心を病むコロナの長期化。

ひとり身の生活になってから特に気をつけていることは規則

正しい生活を心掛けることですが、それは朝起きて髭剃り・

洗顔後に鏡に向い、洋服を含めて身だしなみを整えることは

心を整えることに繋がっており、一日の仕事への気持ちを

引き締める重要な儀式みたいなものです。 

対面で接客する立場の礼儀みたいなものですが、その部分が

崩れると販売する商品への気配りみたいなものも崩れるような気がしており、服装に配慮してくれた妻を亡くしてからは

家の中も自戒を含め意識的に清潔を心掛けています。 

私自身は私服生活なのですが、警察官・消防士・裁判官など

制服着用を義務付けられている仕事が多いのも、実は制服を

着ることがその仕事への心構えを無意識的に矯正している

部分があると私は思っています。 

特に子供が思春期を迎えると制服を強要するのも、相対的な

評価を気にするこの年齢に私服で登校すると、親の所得差が

服装に出て不必要な文化的な摩擦が起こるからです。 

子供は学校内で相対評価され勉強は自らの努力次第ですが、

豊かさの違いという生まれによるハンディに苛まれると、

そのやり場のない気持ちなどから僻みや嫉妬も生まれ暴力行為やイジメなどの摩擦に繋り易くなるので、相対的な違いを

見えづらくするために制服にしているのだと思います。 

このように服装とは人間の精神に多大な影響を与えるもので、大人の服装には人間性すら表出してしまうものです。 

ひとり身になってからはシンクやガス台が汚れていると料理

もいい加減になると思うので意識的に綺麗にしていますが、

気持ちが落ち込んでいる時はトイレや部屋の掃除や特に

アイロンがけ良く、最初は嫌々ですが綺麗になった状態を

見ると達成感で気持ちが整っています。

これはトイレやワイシャツが綺麗になったことを自らの

報酬と感じて、脳の線条体にドーパミンという快楽物質が

届くので気分が良くなるのだそうです。

ドーパミンは本能を司る中脳から出て大脳基底核の線条体に

届くと快楽を感じるのですが、ここまでは動物にも当て

嵌まるのでカリブ海のリゾート地では野生のサルが観光客の

酒を盗み快楽に溺れている光景をテレビで見ました。 

しかし人間は発達した前頭葉にもドーパミンが届くので

何か良い事をやって学習すると快楽を感じドーパミンが

出ますので、トイレが綺麗になることや何かに挑戦して

成し遂げたとき報酬を得たと感じ快楽を得るのです。 

一般に快楽を食欲・性欲・ゲーム・ドラッグなどの依存症と

して悪の面で捉えがちですが、最新研究では快楽物質

ドーパミンは学習のためにあると結論づけています。 

何か努力して予測以上の結果を得るとドーパミンが出て快楽

を得ますが、実はそれ以上の結果を求め目指すために

快楽物質ドーパミンが存在しているという新学説ですが、

更なる高みを目指す人間だけの特性だと思います。 

こんなことを書いたのはコロナ自粛生活の長期化が、人間

生活に様々な影を落とし鬱症状のドーパミン不足の人

増えていることを最近感じているからです。 

緊急事態宣言の一番の問題は『誰もが日常生活を能動的に

動けなくさせている』ことで、この能動的な動きこそが

ドーパミンを出すのですが、行動を制限し受動的になると

次第に心も受動的になってしまいイライラから不仲や鬱病

認知症などに繋がっているのです。 

一般に人は楽をして優雅な生活をすることを望みますが、

そんな優雅な生活を過ごしたマリー・アントワネット王妃の『退屈が恐い』という言葉は実に的を射ており、私は何事も

ほどほどが良いといつも思っています。 

一時期フランス文化に興味を持ちフランス文学者・鹿島茂氏

の本を読み漁ったのですが、生活の中で何も背負うものが

なく舞踏会が日課の貴族の多くが、精神的退廃に陥り

仮面舞踏会などで性的倒錯など走ったのも『退屈が恐い』

からだと思います。 

コロナは『命が大事か? 経済が大事か?』の二者択一を

迫りましたが、そのふたつに捉われている間にもっと大切な

心が蝕まれ病んでいると私は感じています。

日常の全てが政府や社会からの指示や圧力によって

受動的な行動制限に置かれていることが、実は誰もが

『退屈が恐い』状態に陥ることに繋がっていて、

家庭内に様々な問題を起こしています。

命が大事は勿論ですが、貧困層の人達は毎日の生活の

経済的な問題が死活問題ですので、生活に追われ生きるため

能動的に動いているうちは大丈夫ですが、やがて疲れ果て

諦めが起こるとやはり精神が病んで行く危機が迫ります。 

また高齢者や豊かな人は『命が大事』で日常の動きを半分

