薄情もまた情けなり。

私も今年の三月で七十二歳を迎えますが、ここまで長く生きて来て

沢山の人達と出会う中で日々喜怒哀楽を噛み締めて参りました。 

優しい人・自分勝手な人・ずるい人・計算高い人・威張る人など、

人の数だけ様々な人がおり倫理観も違いますが、私自身は基本的

には『騙される勇気がないと良い出会いには恵まれない』

思って過ごして来ましたので、妻には人に裏切られる度にいつも

『小生意気で損な性格だね』と言われておりました。 

特に対人関係においてはいつも相手の未来まで考えて接する

癖が抜けないので、相手のことを思って薄情なことや厳しいことを

平気で言うので嫌われたり憎まれたりすることが多く、私の性格を

一番知っている妻は『あなたの優しさは中々人に理解されない

優しさよ』と褒め慰めてくれました。 

私は若い頃に読んだ本で坂本竜馬の『厚情だけが情けにあらず、

薄情もまた情けなり』の言葉に共感し胸に刺さり、妻や娘だけ

でなく対人関係においても優しくする場合と、相手の成熟を

促すために非情な厳しさで薄情に徹する場合がありますので、

憎まれるほど嫌われることが多くありました。 

長く来店頂いている一部の方達には『最初来た時は二度と来ない』

と思ったと後日言われた人が沢山おりますが、それは私が

たとえお客様でも不遜な人には不遜な態度で接する鏡のように

振る舞うから嫌われるのだと思います。 

一般的にはお金を貰う時に媚びる人ほど、お金を使うときには

不遜な態度で威張る人なので、私が人間性を判断する基準は

お金を稼ぐ金額の多寡ではなく、お金の使い方と使う時の態度

現われていると思っているからです。 

お金を自分に厳しく他者に優しく使っているか? 

物を買い支払う時に威張り不遜な態度をしていないか? 

が目安ですが、私の接客態度に妻は『自分の店だから良いけど

ほとんど癖で直らないね』と笑っていました。 

私が相手のことを思い行っている行為が実は利用されていた

ことなども多々ありましたが、全て人間学の勉強みたいなもの

だったと思っています。 

お客様の中にはあなたの深い好意が誤解されていると忠告して

くれた人も沢山おりましたが、私は居間の壁に額縁に入れ

飾っている言葉を告げ、誤解されても良いんですと言うと

強い人ねと誤解されました。 

それは日経ビジネス誌に載っていたものですが、

日本電産創業者の座右の銘で、その方はロッカーでも

何でも一番という数字を選ぶほど一番になりたいという

執念の人で、現在日本電産は小型モーター製造では

世界シェアーナンバーワンになっています。

その言葉が

 

      狂気を重んじ時流を割拠し

      真の薄情の道を追求する

 

