マウンティング。

時折報道されるスポーツ指導者による暴力事件は何度明るみに出ても中々無くなりませんが、私は指導者による暴力だけでなく少女への性的なセクハラも明るみに出ないだけで多数あると思っています。 

それは未成熟な年代にとっては誰にも相談できない問題ですし、まして絶対的な立場の指導者には服従することが習慣になっているからで、たとえ親が知ったとしても娘の将来を思うと公表したり訴えたりできない弱い立場に置かれているからです。 

スポーツ業界においては元々権威主義的な構造が存在していることが根にあり、それがパワハラやセクハラだけでなく活動資金流用などが行われている問題もあり、全てのことは上下関係という狭い空間で行われている闇の中なのです。 

少年も少女も指導者が握っている出場権という権力の前では、全ての要求を呑まないと今までの努力が無駄になるということしか目に入らず、自分が置かれている状況を俯瞰して見て対処できるようなことができない年代の弱みに付け込んで起こっているのです。 

パワハラもセクハラも相手の弱みに付け込むという邪悪な人間性のなせることですが、最近は親の方も結果を求めるような傾向があるので、子供は親からの期待と板ばさみ状況に追い込まれるので暴力や性的なハラスメントを告白できないのです。

四月頃の二ユースでEUスポーツ業界の調査で、指導者によるパワハラやセクハラが全体の七割ほどで行われていたという調査結果が報告されたそうです。 

私の知っている人の夫が高校の教師をしていたのですが、教え子との性的な関係で解職になり離婚したのですが、この夫は前の高校でも同じ事件を起こしていたそうです。 

私立高校だったのですが、教師を雇う前になぜ調査をしないのか? 転職者を採用するのに最低限の調査すらしていないのが実態で、同じ過ちの犠牲者になった少女の人生と親御さんの気持ちを思うと防げなかった原因は学校側にもあって怒りを覚えます。 

最近は巧妙化した知能犯が増えており、ロリコン趣味の男が小学校の先生を希望して欲望の機会を伺うという合法的な手段を考える悪知恵の若い教師もいると想像しておいた方が良いと思います。 

新聞などに時折報道される教師の処分広報などを見てもらえば、表沙汰になっただけでも毎年多くの教師が少年・少女への暴力や性的虐待で処分されておりますが、表沙汰にならないものが相当あるから国会で教師による不祥事対処の法制化が進んでいるのだと思います。 

医師や教師を聖域のように見るのは間違いで、逆に普通の人達より社会性に欠ける人が多く、医師なども医療費の不正受給で摘発されている人達が沢山おりますがこれも氷山の一角です。 

日大アメフト部や柔道業界のように表面化したのは一部分で、甲子園出場校などでも闇の部分は多数あると思われますが、それには勝利校へのマスコミによる指導者崇拝報道なども影響しており、現在のマスコミは日和見的で弊害の方が多く、テニスの大阪なおみ選手の取材拒否はマスコミの裏の顔を見ているから起こっていると私は思っています。 

パワハラやセクハラの問題の根にある精神構造は、優越感への誘惑という人間の持つマウンティング志向があり、まるで自分が特別な人間のような錯角を常態化して持っているこのタイプの人間は、自分の行う不正や不純な行為もバレなければ平気という倫理観欠如の人間性なのですが、マスコミも建前は褒め称え立派に振舞っていますが、本音では取材し有名にしてあげているというマウンティング志向があると私は思っています。 

医師や教師や指導者への通俗的な評価を隠れ蓑にして、このようなことを行う人達は家庭内暴力の夫と同様に養育期に親からの承認を受けるという自己肯定感が欠如している人で、その反動で無意識的な支配願望を制御できずマウンティング行為で消化している病的な症状なのです。 

はっきり言うと育ちの中に巣食った病で、たまたま指導者の地位についた幸運を悪用しているのですが、年少者に高圧的な振る舞いをする人達も同様で、幼児期に自己肯定感を親からもらっていない本当は自分自身に自信のない人達が多いのです。 

