子供にとっての壁は,親にとっても壁。

人間の人生は様々な壁にぶつかり苦悩の連続なのですが、

親になると自分自身の苦悩だけでなく、子供の苦悩を

見守るしかできない親としての苦悩も増えます

子供を育てる中で経験した一番の苦悩は、金銭的・肉体的

なものより精神的なもので、特に親が手伝い解決して

あげられず見守ることしかできない状況のときで、

娘が成長と共に出会う壁に直面し葛藤しているのを

ただ見守るしかできない時でした。 

最初の壁は年長から幼稚園に入園して一週間過ぎた頃で、

帰宅した時から様子が変でしたが自尊心から理由を言わ

ないので、問い詰めず毎日ドライブに誘い待ち続けました。

十日ほどした頃に『幼稚園は楽しいかい?』と聞くと、

しばらく沈黙の後に『口に泥を入れられている』

言い動揺しましたが、わざと平静を装い『嫌だ』と

手で払えばと告げましたが『言えない』と言うので、

『ではやられていれば』と告げ立ち上がるのを

じっと待ち続けました。 

幼稚園の先生に言わないのは娘自身が解決しないと

トラウマになるからで、年少・年中から一緒の子供達の

中に突然ひとりだけ年長に入った環境の中で、

新参者の娘が萎縮している様子につけ込まれたのです。 

毎日夕方にドライブ(目を合わせずに会話する為)

誘い体の様子も観察してきて、せいぜい口に泥がつく

程度と推察できたので、娘自身が立ち上がり解決して

自信に繋げる方策を思案し続け、親としての心配と

葛藤が半月ほど続き解決策を模索し続けました。 

ある日可愛いのに牙を剥き吠える室内犬を飼っている

お客様が来店した時ひらめき、夕方ベランダに犬を

出しておいて下さいとお願いしました。 

娘をドライブに誘い犬の家につき、ガラス越しにいる

犬を見つけて『可愛い』と言って傍に跳んで行くと

牙を剥き吠えたので驚いて逃げ戻ってきました。 

その後車から夕日を見ながら『あんな小さな可愛い犬

でも本気で怒り牙を剥き吠えると恐かったでしょう』

と言い、『??ちゃんも幼稚園で本気で怒ったら? 

きっと相手も恐いと思うよ!』とだけ告げて帰宅しました。 

翌日も不安な気持ちで送り出し帰宅を待ち続けて

いましたが、幼稚園から意気揚々と帰宅し

『言ってやったさ』と晴々した様子に安堵しましたが、

この間の半月ほど妻と私は生きた心地がしなかった

のを今でも想い出します。 

二度目は新しい環境小学校入学時の半年間も今振り返ると

小さい事ですが色々ありましたが、娘の葛藤を見守り

ながら親としてどうすべきか? を一緒に悩み、

親としてできる事とやってはいけない事を葛藤し続け、

娘と一緒に悩み親として成長させられました。 

子供は成長につれ自分に無く人が持っているものに

憧れ欲望を肥大させたり挫折感を味わったりしますが、

自分に有って人が持ち合わせていないものに気付くのは

少し大人になってからなので、その憧れ・欲求・挫折が

子供を成長させる原動力と思い耳を傾け続けて見守る

ことが親の仕事と、自分に言い聞かせ続けたことが

私自身の親としての学びに繋がっていたと思います。 

私が幼稚園でも小学校でもなるべく娘自身に解決させる

ようにしたのは、子供は成長するほどに親が解決して

やれなくなる事が多くなるからで、何事も子供自身が

選択・決断することを促し見守る以外に自立への

道筋は開けないとの思いからです。 

子供は新しい環境の度に葛藤しストレスへの耐性を

つけて行くのですが、中学一年生の時はクラブ活動の

選択で担任の理不尽な介入に苦しみ助けを求められたので、

予測される担任の報復を説明しても頼むと言われた

ので初めて私が担任の先生と話し解決しました。

その後予想された報復を娘が半年間ほど味わってから

『学校のことは二度とお父さんには頼まない』

言われ頼まなくなりました。

高校では知らない人達ばかりの札幌の開成高校を自分で

選んだのですが、期待した部活に失望し入部せず中々

友人もできず学校に行くのが嫌そうでしたので、

『行きたくなかったら行かなくてもいいんだよ!』

声をかけました。 

娘が『行かなくてもいいの? でも学校に行かないで

私はどうするの?』と聞くので、『学校に行かないなら

働くのさ』と答え、人間は何かしらの役割を背負い

果たして社会と繋がっていないと心が虚しくなり

病んで行くからですと話しました。 

翌日学校から帰宅し『高校をやめて働くのと、

高校・大学を出て働くのは何が違うの?』と聞くので、

『もらえる給料や待遇や仕事内容が違う』と答え

社会の仕組みを説明しました。 

その半月後位に卒業後も続く友人達ができましたが、

その間の葛藤も娘を成長させたと思いますが、

今でもドリカムの歌を聞けばその頃の悶々とした

気持ちを想い出すと私は思っています。 

それは高校入学祝にミニコンポを買ってあげ、その頃

大好きだったドリカムの歌を目覚まし代わりにして

起きていたからです。 

高校生になってからは少しずつ社会を理解し始め、

未熟でも自分なりの人生設計らしきものを持ち始めて

大学の選択に入りましたが、このような目標を持った

頃が親として一番安心できたときでした。 

目標の慶応大学に合格してからは自分の羽で飛び立つ

不安と喜びを感じているようでしたが、何事も想像して

いた夢と現実は違い大学でも友人を作り自分の居場所を

見つけるまで私達はハラハラして見守っておりました。 

半分大人で半分子供の大学生はヒヤヒヤさせられますが、

実は私の友人の兄が慶応大学を退学しその理由を聞き

納得していたので、予防処置に国民金融公庫から

教育ローンを借り入れ妻が入学時に一緒に行き部屋の

全ての家具・家電を娘好みの新品で揃えさせました。 

そして旅立つ前夜封筒に三十万か? 五十万か? 