止めるという行動を取るのですが、ここでも能動的な動きが

減少し受動的になると気付かないうちに心も受動的・

消極的になってしまい心が病んでしまうのです。 

日本人は昔から『お上の言うことに従順』なのが文化のよう

ですが、狩猟民族的な能動性も大切だと私は思っていて、

命が大事でも心が病んでしまっては生きている意味そのもの

を失ってしまうからです。 

お上の言うことにただ従って受動的になるのではなく、

日常生活では最低限のコロナ対策を取った上で毎日を

能動的に行動する工夫をしないと、一体何が不要不急の

外出なのか? さえも見えなくなってしまいます。 

コロナや社会の目に怯え萎縮してしまうと、人間の本質的な

部分の『何のために生きているのか?』が懐疑的になり

我慢し抑圧する真面目な人は鬱になり、抑圧にイラつく人は

暴力的な虐待やDVに走ってしまうのです。

これらは無意識のうちに引き込まれていますので、

この危険をいつも意識していないと引き込まれます。

意識の世界を支配しているのは無意識の世界ですので、

本能を司る無意識の世界に達成感で快楽物質ドーパミンを

届ける行動を心掛けることが唯一の対策です。 

危機管理とは絶えず状況を俯瞰して見ることですが、

このような時は自分自身をもう一人の自分から冷静に見る

余裕を持たないと、気が付かないうちにコロナ自粛という

激流に流されてしまいます。 

私のリハビリなどもそうですが、何事も最初の嫌な気持ちを

乗り越え少し頑張ってみることで、リハビリの達成感と

その後のビールの報酬がドーパミンを噴出させます。 

子供が大好きなお母さんの嬉しそうな顔を見て、自分も嬉し

くなり共感している時もドーパミンが噴出しています。 

毎日少しでも能動的に振舞うように家事や運動を心掛け、

またポジティブな学習をすることもドーパミンを噴出させて

良いので、私の場合はコロナ禍の影響で暇な時間を埋める為

できない曲をできるようになろうと、ピアノ練習を意識的に

励むようにしています。

コロナの自粛もそうですが、人間はいつも自分が置かれた

状況を疑いもせずに常識として受け入れ生きていますが、

封建時代の侍が庶民を切り捨て御免した常識も、フランス

貴族の退廃的な生活の常識も過ぎ去った時代から見ると

非常識なように、コロナ自粛の波に流されないためには

今の状況を疑ってみることも必要です。 

資本主義社会の弊害は格差だけでなく少子化など至る所に

顕在化しており、現在の雇用制度や税制や社会福祉制度など

の常識は、きっと未来から見た時に非常識だったと思える

部分が沢山あると私は思っています。 

大きな流れの渦中にいると見えなくなる例えですが、

『九十九人の気違いの中に一人の正気がいたら、その中では

 正気が気違いに見える』のが人間の持つ常識の恐さです。 

発明や発見なども常識を疑うところから始まっており、

理屈や論理の辻褄が合わないことを疑い、整合性を求める

ことの到達点が発明や発見に繋がっているのです。 

このドーパミンの働きを述べていた脳科学者は

『ノーベル賞を廃止すると発明の進化は落ちると思う』と

言っていましたが、それは人間とは本能的に報酬が小さい

と努力する意欲が落ちるからです。 

コロナは特に飲食業に自制・自粛を求めていますが、国の

要請による自粛協力金は遅れても税金などの課税には容赦

なく督促状を送っており、営業できない人達には家賃や

住宅ローンの支払いなどもあり、出口が見えない生活への

不安から鬱症状苛まれてしまいます。

たとえ自粛協力金で暮らせていても、生業に精を出せず

ただ待っている生活不安の中では、努力による報酬がない

張りのない生活ですのでドーパミンが出ない『退屈が怖い』

生活が続いています。

鬱病の発症は『自分の報酬に価値を感じられなくなる』

ことが原因で、男は仕事で女性は家事や育児において

自分が認められていないと最初は感じ始めるのですが、

やがて努力に見合わない報酬に辛くなり発症するのです。 

 密を避けろと自粛を求める官僚や声高に叫ぶ報道関係者が

 飲食を伴う会合を行っていたり、総裁選では政治家が会合を

 続けていたりなど、国民に自由を規制している人達の方が

 密になり自由に振舞っている矛盾があります。 

 コロナ自粛長期化で誰もが受動的な対応を迫られています

 ので、日常生活では出来るだけ意識的に達成感という

 心の報酬を得られるような能動的・積極的な行動を取り、

 美味しい物で心にも栄養をあげてドーパミンを噴出させる

 ことが、抑鬱状態を避けるために必要と肝に銘じてお過ごし

 下さい。