マウンティングを行う人の手口は、叱る時に『なぜ呼ばれたか判るか?』と質問しますが、答えが『判ります』と答えると『判っていてなぜやった』と叱ります。 

しかし答えが『判りません』と答えると『こんなことも判らないのか』とまた怒ります。

結局どう答えても叱られる、この手法で自分が先手を取って優位に立つ状況を作り逃げ場を奪う常套手段なのです。 

このような人間の闇の行為が公になって不利になると『記憶にない・知らない』という言葉を必ず吐きますが、まるで昨今の政治家や官僚の答弁と一緒で、不正を行う人間の無責任な自己防衛の方法も共通しております。 

このような人間のもうひとつの共通点は、弱者には強権を振るってマウンティング行為をするのですが、自分より強者には迎合や忖度を徹底して行うので強者の保護を受け易いので、この強者の力を背景にして弱いものイジメはエスカレートして行きます。 

日大アメフト監督の場合は日大理事長の保護で、柔道業界では会長の保護が存在しており、官僚の不祥事は総理大臣の保護という癒着構造です。

このような関係には相互利益という補完関係が存在しておりアメリカとイスラエルの関係に似ていて、アメリカの大統領は選挙でユダヤ系からの献金に大きく依存しており、イスラエルはアメリカの武力と国力を背景にパレスチナをイジメています。 

マウンティング行為は人種間にも存在しており、それが日常生活において人種差別として表面化しています。 

アメリカが資本主義と共に成長し豊かになった背景には奴隷制度が大きく寄与しており、アメリカ資本主義の成長の原動力となったのが当時アフリカから奴隷として連れてきた黒人達だったのです。 

極論すると奴隷制度と資本主義がセットになって経済成長したから、アメリカの豊かさが実現されたことは歴史的事実なのです。 

そんな歴史的背景が文化的に人種差別として根強く残っており、白人というだけで黒人や黄色人種を卑下するのですが、人種差別を行う白人達は白人の世界で自己実現できない劣等感が心の奥に存在しており、その反動が見た目で判る歴史的な弱者への暴力やマウンティング行為になっていて、トランプ元大統領の支持者の多くはその種の人達です。 

官僚や警察ではキャリアとノンキャリアに差別に近い区別が歴然とあり、大企業などでは出身大学などで差別に近い区別があり、医師の世界でもマウンティング行為があって忖度できない医師は地方病院に飛ばされています。 

人間性や能力などではなく、むしろ能力と人間性があり人望がある人ほど自信のない上司にとっては嫉妬に近い危険な存在ですのでマウンティング行為を本能的に行ってしまうのです。 

医師や教師の場合は労働環境が悪化していますので、精神的なストレスが重なって弱者へのイジメという消化行動でもありますが、この原因が効率主義の蔓延で企業も含め日本の多くの組織のブラック化にも繋がっております。

