自立。

人間が泣いて生まれる理由としては、母親だけでなく周りの人達の助けを求める為という学説が有力だそうです。 

それは他の哺乳類と比較しても長い依存期間と、母親が難産なので母親以外の他者の援助も必要とするからです。 

女性のお産が他の哺乳類より苦しむようなったのは人間が二足歩行を始めたからで、その後進化の過程で女性の骨盤が男より大きくなってきて少し順応したそうです。 

動物は自分で餌が取れるようになると強制的に自立させられ、親は子孫を増やすために次の子供を作りますが、やがて繁殖を終えるとすぐに死が訪れます。 

人間だけが長い依存期間を必要とし繁殖を終えても三十年位生き続けますが、この長い依存期間の親子関係によって複雑な心理関係が生まれるから精神的病気が増え心理学が発達したのだと思います。 

人間の心理的な一番難しい問題が『精神的な自立』で、依存期間が長いことが親からの精神的な自立を難しくし、そして依存期間が長いことが両親の人間性の影響を強く受けており、また両親が不仲か? 良好か? でも子供の心理状態は全く違ってきます。 

虐待の連鎖などは典型ですが、社会的な動物である人間の自立はもっと複雑に作用しており、親以外の人からの刺激や学びなども関係していますが、この学びの姿勢は個々の人間性と葛藤の大小が大きく作用しています。 

幼児期の子供を持つ親の最初の悩みは保育園や幼稚園に行くようになると子供が泣き離れたがらないことですが、未知の環境への適応は子供にとって最も強いストレスなのですが、成長と共に徐々にストレスへの耐性をつけることは社会性を獲得して行く上で必須なことなのです。 

ここで大切なことは泣くという行為に動揺せずに毅然として突き放すことが肝心で、愛情として親がすべきことは子供が帰宅したら抱いて話を聞いてあげ、立ち向かう心の栄養源になる愛情という滋養をあげることです。 

薄情の情けで突き放す事と、頑張ったご褒美に厚い情けの愛情を与える繰り返しをしながら徐々にストレスへの耐性を身につけてあげるのです。 

新しい環境へのストレスで交感神経が高まり興奮し泣きますが、実は子供は泣くことで副交感神経の方を優位にしてストレスを緩和しており、泣かない子供の方が危険なのです。 

人間が熟睡できないと精神が不安定になるのは、活動している時の交感神経がフル稼動した疲労を睡眠で脳と身体を充分に休息できていないからで、実は睡眠時は副交感神経で最低限の生命維持を行い脳と身体を回復させているのです。 

だから血流も弱く尿も少なくして睡眠を妨げないようにして脳と身体の回復を促していますが、この眠りの神経交換には最低でも十分ほどの時間を要します。 

しかし泣くという行為の神経交換は十秒もあればできるそうで、実に効果的なストレス緩和を子供や女性は本能的にすばやく処置をしているのです。

大人でも泣ける映画を見てから寝ると眠りに入りやすいのは、交感神経から副交感神経に切り替わっているからで、涙を流すと不思議と情緒が安定するのです。 

子供の頃に泣き虫の子供ほど打たれ強い大人になる傾向があるのは、ストレスを上手に緩和しながらストレスへの耐性を強めているからです。 

女性など泣いた後に食欲が旺盛になるように、泣いた子供が保育園や幼稚園で結構楽しく過ごしているのも副交感神経の作用で、泣かない人などは閾値を越えると意外に脆く折れやすいのです。 

人間は長い時間をかけて自立への階段を登るのですが、心理学では『子供は父殺しによって自立する』と言われており、これは精神的な意味の父殺しで親に甘えていたいという自分の弱さや幼さの克服のことで、父親の古い文化を否定して自分自身の新しい文化を創り上げるという心の働きこそが自立だからです。 

特に男の子は父親の抑圧に従うのか? 反抗するのか? という葛藤が重要で、その葛藤こそが人間的な成熟へと繋がっています。

父殺しはフロイトですがユングは母殺しについて述べており、母親の愛情のポジティブな意味は『無条件の愛を与え守ってくれる人』で、ネガティブな意味は『束縛して飲み込んでくる人』と表現しグレイトマザーと呼んでいます。 

つまり精神的な意味での母殺しは自我の自立で、父殺しは親の影響を排除した自分自身の新しい文化を創る自立ということになります。

フロイトの自我についての説を簡単に説明すると、人間には『エス』という本能的な欲求への衝動があり、反対に『超自我』という躾や教育による社会で生きるための倫理観や道徳観という圧力があってエスと対立しますが、そのふたつの調整役を果たすのが『自我』であると述べています。

親や会社に反抗できずに言いなりになって自分の欲求を押さえつけていると心の病になり、自分の欲望のままに生きると社会的不適合者や犯罪者になってしまいます。

自分自身の本当の欲求である心の叫びを自覚し、時と場所を選んで実現へ向け調整するのが自我の役割で、それをバランスよく調整できるようになることが自我の自立です。

幼児のエスは自我の目覚めですが、エスの欲求のいけないことは優しく根気よく教えてあげ、エスの欲求の健全なものは見守り育ててあげると創造性へと繋がっています 

ユング心理学の権威だった河合隼雄さんは『日本の男はみんな少年だ』と言っていましたが、実はマザコンだと言っているのです。 

昔は兄弟が多かったのですが、私共の女性のお客様の多くが『母が死んだ時、男の兄弟はみんなオイオイ泣いていた』と言っており、日本人の男は少年(マザコン)が多いのです。 

