ていて、ここにいたら自分の生きる力そのものが

削がれ奪われると思ったら離職・離婚すべきですが、

この辛さは自分自身の人間的な成長に必要ではないか? 

と思えたら仕事も結婚も継続すべきものです。 

どちらも続けるべきか? やめるべきか? の葛藤こそが

必ず自分自身の成熟に繋がっていますので、

短絡的に結論を急がず充分に葛藤してから結論を出すことです。 

この結論を急ぎこの判断を間違う人は、人間的な成長の

絶好の機会である葛藤の辛さに耐えられなかった人で、

このような人は離婚や転職を繰り返すと私は思っています。

反対に伴侶による暴力やパワハラや子供への虐待が続くような、

生きる力が奪われるような場所から離脱しない人は、

身体や心を病み取り返しが難しくなり人生が台無しになります。

人生は選択と決断の連続ですが、その決断と選択の正しさは

実はその人の人生における葛藤の数と比例しており、

後悔のない結婚は人生を深く広く豊なものにしてくれます。

私のように老いてくると人は必ず『自分の人生の心の旅』

振り返る場面が訪れますが、そんな時に心を満たすのは

地位や名声を得たことや金銭的な欲望を達成したことなどではなく、

そのようなものを犠牲にしても優先して過ごした夫婦や親子

血の通った貴重な時間だと私は確信しております。

愛する人の欲望を自分の欲望として過ごした時間

愛おしく想い出されると、ひとり身の孤独な日々でも心が和み

思い残すことなく死も豊かな気持ちで迎えられるように思います。

先日も孫達の欲望を満たし続けて楽しい想い出が出来ましたが、

親子の一緒の時間でもせいぜい二十年ですが、

結婚はその倍以上心の旅を共に過ごす運命共同体ですので、

私にとって一番大切なのは妻で次が娘で母はその後でした。

人間性は咄嗟の時と苦難の時とお金が絡んだ時に出ますので、

苦難のときほど伴侶を思いやる気持ちの贈与を続け、

結婚生活を少しでも心豊かな時間にして頂きたいと願い終ります。