 組織の健全性を維持するには、細胞分裂同様に組織の新陳代

 謝を活発にしないといけないのですが、各組織の部下を束ね

 ている人材の人間的な能力が長けていないと腐敗は必ず進

 します。 

  戦争に例えた兵力の逸話があるのですが、同じ百匹で闘うの

 ですが片方は九匹の虎を一匹の羊の小隊長がまとめ十の集

 を作ります。 

  もう一方は九匹の羊を一匹の虎の小隊長がまとめ十の集団

 を作って戦闘を始めると、勝利を収めるのは後者の方という

 兵法の例えです。 

  答えは個々の戦闘能力より、束ねている上司である小隊長

 の戦闘能力が組織を強くするという兵法の極意ですが、今

 の日本の組織はこの部分が歪み濁っているのです。

 現在の日本は アップルCEOだったスティーブジョブスが言

  た『古き者を消し去り、新しい者に道をゆずる』という

 陳代謝が健全に行われず、高齢の経営者や重役がいつまで

 も居座ってる組織だから不健全なパワハラやセクハラ行為

  蔓延に繋がっていると思います。

  組織とは水と同じように、浄化しても循環させないで停滞

 ると濁りすぐに腐敗が始まるものなのです。 

  近代日本でこのような点で組織が健全だった時代は、絶対的

 に不利と言われた日露戦争で勝利した大山巌氏(陸軍総司令

 官)の時代だったと思います。 

  大山は西郷隆盛の従兄弟で『陸の大山・海の東郷』と言われ

 ましたが、戦争中軍議で内紛が起こっても大山のとぼけた一

 言で治まったそうです。 

  維新の大物達の大山評も『郷土薩摩の縁故からの頼みごとも

 断り、私心がなく公平に振舞った』とか『大山に仕えた者

 で、心服せぬ者はいなかった』など、若い時から上司に媚び

 ず親分も子分も持たず、偉人も凡人もまったく差別も区別も

 なく接したそうです。 

  伊藤博文も『大山は人を見て全て任せる』そしてその責任

 を潔く背負うと評しています。 

 このような人を頂点に持つと、組織の新陳代謝は健全に働く

 ので十人を束ねた小隊長の上の中隊長・大隊長への風通しも

 良いので、命令への服従が嫌々ではなく心服して行動してい

 ますので士気が高く戦闘能力が上がったのです。 

  つまりマウンティング行為やパワハラなど存在しないのが

 健全な組織なのですが、それには人格という学問では身に

 けられないものが必要なのです。 

  逆説的に結論を言うと、マウンティング行為やパワハラやセ

 クハラなどを行う者は人格的な欠陥者が行うことなのです

 が、今はそのような人物が組織の上位にいるから日本は衰退

 しているのです。 

  大山以後の日本軍は上官による暴力が横行し敗戦に繋がっ

 のですが、愚者が支配すると負け戦の判断もできず、宣戦

 告もしない卑怯な真珠湾奇襲でも惨めな敗戦でした。 

  司馬遼太郎氏が『この国のかたち』で立てた仮説では明治維

 新以来、日本はおよそ四十年のサイクルで国運の向上と転

 落を繰り返すと予見しましたが、大山率いる日露戦争の勝

 利の驕りからの転落で敗戦を迎え、その後の高度成長後のバ

 ブル崩壊から三十年ですので、予見が当たれば転落はまだ十

 年続くことになりますが、いつの時代も力が正義の驕りが

 組織を澱ませ転落を生み、私心がなく公平な組織は活性化

 され向上が生まれているのです。 

  ちなみに大山の後妻大山捨松(幼名・咲子)も立派な人で、

 十一歳でアメリカ留学し帰国後に大山に何度も求婚され結婚

 し、一緒に留学した津田梅子の津田塾大学創設に尽力し女性

 教育に道筋をつけ、自らは日本初の女性看護師学校を創設

 ています。 

  そして驚くのはこの時代に元老である夫を家では『巌』と呼

 び捨てで呼んでおりましたが、夫婦同列の姿勢が自然で二人

 は終生仲が良かったそうです。 

  過度な資本主義の強者が弱者にマウンティングすることで格

 差を拡大させ多数の貧困者を増やし資本主義は限界を迎えて

 ますが、世界各地でこの弊害を打破しようと『ビジョンハ

 ー』と呼ばれる若者達が登場しております。

  ビジョンハッカーとは『目の前の社会的な課題解決に取り組

 む』だけでなく、その問題を生んでいるシステムや背景の

 原因にも注目し、これまでにないやり方による解決に挑戦し

 ている若者達のことです。 

  日本では貧困の連鎖を断ち切ろうと、貧困層の子供への教育

 塾をシステム化し全国に広げようとしており、持続可能な社

 会への貢献に目覚めた企業に理解を求めて出資を募り奔走

 している人も三十歳です。 

  アフリカで活躍する日本の若者も農業指導と支援でアフリカ

 の人達の生活を自立させる活動を続けていますが、日本の若

 手経営者がその活動に賛同し企業利益を社会還元として億

 単位の資金を寄付しています。 

  私達の時代のようなひたすら自分と自国のためという資本

 主義のエゴと悪害の姿を見てきた今の若者達が、自分自身

 がお金持ちになることより弱者への支援によって得る達成

 感を通じて社会の役に立っているという自己肯定感に生き

 る意味と意義を見出していると語っていました。 

  植民地という弱小国から搾取する帝国主義から、自由競争

 よる公平性を目指した資本主義も結局は個人の弱者から

 搾を続けた結果が世界中の格差社会です。 

  社会の最小単位である家族も組織も社会も同じ人間という平

 等意識を持つことができれば、マウンティング行為はなくな

 り風通しの良い家族・組織・社会になり、その公平さから

 生まれる自発的な活力こそが真の豊かな国創りに繋がるの

 では? と今の私は思いますが、若かった時代の自分の姿を

 振り返ってみると本当に恥ずかしい限りです。