依存症。

都市化と共に地域社会が崩壊している中のコロナ禍で、ひとり身世帯の孤独が孤立へと一段と進み、単身生活のお年寄りの中には鬱から認知症へと進行している人達もいるのでは? と感じております。 

では家族がいると癒し合って暮している家庭なのか? というと不満をぶつけ合っている人達が多くいるから三組に一組が離婚しDV・虐待が増えているのだと思います。 

ひとり身は他者がいないので所属する場所がない孤立の不安と不満ですが、家庭という所属する場所には家族がおりますが、その家族である伴侶や子供への不満があります。 

職場という所属場所においては上司が・人間関係が・待遇がなどと不満がありますが、実はその不満の多い場所に所属しなければ生きていけない自分自身に一番腹が立っている不満ではないか? と私は勝手に推察しています。 

夫婦関係でも親子関係でも職場でも地域社会においても、ここに自分の不満があると言っている人達はきっと外の別な世界にはもっと良い世界があると思っているのでしょうが、そんな夢のような世界などなく全ては一人ひとりの我慢や忍耐を通じて創り上げる以外に道はないのです。 

例えば地域社会の絆などを創り上げるには、異端や異質な人を寛容の精神で容認するところから始めないと駄目なように、まず自我を抑えて相手を受け入れることから始めないと堂々巡りの悪循環に陥るだけです。 

孤立を嘆くなら社会と繋がるために習い事を始めることですが、そこでも自分にとって異端・異質と思える人は必ずおり、ひとまず受け入れる寛容な気持ちを持たないと又不満の堂々巡りに陥る繰り返しです。 

様々な考え方を持つ様々な状況に置かれた人達がいるのが社会で、人間は社会と繋がっていないと生きていけない不思議な動物なのですから、どこかで折り合いをつける寛容の考え方を持たないと堂々巡りの悪循環が続きます。 

自分を受け入れて欲しかったら、まず相手を受け入れることから始めることで、不思議と相手を受け入れようと努めていると自分が受け入れられていたという逆説が起こります。 

問題の根は自分自身の中にあることがほとんどで、子供が自分の思う通りにならない苛立ちの親が多いのですが、テレビに出ている魚君の両親などは変わっている息子を尊重し肯定してそのまま育てたから大学准教授の魚君がいるのです。 

夫婦関係なども男と女では脳の仕組みそのものが違っており、男はいつも目的が先にあって行動しますが、女性は心理的なものが先にあって行動するようにできているので、心理的なものを全く考慮しないでやみくもに行動している男の姿を見ていると時折『馬鹿な不思議な生き物』に見えてしまうのです。

また男はいつも未来を夢見ているのですが、女性は今と過去だけを見ていますので噛み合わないのですが、ここに注意を払っていないから火傷をするのです。 

そして女性が愚痴を言っている時に男は問題解決のための意見を言うのですが、女性は意見など求めておらずただ聞いて欲しいだけなので腹が立って喧嘩になってしまうのです。 

もし子供がおかしいと思ったら育てている自分がおかしいのでは? と疑ってみることで、大概のことは相手を尊重するところから始めると上手く行くようにできており、逆に自我を優先するとこじれてしまうように出来ていますので、何事も遠道を選択した方が近道に通じているという皮肉にできているような気が私はしています。

リハビリの病院に五ヵ月いた時に、窓の外を眺め歯のブラッシングをしながら『早く娑婆に出たいなー』と思っていましたが、家に帰ったら買物をして食事を作り・掃除洗濯・雪はねをしなければなりません。 

病院にいればそれらから解放されてはおりますが、病院の規則に従い起床から食事時間やお風呂など就寝までの全て刑務所のように刑務官の言うことを聞かなければならず、どちらにいても何かしらの不自由を背負って生きなければならないのが生きることです。 

私はそれでも娑婆がいいと思っていたのでリハビリに精を出したのですが、生きるということは何かしらの不自由を背負って生きることが宿命で、自分はどの不自由を背負って生きるか? を哲学し選択することが良く生きることに繋がっています。 