忘れましたがお金を入れて、『このお金はあなたが

卒業までの間に何か困った時に使いなさい。 

自分のためでも友人のためでもいいから自由に』

と告げて娘に渡しました。 

私立の慶応はお金持ちの子供達が沢山おり、友人の兄は

僻んで背伸びをしているうちにドロップアウト

してしまったのが原因だったからです。 

大学で娘はアカペラサークルに自分の居場所と友人を

見つけてから本当に楽しく過ごしたのですが、その

居場所を確保する間に封筒のお金は一年でなくなった

白状したのは三年生の時でした。 

私は娘が二年生になってから急に二つアルバイトを

始めたと聞いた時に、安全装置のお金が無くなった

のだろうと想像していましたが、何に使ってもいいと

渡したお金なので口出しは慎んでおりました。 

娘が二年生になった頃には様子に安心していましたが、

こちらの方が借金漬けの支払いに追われており、

毎夜仕事をしながらさだまさしの『案山子』を聞き、

娘の安否にひたすら胸を焦がしておりました。  

その歌詞の中の下記の部分に特に共感し四年間を

過ごしておりましたので、今でもこの曲を聞くと

胸が締め付けられるような気持ちになります。

 

元気でいるか 街には慣れたか
友達出来たか 寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る

お前も都会の雪景色の中で
丁度 あの案山子の様に
寂しい思いしてはいないか
体をこわしてはいないか

寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る

 

この心配をしている時も、自分達のお金の苦労などは

苦ではなく娘の体調と楽しく過ごしているか? 

をひたすら心配していたのを想い出します。

次は就職活動の様子を聞いた時で、バブル崩壊後の

氷河期なのに内定を取るために迎合しない姿勢を貫きた

い趣旨の言葉に、『いいですよ! 就職できなかったら

一年位食わしてあげます』と答えました。 

しかし四年生の夏休みには就活を止め帰宅もせず

友人とも会わず部屋に引き篭もり本を読むと電話があり

了承しましたが、心配で丁度あの案山子の様に

彷彿とさせられていた毎日でした。

 しばらく心配で胸を焦がしておりましたが、やはり思い

 を伝えたくて電話し『心や体が病みそうに感じたら、

 大学を辞めてもいいから家に帰って来て下さいね。 

 今あなたが羽を休めて傷を癒す場所は私達の所です』

 と伝えたらホッとして電話を切りましたが、

 妻が『あと少しで卒業なのに大学を辞めていいなんて』

 と怒って大変でした。

 私は子供が悩み葛藤している時に『頑張れ』と言っては

 いけないと思っていて、むしろ逃げ場所を用意して

 あげるのが親の仕事だと思っていたからです。

 本人が頑張りたい時は軽く『頑張れ』とは言いますが、

 辛く苦しい時は逃げ場所を作ってあげるべきなのです。 

 後で娘が私に言ったのですが、あの言葉ですごく楽な

 気持ちになって、その後友人達が娘のアパートに集った

 ときに私が言った『大学を辞めてもいい』という言葉

 を話したら、友人達それぞれの親は何と言うか? 

 自分は卒業証書を貰わずに中退する勇気があるか? 

 などの話で盛り上がったと言っていました。 

 卒業証書という印籠をかざして生きるわけではなく、

 四年間に学んだことは頭に・四年間の様々な経験は

 胸に刻まれており、その学びと経験が未来を切り

 開いて行く力と私は思っていたので、娘が元気でさえ

 あれば大学など辞めてもいいと思ったのです。  

 今娘は孫達の葛藤を見守る道を婿殿と歩んでいますが、

 子育ての基本は子供が新しい環境に進んだ時の半年間

 は特に注意してその葛藤を見守り続けることで、

 いつも逃げ場所として親が待ち構えてい姿勢を

 表現し続けて欲しいと思っています。

 このような安心感を子供に与え続けると、子供は必ず

 人間性を基礎づけている弱さを克服して行き

 柔軟性のある強さを身に付け、巣立ちの時期を迎える

 と肩透かしを食う程いとも簡単に自立して行きます。

 人は傷つきながら心も身体も強くなって行くのですが、

 傷つき葛藤しているとき見守ってくれている人が

 いれば、苦難の困難な道でも向かう勇気が湧くのです。

 親に求めた依存の愛で充分に満たされた子供は、

 たとえ危機でも親という逃げ場所への信頼感があるので

 鮮やかに自立へと旅立ちます。

 こんな事を書いて想い出したのですが、娘が大学生の

 四年間は週に一度くらいの間隔で葉書を出し続けて

 いましたが、何を書いたのか? パソコンにデーターを

 残しておけば良かったと悔やんでいます。

 子供が複数いる方は、子供によってコップ一杯の愛で

 満足する子もいれば、バケツ一杯でも満足しない子も

 おりますので、どんなに大変な時でも求められたら

 ひたすら満足させてあげると、その後の苦労は必ず軽減

 されトータルでは親子双方の一挙両得に繋がります。 

 今の私は娘と婿殿の傘に守られる逆転した立場になり、

 孫達と同次元で会話し遊び労わられている老人で、

 老いては子と孫にも従えを実践しています。