この記事を読んだのは三十七年ほど前で、日本電産はまだ

小型モーターの新興注目企業でしたが、現在は携帯電話の

小型モーターのほとんどに使用されており、その永森重信氏は

友人三人と共に創業し本当に世界一の企業になった

のですから本当に執念の薄情の道を追求した凄い人です。 

私自身は事業を大きくしたいとは思っていなかったのですが、

世間から狂気と思われようが一番になるためにはどんな薄情

と思われることも続ける覚悟に共感したのです。 

私が事業に取り組む姿勢にここまでの覚悟が持てなかったのは、

家族との生活である家計を維持する収入を得る亭主としての役割と夫としての役割と父としての役割の全てを大切にしたいとの

思いの方が強かったからです。 

その三つの役割のうち夫と父としての役割を軽視し、

仕事に埋没し妻や娘との関係の時間を犠牲にするような

薄情の情けを持つほどの勇気が私にはなかったのです。 

平凡でも仕事より家族を優先した人生を選んだのですが、

世間という時流に怯えず流されずに生きる姿勢には心から

共感させられました。 

私はこの頃から人にどう思われるか? などを気に掛けずに

生きることを意識するようになりましたが、永森氏ほど事業拡大

への意欲が強くない小心者の私は特に妻にだけは判っていて

欲しい思いが強く、妻にさえ理解されていれば世間には

どう思われ敵にしても良いと思って暮すようになったのです。 

最近の傾向はこの逆で、表面上は仲良く建前を飾っていますが

陰の本音ではひどい暴言や人を貶めるような行為を平気で

行っている人達が増えたから、誰もが信頼できる人がいない

という不安を抱え生きているのだと思います。 

イジメや鬱病や自殺の増加がその証拠で、心から信頼し

相談できる人がいれば大概のことは乗り越え解決できることで、

そのような人が心に浮かばない孤立感を抱えた人が増えたのです。 また逆説的に考えると薄情の情けが理解できないから、

本当に自分を思ってくれる真の厚い情けを理解できるという

人間的な深みに到らないのだとも思います。 

SNSの投稿などでもそうですが、虚勢を張って自分を良く見せる

ことには熱心ですが、自分の醜さや至らなさを曝け出す勇気がなく、

いつも背伸びをした虚像で暮らしているから人との信頼関係を

構築できないのです。 

現代社会はまるで子供のような承認欲求を求めている大人

多くなり、SNS上では誰もが『いいね』を求め奔走しているように

見えます。 

私自身がここまで来る間には何度も危機がありましたが、

一人の中小企業経営者の方がいつも店に訪れ危機のたびに

アドバイスをしてくれたお陰で現在の私があります。 

バブルの頃その方はニューヨークに出店する野望を私に述べ、

私にも事業拡大を目指せとほぼ毎日のように顔を出して

熱弁を振るい、『金儲けほど楽しいものはない』と言いましたが、

私は上手く行かなければ『金儲けほど悲惨なものはないです』

答え、上手くやるのが手腕だと怒られておりました。

男が金儲けに没頭すると夫婦と親子の時間も奪われますので、

老いた時に金儲けのために失ったものと時間に気が付いた時

には取り返しがきかない無常観に襲われると私は思っていました。

バブル時はその方の事業も右肩上がりでしたが、私はバブルは

はじけ地価は下がりますと反論しましたが、『馬鹿なことを言うな』

いつも一蹴されていました。 

ある時理由を言えというので、少子化による人口減少が最大の

要因で、今の私のような意見は『九九人の気違いの中に

正気の一人がいると、正気が気違いに見える』という

異常な状態だと思いますと答えていました。 

その方は『なるほどもっともらしい』と言いながら、シベリアから

帰還後ずーっと地価上昇と経済成長を見て企業成長を続けて

来たので、私の考え方は非常識だと思ったのです。 

この方とは何事もほぼ考えが一致しておりましたが、もうひとつ

家庭より事業の拡大を目指せという意見にも私は断固として

承服しませんでした。 

その方は永森氏同様に事業拡大こそ男の生き甲斐と言って

いましたが、私は家族こそが生き甲斐と答えると

『高野さんはプチブルだな』と言われましたが、自分でも

小心者のプチブルだと今も思っています。 

それでもその方は私の危機のたびに様々な考え方のヒントを

授けてくれ、いつも親身になって相談に乗ってくれましたので、

ある時『生意気な私に何故親身になってくれるのですか?』

と聞いたら、『あんたは人たらしだ』と言い、男が男に惚れた

のだと言ってくれました。 

今の若い方達には信じられないと思いますが、バブル時代の

日銀プライムレートは七%を越えていて、私が無理やり借りた

借財の総額は年間総売上の倍以上の金額で、私が借りた

ノンバンクの貸出金利は.五%の約一割の金利ですが、

この時代の常識も今だから非常識だと判ることなのです。 

バブル時代の常識に踊って山一證券や拓銀や商社など

多数が倒産したのですが、今では非常識なことが

その時代には全てが常識だったのです。 

正邪必衰の理を現わすという言葉通り、この方の会社も

バブル崩壊後大変になり、高齢と病気や骨折などが重なり

入院生活が続き、度々見舞いに行きましたが亡くなる少し前の

見舞いの時は寝たきり状態で、私に『高野さんと意見が違った

二つともあんたが正しかった。だから俺は帰りたい家にも妻が

帰してくれない』と言われた時は、『すみません』の言葉を

絞り出すのがやっとでした。

科学的なことには必然の理由があるのですが、

歴史的な出来事は偶然の要素の方が強いと私は思っていて、

決して私が正しかったのではなくプチブルが幸いしたのです。

 この方が専務にしていた末弟の甘えに業を煮やし最終手段として

 薄情の情けに徹し解任し憎まれていると吐露したことがありましたが、

 私は『厚い情けを掛け続けても甘えから人の痛みを理解

 できない者への最後の思いやりは、相手に憎しみを抱かせる

 ほどの薄情の情け しかないと思いますと答えました。 

 依存や甘えから脱却できない者に最後の底力を発揮させるには、

 強い憎しみを抱かせ報復という醜い目標を与えるしかなく

 こちらの真意は死ぬ迄に判れば良いと思い定める以外ないのです。

 この方のように極寒のシベリア捕虜収容所で人間の弱さや醜さを

 見てきたお話は骨身に沁みましたが、そんな中で毅然と振る舞い

 死んで行った若者の話は感動させられ今でも時々思い出します。

 人間とは不思議なもので、同じ親に育てられても倫理観や

 思想は違っているもので、この方のすぐ下の次男は東大を出て

 その頃大企業の副社長をしておりましたが、早く亡くなった

 父親代わりに兄弟全ての教育をしてくれたこの方を敬愛し

 感謝し続けており、解雇し末弟の生活をこの次男の方に

 頼みその大企業の子会社に就職させています。

 憎しみは巨大なエネルギーを生みますが、何を得ても憎んでいる

 その場所からその人の人生は前に進んでおらず、何を得ても

 最後は虚しさに覆われると私は思っています。

 反対に愛する人や大切な人の為に費やしたエネルギーは、

 たとえ報われなくても自分の人生を他者のために懸命に生きた

 実感があり、この方のように敬愛や感謝を抱いてくれる

 理解者は必ずいますので、心豊かな人生になると思っています。

 私もたとえ自己保身のために薄情にしたと相手に誤解されても、

 『これ以上甘えや依存を許したら駄目になる』と判断したら、

 断ち切られたと思わせるような薄情に徹して相手の怒りを誘う

 ような毒を瞬間的に吐きますが多分癖になっています。

 その毒を『良薬は口に苦し』と理解する人は少数ですが、

 私が闘病中に十五年ぶり届いた若者からの礼状のように、

 社会経験を積み家庭を持ち親となった経験による成熟と共に、

 口に苦かった良薬を理解してくれてお子様との写真を同封して

 くれた人もおります。