つまり何か自由になるものを手に入れると、別の何かが不自由になるように社会生活はできています。

最近は生涯独身の人達が増えているのですが、これも家族を背負うか? 家族を背負わない代わりに老いて一人身の孤独や孤立を覚悟するか? どっちの道を選択するにしても何かしらの覚悟が必要です。 

私は妻と交際している時に、井上陽水の曲『いつもと違った春』の歌詞に『君が僕を好きになってくれたら、身体を粉にしても心をすり減らしても働くのにー』という部分に共感して歌っていたので、結婚以後は真夜中まで働いていた時も苦痛より充足感で妻との生活を過ごしていました。 

私が何事も全ては生きている間の暇つぶしだと思うのは、有り余るお金があって高級車に乗り好きな時に好きな場所に行き好きな遊びを楽しんで暮したとしても、やがてきっと何も背負うものがない自分自身に虚しさを感じるのではないか? と想像し確信したからです。

有名人がお金持ちになっているのに覚醒剤や麻薬に手を出すのもこれに起因しております。 

少女依存症のロリコンや薬物依存症などは依存の矛盾自体に気が付けないから抜けられないのです。

人間が生きているということは何かしらのエネルギーを放出しないではいられないもので、それゆえに何か好きなものを見つけて夢中になるのですが、その夢中になっているものに取り組んでいる時が心的な内部エネルギーの放出で、その好きなことへの目的が明確で健全であれば充足感を得られますが、不健全であれば充足感が得られないから不純な依存の悪循環に陥っていると私は思っています。 

例として少女依存のロリコンは生きる目的そのものが見つからないために起こる幼児期への退行行為で、薬物依存症は本来の目的を喪失してしまった代わりのエネルギー放出行為ですが、どちらもそんな自分が嫌いで肯定できず別な生き方がしたいのですが、それが見つからないという悪循環に陥って起こるから依存を断ち切れないのです。 

どちらも生きる迷路の中で方向を見失っている逃避行為だとは理解しておりますが、いくら性犯罪や薬物依存で誤魔化しても日常に戻るとまた自己嫌悪が襲ってきますので、その自己嫌悪からの逃避でまた性犯罪や薬物依存を繰り返す泥沼の悪循環に陥るのです。

これほどに生きる目的を失うことは人間にとっては重大なことですが、生きる目的を持つということはその為に何かを背負うことなのですが、その過程で義務と責任を果たさないで目的に到達しても満足できないのは、人間は自分自身を欺くことはできないからです。 

人間が何かに夢中になることの中で、お金儲けは上手く行くと最高に楽しいゲームだと私も思いますが、ここにも落とし穴があり集癖なども薬物依存症に似て恐しいもので、集癖に陥ると手段を選ばずに突き進むのでお金を何に使うのか? という目的自体を喪失し溜め込むこと自体が目的化した集金依存症という病へと進行してしまいます。 

昔のお客様でバブル終焉間際に札幌のビルを七億で売った老婦人がおりましたが、そのビルの借財を返済する若い頃は夫婦で夜遅くまで働いていたので、一人息子はマンションで寂しく両親の帰宅を待っていました。 

その頃に何度も忠告していたのですが、返済が終われば息子にも安泰の生活が与えられると全く聞き入れず、お金儲けが上手く行っている私達に嫉妬しているのでしょうなどと言われたこともありました。 

七億で売却する五~六年前にご主人は亡くなっており、息子は自立してから家には寄り付きませんでしたので、老婦人はお金では埋められない孤立状態に嫌気がさして売却したのです。 

私に『この歳になってお金があっても旅行にも行けず、ひとり身になったら七億も使い道がない。 息子は私を恨んでいて私が死ねば自動的に相続できるので私の死を待っている』と嘆きました。

