学びとは双方向のコミュニケーション。

二年生になった孫が公文学習を始めその問題集の隅に

『ねむい』と書き、学校のテスト用紙の隅に『めんどうくさい』と

書いてあったと娘から聞き私は本当にそうだと思い、その

天然の素直さに感動し将来の人間的な魅力になるのでは? 

と感じて私の長生きの楽しみのひとつになりました。

このような気持ちは勉強をする時に誰でも思う正直な気持ち

でも素直に書けないのですが、ではどこの国でもなぜ勉強

させるのか? というと国民の教育レベルが国力と比例する事と、

個々の人間にとっても生きて行くための選択肢を広げ生き残る

確率を上げる重要な武器になる事と、学校での集団生活を通じて

社会性を獲得させ他者と協調できる人間にするためです。 

知識が役に立つだけでなく知識は知恵に変換できますし、

コミュニケーション能力が付加されると様々な人達との会話の中で、

知識や知恵が『この人と話をしていると楽しい』というような

人間的な繋がりも豊かにしてくれ、経済的だけでなく人間的にも

豊かな人生に繋げる基盤になっているのが学問です。 

しかし『天は二物を与えず』という言葉があるように学問に秀でた

人達の書物を読むと、幼児期からコミュニケーション能力や

運動が苦手な人が多く、人間関係の対応への未熟さや

運動オンチから逃れる手段として勉強に励んだ経緯の人が

多くおり、特に研究者や学者の本を読むと社会性の獲得に

悩み苦しんでいた人達が多くおります。 

勉強ができるということは学校という社会で認められることなので、

自己表現や自己実現の手段として努力で解消できる

有力な方法だったと述べております。 

このような人達は元々活字である本が好きな人が多く、

その勉強法なども理に叶っていて無駄に時間を

費やさないよう効率的に勉強しています。 

たとえば拘束されている授業中に覚えてしまうことを習慣化し、

ノートに取る板書なども教科書に載っていることは省き

『これは』と思うことのみにしたり、テストがあったその日のうちに

間違いをチェックして必ず復習したりするのはテスト中に

考えた記憶が薄れないうちに復習すると、記憶が定着し

長期保存する脳に刻印され効率的だからです。 

人間とは脳の負担を軽くするために嫌なことも含めて

忘れるようにプログラミングされているのですが、

初期の記憶をする海馬から大事な記憶だけを選択し睡眠中に

長期保存の前頭葉に保管するように出来ているのです。 

勉強のほとんどは記憶ですが、すぐ忘れるから語呂合わせを

しますが一番効率的なのは自分なりの物語を作って印象的な

記憶状態にすると忘れる確率が確実に下がり、あとは反復・

継続の努力が記憶定着の常道なのはスポーツでも音楽でも

絵画でも同様で、継続の努力なしで獲得できるものはありません。 

ピアノや運動でも最初は意識を集中して覚えますが、継続すると

自然にできるのは身体が覚えた状態になるからで、

勉強などもできる人達は長期保存の前頭葉に保管する

努力を習慣化しているのです。 

私が孫の宿題に付き合う時なども、ただ見ているのではなく

会話で物語を作り印象的にしてあげると、物語と共に

その時の記憶が浮かぶので楽しく覚えてしまいます。 

天才のような元々頭の良い人は稀で、一般的な頭の良い人達は

自分なりの効率の良い楽をする勉強法を考え出して実践し、

自分の好きなこともしっかり楽しんでおります。 

脳科学者の中野信子氏は子供の頃から本が好きで

親や周りの人達から変な子供と思われ浮いていたそうで、

親から『勉強するな』と言われ続けましたが、東大に入学したら

変な人だらけ安心でき、初めて居心地の良い自分の

居場所を見つけたと思ったそうです。 

中野氏は先天的に欠けていたコミュニケーション能力は

社会に出てから磨いたそうですが、社会性の獲得のほうが大変で

努力が必要だったとも述べています。 

東大を首席で卒業した山口真由氏などは今も他者との

コミュニケーションが苦手で、子供の頃はやはり周りから変な人と

思われ浮いていたそうで、東大に入ってから勉強ができることを

周りが僻まないので、思春期の頃とは違い東大はやはり

居心地が良かったと述べております。 

卒業後は財務官僚になったのですが、二年で辞めたのは

政治家との折衝が苦痛なためで弁護士に転職し、今は人との

接触が少ない企業法務の仕事に満足しているそうです。 

本当は外交官になりたかったのですが、外務省を落ちたのは

面接でコミュニケーション能力が欠けていたからと述懐していました。 中野氏は晩婚で山口氏は未婚ですが、女性が頭が良いと

伴侶に恵まれない傾向があるのは、男はプライドが高く

女性への収入や地位への僻みが強いので伴侶に恵まれる

射程範囲が狭まったためと思います。

こんな事を書いたのは、全てのことは一面だけで見ると

実像が見えなくなると言いたいためで、人は何かを手に入れると

何かを失っていることを知れば、つまらないことで僻まない生活を

送れるのでは? と思うからです。 

仕事なども収入や社会的なステイタスだけで選びがちですが、

自分にストレスになる仕事を続けると病気なるので、

政治家との折衝というコミュニケーションが苦手な山口氏は、

手段である勉強ができたことが転職への選択肢を広げたので、

弁護士への転職に繋がりました。

反対に勉強が苦手だが対人コミュニケーション能力が得意な人は

営業職を選択すれば良く、自分向きの相性の良い楽しいと

思える仕事を選択すれば良いだけです。 