これは母親が子供を愛しても、父親のように自立や成熟を求めない永遠に甘えられる存在だったからですが、母から自我の自立ができない未熟な男達は母性の温もりの求め先を上手に妻に移行できないのです。 

このことは土井健郎氏が『甘えの構造』という本でかなり昔に書いていましたが、依存期間の長さが農耕的な文化の中で構造的に沁み込んだもので、狩猟民族の西洋的な文化とは違い自我の自立が難しいのが日本人の特徴だと思います。 

しかし最終的には自立するとは親の有りようや文化的なもののせいではなく子供自身の『内的な成長』によって起こる必然なのだと思うのは、同じ親に育った子供なのに個々の葛藤の多い少ないによって倫理観や人間性が全く違った人間になっていることが証です。 

昔の神話でも現代映画のスターウオーズなどでも父母からの親離れが一人前になることとして描かれているように、長い依存期間が必要な人間にとっては親からの自立こそが永遠のテーマなのだと思います。 

日本人の親離れの難しさの一因には親が子離れをできないこともあって、子供に対して支配的だった親ほど老いると子供に依存し親孝行を求める傾向があります。 

一見矛盾しているようですが支配と依存は弱さの象徴で、このような皮肉は子供の親への姿勢にも現われています。

昔のように子供が多かった時代を詳細に観察すると見えきて、私が三十~四十代頃の大麻は新興住宅地でしたので両親や片親を引き取った人が多かったのですが、その祖父母達が私共のお客様として多数来店しました。 

老人達がここに来た経緯を話す世間話の中で多かったのが、子供達の中で『一番薄情にした子供が親孝行をしてくれる』という言葉を吐露していたことです。 

老いて人生を俯瞰し過ごす中で初めて見えた懺悔的な心境ですが、親を労わるような気持ちが持てる子供は、その育ちの中で親の差別的な薄情を味わいながらも多くの葛藤を経験し成熟できたからで、身体的・経済的な弱者になった親を許し優しくできるのです。 

親が強者の時に反抗した者ほど成熟するのは、強者に従った者より苦悩や葛藤を多く味わうのが必然だったからで、逆に強者の親に従った者ほど親が老いて弱者になると豹変し高圧的な強者として振る舞う傾向があります。 

このような皮肉は老いた親が可愛がった子供に依存しようとすると逃げていくことにもあるのは、甘やかされ葛藤が少ない人は極めて利己的なので親とは愛を享受する対象だが、愛を贈与する対象ではないという甘えの精神構造があるからです。

本当に自立した家庭を持つということは、妻が育った文化と

が育った文化のお互いを尊重し融合させて二人だけの新

い文化を作り上げることで、料理の混ぜ合わせることに例

て英語では『メルティングカルチャー』と表現しています。

どちらの親とも違った二人だけの文化という味わい深い家庭を作り上げるには、様々な調味料がしっかり溶け合ってないとコクのある美味しさにならないように、お互いの個性を生かし合って溶け合うことが必須なのです。

自立は人間関係にも現われており、自立できていない人は自分の思い通りにならない人を憎みますが、自立できている人はそのような人達を憎むのではなく、人間関係で孤立している可愛そうな人と理解し距離を置いて接します。

 私の父も孤立から廻りを巻き込み支配と依存を繰り返し翻弄

 れましたが本当に可愛そうで人でした。

 心理的な自立を果たした人を注意して見ていると必ず言葉や

 行動に出ており、親から真に自立している人は子供や老人の

 ような弱者への思いやりに溢れています。

 しかし高圧的で差別的な強に対しては、日常の言葉や行

 中において『差別に近い区別』で一矢を報ことを誠

 げなくっていて実に痛快です。

 親として子供達を自立へと導く『内的な成長』を促すために

  は飴と鞭が必要、そのどちらを選択するか? は状況と子

 供の性格によっても違うのですが、実は親として選択に迷い

 藤することが必ず人間としての成熟に繋がっています。 

 やがて子供達が自立し又夫婦二人に戻ったら夫婦の絆を再構

 なければならず、『子は鎹(かすがい)』を失っても尚

 お互を必要とし必要とされるためには、若い頃の錯覚の

  から成したへの感謝の愛に移行しないと老後はき

 と辛いものになると私は思っています。

 そして子供の自立と共に忘れてはならない難しいことは、動

 の子離れのように子供の成長と幸せのために親が見事に子

 して見せることです。

 子育てを終えた後の二人の生活を充実させると、私のような

 生の夕暮れ時のひとり生活でも、綺麗な夕焼け景色を眺め

 ると人生を振り返り様々な余韻を与えてくれます。

 ひとり取り残され立ち尽くしながら燃えるような真っ赤な夕

 を見ていると若い頃の無我夢中だった充実した日々を、

 て燃え尽夕闇が迫るとい頃の色褪せた野心と私を置

 き去にして逝た妻をいつも想い出します。