私は可愛そうですが『何度も忠告したのに聞かなかった自業自得ですよ。親の温もりを息子さんに与えられなかった償いが遺産を渡すことは寂しいでしょうが、それが息子さんにできる最後の愛情と考えたら』と答えたら、『もう二度と来ない』と怒って本当に来ませんでしたが、本当はお茶を買いにきたのではなくやり場のない胸の奥のエネルギーを放出しに私の所に来たのです。

 自由になるお金を手に入れて、初めてそのために失ったもの

 気が付いたのですが、子育てはやり直しができない一回

 きりのチャレンジなのです。 

 子供の記憶は三歳頃から残るようですが、その前も無意識領

 に蓄積されるから『三つ子の魂百まで』の言葉があり、こ

 の時期に受ける愛情の度合いが成人後の他者への愛の深さ

 と情緒の安定度に寄与しています。 

 幼児期はどんなに親にひどい目に遭っても親への愛着を示

 すのは本能で虐待されている幼児などは親をかばうほど

 執着しますが、思春期頃から社会性を獲得し友人の親との

 違いなどで理解が進みます。 

 どんな動物の子供でも親の愛をひたすら求めて成長するので

 が、人間のように成長するに連れて相対評価ができるよう

 になると、親を選べずに生まれ愛を授からなかった自分自身

 の執着を断ち切るために親を憎むことが終着駅にな

 ってまうのです。

 しかししみは取戻せない過去にとどまっていますので、

 愛への渇きが逆に強まり未来へのブレーキになっても人生

 を前に進めるアクセルにはなりません。 

 やがて自分も親になり生計の維持が家族への愛情と認識する

 のですが、仕事と家族への愛情行為の両立の難しさと大変さ

 味わい、憎むことから許すことに繋げられる人はごく少数

 だと思いす。 

 それは家庭内暴力の連鎖のように、いけないと判っていても

 と同じことをしてしまうからで、それは無意識領域に蓄積

 されている憎しみ0.35秒前の決断を促しているからです。

 憎しみを止める手立ては、憎んでいる対象の人を『可愛そう

 な人』だったと理解してあげることです。 

 人間にとって幼児期に授かる愛情は精神の基礎みたいなも

 を造っていて、人生の危機における土壇場の精神力の源に

 なっているのが両親との楽しい想い出だからです。 

 嫌々期なども言葉で言い聞かせるのではなく、しっかり抱き

 め子供の人格を尊重して『??ちゃんお願いね』と言う

 と、意外とく落ち着いてくれますが、感情をぶつけるよう

 な命令口調でったら子供は駄々をこね続けるか? 沈黙す

 るか? ですが、沈黙の忍耐は憎しみに繋がっています。 

 様々な依存症がありますが、それらは幼児期の愛情不足によ

 心の基盤がぜい弱なためで、何か危機に直面したときに

 の基盤の揺らぎで依存が起こっており、の子は母性欠如

 で女の子は父性欠如も関係していると思います。

 様々な人達の人生模様と共に商いを続けてきて思うことは、

 もそうですが人間とはいつも不満を捜し後悔をしながら

 生きている動物なのだと思い知らされています。

 暇つぶしに始めようとしていた電子ピアノが届きましたが、

 一番優しい『さくらさくら』を始めて一週間です。

 右手と左手に分けて練習しているのですが、光ナビで指番号

 知らせてくれるのですが思うようになりません。

 特に左手で三本や四本押さえるのを指示された指で押すのは

 リハビリを越えた大変さで指が攣りそうになります。

 右と左に分けて練習しても大変なので、両手で揃えてでき

 のはいつのことやら? 死を迎えるまで楽しめると思う

 と、非常に安価で息の長い暇つぶしを見つけたと実感して取

 り組んでいます。

 心の隙間を埋めるためには虚しさを呼ぶ快楽に依存する

 ではく、努力や苦悩が伴うことの方が達成した時の充実

 感にがりすので是非とも遠道をお勧めします。