勉強より大切な社会性。

もう長い間どこの家庭でも子供に勉強ができることを期待して来ましたが、その為に勉強より大切なことがおろそかになっていたことが弊害になり、引き篭もりやパラサイトなど社会に適合できない若者達を増やして参りました。 

それは遊びから得るという実体験でしか得られない社会性で、様々な文化の家庭で育っている他者との間の取り方や折り合いのつけ方の学びですが、その対処法は相手によって正解が違うので相手の性格や文化的なものを肌で感じ取り対処しなければ嫌な思いや怪我をしてしまいます。 

幼児期に沢山の異質な友人と触れ、自分の家庭とは違う異質な文化の人達に向き合い戸惑いながら、使う言葉や態度や心構えを学ぶ中で身に付ける社会性とは、国よっても違う文化的なものも作用しており、勉強などとはまったく違い他者との摩擦を通じ時間をかけて学んでいる非常に息の長いものなのです。

昔学校で勉強の能力を計るのに知能指数(IQ)というのがありましたが、その計算式は精神年齢を実際の年齢で割り百を掛けた数字でIQが高いほど頭が良いのですが、これは子供にだけ当てはまるものです。 

平均が百ですがアメリカに十歳でIQが百六十七の男の子がおり六年生に飛び級し、十六歳でハーバード大学に入学し卒業後はカリフォルニア大学バークレイ校の助教授になりましたが、数年後に退職してから行方が判らなくなりました。 

実はこの人は約十七年間に渡ってFBIが捜査コードネーム・ユナボマーとして追跡していた連続爆破犯で、死者三人・重軽傷者二十三人以上の犠牲者をもたらした人でした。 

郵送で大学や航空会社に爆発物を送りつけ爆破させていましたが手がかりを残さず、捜査が難航していた時に犯行声明を大手新聞に掲載しろとの要求がありました。

普通は拒否ですが捜査が行き詰まり打開策として一か八かで受諾したところ、送られて来た声明文は論文形式で五十六ページにも及びテクノロジー社会を批判したものでした。

国民から何かしらの情報を募るという見出しをつけて掲載したところ犯人の実弟からこの文章は兄の書く文章に似ているとの通報がありました。 

論文の内容がテクノロジー社会への批判を長々と書いていただけに、本人は人里はなれた山奥で水道・電気も使わず自給自足の生活をしている場所で逮捕されました。 

心理分析の結果は飛び級などによる孤独と孤立が精神を病んだことが原因でしたが、他者との意思疎通である会話が上手くできない社会性欠如が根本原因だったのです。 

一般に大人は何事も飛び抜けることを望みますが、幼少期は何事も同年代と同じ方が安心感を生むもので、飛び抜けて小さいとか大きいとかも子供には劣等感に繋がるように、この犯人にとってはIQが高いことで飛び級にされ、同年代と過ごせず体の大きい人達と過ごすことが苦悩で、会話の話題なども合致せず苦痛だったと述べています。 

身体は子供なのに飛び級で自分より大人の世界に入れられた事による心の屈折を抱えていても親や大人には理解してもらえない、そんな孤立感を味わい抱えながら育っていたら社会性は絶対に獲得できません。

松下幸之助・本田宗一郎は創業し、田中角栄は総理大臣になっておりますが、三人とも中学卒業で社会に出ており苦労の中で身に付けた知恵と限られた知識を駆使し沢山の人達の協力を得たからこそ偉業を成し遂げられたのだと思います。 

社会性とは様々な人達の気持ちを推し測ることができることで、懐が大きい人は家に入った泥棒を改心させたり、敵である者さえ味方にしてしまうような力にも繋がります。 

学問などは大人になってからでも必要な知識を学べますし、学問のある者の協力を得れば済み、事実一流大学卒業者がホンダやパナソニックに沢山入社しており、これなどは知恵と社会性が知識を上回っている証と思います。

勉強とは生きて行くための大切なひとつの手段ですが、目的になってしまうような育て方をしてしまうと悲劇が待っているような気がします。 

コンピュターの進化は人工知能(AI)を生み、その進化は病根の画像と症状や既往症に年齢を入力してAIが診断する方が、やっと医師の国家試験に合格した医師達の診断より正確な時代がもうすぐそこまで来ていると思います。 

その組み合わせ手順の手伝いを人間がすることと、そこに到る創造性は人間しかできませんが、もう記憶する知識はパソコンで検索すればことは足りる時代です。

また心理学者がIQの高さと天才の相関性について追跡調査した結果では、IQの高かった児童は意外と天才にはなっていないそうで、例えばノーベル賞などを取った人達の共通の特徴は諦めない持続力とこだわりへの集中力が飛び抜けていたそうです。

アインシュタインの相対性理論のような発想のひらめきは頭が遊び状態のぼんやりしている時に浮かぶそうで、ニュートンが林檎の落ちたのを見て重力の発想に到ったように心が散歩しているような浮遊状態の方がひらめくそうで、本能の脳幹で感じる情動(感情)が作用しているそうです。 

しかし直感と呼ばれる第六感(シックスセンス)などは別で、例えば将棋のような差し手を選ぶ際の決定は熟慮しても最後は直感で行っているそうで、この直感はひとつの事を反復・継続して取り組んだ成果で、詰め将棋のようなセオリーを頭の中に構造的に創り上げた多くの情報量が有って初めて浮かぶもので、訓練によって鍛えられ蓄えられた無意識領域から選択肢が自動的に浮かぶもので、ひらめきとは違います。

