退院後一年を経過して。

年末を迎え今年一年を振り返ってみました。

昨年の十一月の半ばに退院し最初は何事も必死の毎日でしたが、

無事一年が経過し現在十二月を迎えられて、改めて振り返ると

感慨深いものを感じております。

帰宅後の最初は階段もすぐ傍のスーパーへ行くのも命がけの

ような気持ちでしたが、娘と婿殿の支えのお陰で朝・晩の

リハビリが継続でき、今は命がけの気分ではなくなり少しずつ

ですが自力で出来ることが増えて来ました。 

退院後ずーっと娘と婿殿の手作りの美味しい夕食のおかずを

届けて頂いたお陰で閉店後の一時間半のリハビリも継続でき

15Kg近く減少した体重も心の籠った手料理のお蔭で元の体重に

戻りましたので、重症だったギランバレー症候群の痺れである

後遺症を残さないようにできそうだと思っています。 

まだ足首から先にしびれは有りますが、リハビリの継続で取り除き

いつか水泳もできるようになろうと目標にしています。  

朝晩のリハビリの継続は、正直に言うと嫌々で始める毎日

でしたが、毎日こんなに長い間差し入れを戴いている労苦に

報いるためには、私が元気になることで応えなければと

後押しされたから継続できたとも思っておりますが、

何事も継続するとしない時は罪悪感すら感じるようになりました。

六ヶ月半もの間寝たきりでも意識だけは覚醒しており、見えるのは

空と雲とカラスだけの間に動かさない関節・筋・腱は固まり、

長年使っていなかった機械のように錆び付き思うように動かず、

筋肉の低下で立つこともできず自分の体ではない感覚でした。 

今まで当たり前のように出来ていた動作を少しずつ出来るように

なろうと、肩甲骨・股関節・膝肘関節・足首間接のリハビリだけで

七十分、下半身・腹筋・腕立て伏せの筋肉トレーニング二十分

が閉店後で、朝はその半分のメニューですが約一年毎日

続けてきても足首の痺れはまだ残っておりますので、

まだ七割ほどの回復だと思っています。 

こんな遅々として進まない状況で娘達の好意に甘えている

自分自身の体に歯痒くなり、十月始め頃には出口の見えない

迷路に入り込み鬱症状を自覚したので考え方を整理しました。 

二人の好意に甘えているから出来る夜のリハビリから早く自立

しなければという焦りの葛藤で、自立を急ぐとリハビリの

時間が少なくなり痺れが後遺症として残るのでは? という

不安との狭間による苦悶ですが、このような行き止まりの状態に

留まっていると人間は必ず鬱に追い込まれます。 

アルツハイマー病は別ですが、老人の多くは鬱から認知症へと

進行しますので危険回避を思案し、今は娘達に甘えても痺れを

含めて完全な状態に近づける為のリハビリを続けるか? 

この状態を受け入れ完全に自立した生活にすべきか? 

どちらが最終的に娘達家族に迷惑をかけず報いる選択なのか? 

を熟慮し、結論は足首の痺れがもう少し取れるまで甘えさせて

貰うことが今までの好意を無駄にしないことだと決断し、娘に

相談し了解を頂いてから鬱症状を解消することができました。 

人間が生きるということは様々な困難を背負って生きることで、

どんな人の人生でもお釈迦様の言葉である『四苦八苦』が

生きている間は誰にでも必ず付き纏います。 

四苦は『生・老・病・死』で、生は生まれる場所や親を選べない

苦しみ、老は老いる苦しみ、病は病気の苦しみ、

死は誰にでも訪れる死を恐れる苦しみです。 

八苦は前の四苦に加えて日常生活で日々味わう四つの苦しみで、

愛する人との別れの苦しみ、恨み憎む人と出会う苦しみ、

求めているものを得られない苦しみ、

自分の心や体が思い通りにならない苦しみの四つです。 

仏教用語ですが誠に的を射ており、私は四苦八苦の全てを

経験しましたが病の最初は中々受け入れられないもので、

病気になったほとんどの人は『なぜ自分が』と思って

しまい受け入れられず、老いなども日常受け入れている

ようで実は受け入れていない人が大勢おります。 

そのような苦しみを乗り越える最善の策は、その苦しみを受け

入れる所から始めないと乗り越えられない矛盾があります。 

四苦八苦の全てはまずその苦しみを受け入れてから

『果たして自分はどのようにすれば良いのか?』という自分への

問いを持つところから始めないと出口に辿りつきません。

私のリハビリへの歩みも自分への問いかけが出発点で、

『なぜ自分が』の答えは『大切な娘達家族ではなくて

自分で良かった』から始まり、思い通りにならない身体を

もう一度思い通りにするように頑張る以外に道はないと

自分を納得させることでした。 

生まれる場所(親)を選べない苦しみは嘆いていても解決せず、

答えは『親は選べないが、どう生きるかは自分が選択できる』

という考え方を持つことで乗り切ってきました。

恨み憎む人と出会う苦しみは嫌な人と会うことで良い人が判り

反面教師にして生きることで少しは人間的に成熟できるのでは?

と考えることにして来ました。 

妻を亡くした時の愛する人との別れの苦しみは

愛する人に出会えて本当に幸せだったと確認したことで、

今はその想い出の時間を振り返りひたすら感謝しております。

求めているものを得られない苦しみや自分の心や体が思い通り

にならない苦しみは私の努力が足りないのではないか? 

私の求めているものが過剰で分不相応なのではないのか? 