また頭が良いのと人格は別ものであることを知ることで、

兎角人間はバランスが悪く生まれてきていると思った方が良く、

勉強も社会性の獲得も最終目標は『人間になることを学習して

人間になる』ために必須なものが学問と中野氏が

述べていましたが私も本当にそう思います。 

子供時代から異質や異端に思われながら過ごし、

東大で初めて居場所を見つけるまで様々な葛藤を強いられて

手に入れた哲学的な言葉で、この人の本を読んでいると

葛藤を乗り越えた成熟度に心からの敬意を覚えるのは、

知識を知性にまで高めていると感じるからです。

人が生きるということは、いつも誰かと繋がり共感・共有できる

ような居場所を求め続けることで、仕事でも家庭でも

安寧な居場所を見つけることが人間の生きる意味に

繋がっていると私は思っています。 

義務教育は画一的な教育体系ですが、インターネットの出現は

知識偏重の社会のあり方を劇的に変えており、現代は

知識領域のことはスマホがあればどんな情報も手に入れられる

時代になりました。 

知識偏重の画一的な教育体系による勉強の欠点は、

多様な才能を持って生まれて来ている子供達の本当に

良い面(測定不能な能力)を潰している弊害もあります。 

昔は遊びと思われていたスケートボードがオリンピック種目になり、

路上で始まったブレイクダンスなども採用されるそうで

価値観の変容は加速するように思われますが、勉強だけでなく

スポーツもゲームのような遊びに思われるような事においても

継続的な努力は必ず求められます。 

ピアニストなどは一日に何時間も練習しており、一日休むと

取り戻すのに三日かかると言うほどですが、努力継続の原動力は

『これが好きと思える気持ち』だと思います。

好きなことであれば継続することが苦痛ではなく、むしろ出来ない

ことが出来る・知らないことを知る喜びで楽しい気分になるのです。

  好きなことが時代に合致すると収入に結び付きますが、

  収入のためだけに自分の好きなこと以外に進むと生き甲斐

  のような大切なものを失い晩年きっと後悔すると思います。 

  高収入や地位を得ることは人間らしく生きるための大切な手段

  ですが目的などではなく、いつの時代でも後悔のない人生に

  送るためには『人間になる』学びを続けないと、どんなに収入を

  得ても自分の居場所で幸せを獲得できないと思います。 

  何事でも努力を積み重ねる中で自分の心の中も磨くことが

  必要になり、その思考過程で必要な知識や知恵を

  生み出しているのが学問なのだと思います。 

  スポーツやアートやゲームなどのエンターテインメントは

  人工知能で代替できないですが、これからのAIの進歩次第では

  医師のような知的職業も危機を迎えAIで代替可能になり、

  むしろその方が誤診などは減少すると思います。

  最近の傾向で一番心配なことは、若者の知的好奇心が衰え

  学問への意欲を放棄しているように感じることですが、

  勉学の目的が収入だったり、大学などでは進級・卒業の

  単位が取れればよいという無駄な努力を惜しむ傾向など、

  収入のような手段を目的化しているのも、投資に見合う収益を

   求める資本主義的な考えが浸透しているからと思います。

  昔は粋がって難しい本を読む傾向があり、その内容が理解

  できないと恥ずかしいと感じて背伸びしていた時代でしたが、

  貧しさと羞恥心とその背伸びすることが実は学びに通じ、

  結果として人間的な成熟に繋がっていたように思います。

  私のブログも時々難しいことを書いていると言われますが、

  その難しい文章を理解するのは無駄と考え、

  収入に繋がらないからと放棄するから未熟なままで、

  結果として豊かな人生に繋がらないことを知るべきです。

  判らないことを判ろうとすることは『面倒で・眠く』なるのですが、

  判るようになった時の喜びを体感するブレイクスルーが

  人間的な成熟に必ず通じています。

  学びとは教わる相手へ敬意を払い、知っている人からやり方を

  聞くという双方向のコミュニケーション能力にも繋がっており、

  この学びとコミュニケーション能力を放棄することは、最終的には

  低賃金の単純労働に甘んじる自己責任に繋がっているのです。

  スポーツ選手でも一流になった人は、出来ないことを

  出来るようになる努力の苦悩の過程で、人間的な成熟を

  手に入れているから哲学的な言葉が漏れてくるのだと思います。

  孫達には学校で知らない事を知る喜びと、様々な文化的背景の

  友人達との関係性の中で社会性を獲得することが、

  孫達の人生を必ず豊かにすると思い私は見守っております。  

  子供の生きる力を健全に育てるためには、

  幼児期の天然の色を親の見栄で決して矯正しないで、

  子供自身が気が付くまで耐え待って育てるのが良いのでは? 

  という根拠のない自信を私は持っています。 

  やがて成長し知的好奇心が触発され、自分の天然の色に

  好きな新しい色の必要に迫られた時、自ら必要なものを学び

  努力することが孫達の人生を豊かにすると思い願っております。

  学びとは親や教師や社会との双方向のコミュニケーションによる

  『共育』 なのですが、個人のためにも社会のためにも

  現在の大人の持つ価値観を押し付けて矯正せずに、

  個々の子供の個性に敬意を払い尊重して接する方が

  人としては良い花が咲くような気がしています。