松下幸之助氏の本に『経営判断にはデーターと全く逆の決断も沢山あり、迷った時に私は直感を信じる』と書いていましたが、これも沢山の修羅場を経験したものを積み上げ構造化していないと浮かびません。

脳科学者が調べた頭の良い人の特徴は、脳の神経細胞を繋ぐシナプスの間にあるグリア細胞が多いそうです。 

グリアとは接着剤という意味で、脳ではシナプス同士で情報を伝達していますが、その間を繋ぐようにあるグリア細胞が多いと記憶や学習能力が上がるそうで高等動物ほどグリア細胞が多いそうです。 

逆に記憶や学習能力の低い例ですが、刑務所では大人に使用する偏差知能指数という検査をしていますが、受刑者は一般の人より相対的に偏差知能指数が低く、受刑者の約四分の一が知的障害者と認定されたそうで、特に女性受刑者は男性受刑者よりも低い結果が出ているそうです。 

罪を犯しそうな時のブレーキ機能に知能指数が関係していると考えて良い結果だと思いますが、状況判断とは様々な要因を思案し瞬時に決定することですので、偏差知能指数が低いと感情が優位なままの行動になり犯罪に繋がるのだと思います。 

人間は社会と繋がっていないと不安になり生きられない動物ですので勉強より社会性の獲得の方が大切なのですが、受刑者の偏差知能指数低さの結果から言えることは『知性の劣化が人生の劣化に繋がっている』とも言えると思います。 

昔娘が小学五年生の時に『何のために勉強するの?』と聞いたの時に、アミダクジを書いて下に幸せ・普通・不幸などと書いて順番にやって見せました。 

アミダクジには進むためのルールがあるのですが、この下に行くに従って幸せに進む道筋が見えたらルールを破って方向を変える判断を瞬時にできるようになるために、勉強で複雑な論理思考を鍛えた知性が人生の役に立つと話しました。

 人生は選択の連続で、その時々の曲がり角を間違えないよう

 にするひとつとして学問による知性を構造的に積み上げ磨く

 ことが、集中力と忍耐力育成に繋がり生き抜く上で自分の身

 を守器にり、沢山の友人と遊ぶ中で獲得した社会性

 は選択手を考慮した判断材料になり正しい選択がで

 き幸せにも繋がると子供に判るような言葉で話しました。 

 そして親が責任をとれる子供のうちになるべく沢山の失敗を

 した方が傷が浅く学べ身に付く学びは失敗からしか学べ

 ないので恐れずにたくさん失敗しなさいと話しました。

  また失敗が幸運に繋がっていることもある例として、井上陽

  水歯医者になる為の大学受験に三度失敗した挫折から、

 好きだったギター持ち福岡のライブハウスで歌っている所

 をトされ現在至っています。

 父が炭鉱で歯医者をしていて、父の意向もあったのでしょう

 がきっと本人が望むことで無かったから身が入らなかったこ

 ともあると思いますが、記憶力が良い頭の良さと創造力を

 生むの良さは全く違う回路だと私は思っています。

 人間本人が望むことでないと、その人間の能力は発揮さ

 れないに出来ているのではないか? と思う事と、

 幸運不運に繋がっていたり・不運が幸運に繋がっていたり

 するの人生の皮でもありますが、不運の時にいじけな

  いことがぶことに繋がるから幸運と書き、不運を乗

 り越える努力が幸運引き寄せる秘訣だと思います。

 お金も知性も生きるための大切な手段ですが目的ではなく、

 人間が生きる本当の目的は社会や人との繋がりの中で得る

 温もりこそが幸せを実感できると私は思っています。 

 どんなにお金があり権力を掌握しても、人との温もりなしで

 生きることは心が病むほどに辛いのが人間で、嬉しいとき・ 

 悲しいとき・辛いときに好きな人による癒し慰めなどの

 認満たされた幸福感こそが人間の生きる力に繋がってい

  る私は確信しています。

 このような人間の弱さこそが人間性を基礎づけているもの

 で強さが人間性を基礎づけている人は多分傲慢な人です。

 たじろぎ迷い怖れながらもこれが正しいのかな』という

 不安の伴う選択が人間性の基礎にある人ほど成熟が訪れ

 る私は思っています。 

 最近はリハビリの腕立て伏せ効果もあって、孫に『抱っこし

 てと言われても抱き上げられますが、そんな要求に触れた

 時孫に信頼され必要とされているという喜びを感じて

 いす。

 今小学校に入学した上の孫は、遊びの世界が広がり遊ぶこ

 と楽しくてしょうがないのですが、楽しいだけでなく時

 にき葛藤を抱えながら、遊びの中で家庭という殻の

 外しい世界に触れて、社会の仕組みと自分の立ち位置

 をぶとう社会性を獲得しようとしています。 

 子育て中の人達には、自我に目覚め遊びたい盛りの幼児期

 に行錯誤で獲得する貴重な社会性の重要さを認識し、

 子供親の欲望を取り込ませないように心掛け、かけがい

 の育ての大変な時間を楽しんで欲しと願うのは、

 子供への対処で親として悩み葛藤することが自分自身の

 成熟に必ず繋がっているからです。

 そして全てのことに共通しますが、社会性獲得にも早熟型

 と大器晩成型がありますが、早熟型より戸惑いながら成長

 す大器晩成型の方が懐の大きな人間になり幸せになっ

 てではないか? と私は勝手に想像しています。