を繰り返し内省しながらの人生でした。 

こんな自問自答の繰り返しの人生でしたが、嫌な人がいて良い人

が判るように苦しみがあって喜びの価値が倍増するような部分も

あり、最近は老いの効用なのか? 苦しみを噛み締めることこそが

人間の心を豊かに成熟させるのでは? と考えるようになりました。 

辛い体験が人の痛みや苦しみの理解に繋がり、他者との共感や

厚い情けの交流は生きている喜びだけではなく、自分自身の

存在意義の確認にもなっていたと思います。 

誰かに必要とされる喜びなどもきっと『四苦八苦』を経験しないと、

誰かに必要とされるような人間にはなれないからで、

本質的には邪悪で傲慢なものを持つ人間を矯正させるために

『四苦八苦』は必要なものなのだと最近は思っています。  

こんなふうに考えてリハビリを継続し少しでも早い自立を目指し、

恩返しに娘や婿殿の力になれるようになって、孫達ともっと

たくさん一緒に遊べるようになりたいと思っています。 

今はまだ孫達にも励まされ鍛えられており、三歳の孫は階段では

必ず上から目線で『爺ゆっくりでいいからね』と言葉をかけてくれ、

七歳のお姉ちゃんは私が元気なときからの甘え性なので、おんぶ

や抱っこを時々要求し『これは爺のためのリハビリだからね』

言っていますが、私の体への労りのと励ましの

二人も授けてくれるから頑張って来られたのだと思っています。

孫達は私にはどんな事をしても怒ったり嫌われたりしない

という確信を持っているので、いつも安心して飴の要求と

葛藤し機嫌の悪いときは自我を剥き出しにした鞭を振るい

ますが、私はいつも笑顔で『はい』と答え、言うことを聞いて

くれない時は『お願いでーす』とひたすらお願いし、我が儘が

過ぎる時は『優しくして下さい』とお願いする慈愛で

ひたすら応え続けるように心掛けています。  

約一年を経過し最近思うことは、ほとんどの人が『歳だから』

という言葉で片づけていることも実は逃げで、私どものお客様で

高齢でも元気な人達は『歳だから』と逃げずに日々すべき

役割を果たしていて、使わない機械のように身体を錆び

つかせないような行動を不平を言わずに淡々とこなしている

人達だからこそ元気なのだと思います。 

生きている間は自分に出来ることを続ける意志と意欲を継続

して持つことで、地道な当たり前のことの繰り返しの日常を

当然と受け入れ、その行動ができる喜びを知ることです。

リハビリの病院では下の世話になっている認知症の方達も

おりましたが、逆説的ですが下の世話になっている羞恥心や

苦悩から逃れるために認知したのでは? と私は思いながら、

そこからの脱出のために毎日拷問のような痛みの伴うリハビリに

光明を見出して精を出し続けました。

私も寝たきりの点滴だけで生き長らえた六ヶ月半から、リハビリで

歩けるようになるまでの合計七ヵ月半の間は下の世話になり

ましたが、生きている間は自分で出来ることは自分でする

ことが自分自身の為で、特に下の世話になることは

人間としての尊厳を奪われているような感覚でした。

六ケ月半の点滴だけでも少ないですが排便もあり、後半の三ケ月

ほどは腹圧も落ち肛門の開閉を司る括約筋も衰えて排便できず

摘便(看護師さんが指で掻き出す)の世話になりましたが、

左腹を優しく押しながら苦痛もなく楽にしてくれました。

摘便は末期がんの患者さんが多く経験する処置で、私には

四十代の男のベテラン看護師さんが都合をつけてやってくれた

のですが、この方は寝返りを打てない私の床ずれを防ぐために、

私の体に合うエアーベッドを一日に三度も交換してくれたり、

担当でない時でも二週間に一度の長い点滴針の静脈注射も

痛みなく一度で済ましてくれたりなど、様々な配慮をして頂いた

お陰で床ずれもできずに済み本当にお世話になりました。

私の妻がオムツをしたのは意識を失ってから病院で死を迎える

までの三日間でしたが、私は入棺の前に妻に寄り添い

『人間として女性としての尊厳を守れて良かったね』

心の中で声をかけ、頬ずりをして別れたのは間違いでなかった

と自分自身が経験して思いました。

 人間は何事も経験しないと判らないことがほとんどで、

 特に健康などはその典型で当たり前のことが出来なくなって、

 初めて当たり前のことができる有り難さを思い知るのです。 

 何事においても失うことは一瞬でいつも突然訪れますが、

 取り戻すには長い時間と苦痛が伴いその継続への努力は

 誰かの支えなしにはできないと思い知った経験でした。 

 私の妻が元気な時は『私は今まで病気したことがない』と

 言って病院を拒否していましたが、私が『人は病気になるまで

 病気にならず死ぬまで死なないだけで、誰もが必ず病気になり

 死も訪れるのですよ! と言っても聞き入れてくれず

 突然旅立ってしまいました。

 しかしそれは妻が病気である事実を認め病気と向き合うこと

 への怖れがあったからだったので、それ以上の強制は

 可哀想と思い躊躇したのですが後悔はやはり残っています。

 ですから平穏な毎日に不満を捜すのではなく、日々健康に

 過ごせる事と毎日の暮らしを一緒に支えてくれている人への

 感謝を忘れずに、一日一日を大切にして仲良く過ごすことを

 皆様に心掛けて欲しいと願っております。

 コロナも二年目で大変でしたがウイルスは必ず弱毒化し、

 やがてインフルエンザウイルス薬のように重症化を防ぐ薬も普及

 しますので、基本的な対処をして過敏にならない工夫こそが

 精神衛生的な面で大切と私は思っています。

 少しでも早いコロナの終息を願い、来年は今年よりも

 皆様にとって良い年でありますように願っております。