人の不安につけ込む嫌な時代。

閉店後は音楽をかけてリハビリを約一時間半するのですが、夕食時からテレビをつけニュースを見てからBSの映画を捜して見ながら歯のブラッシングを一時間ほどします。 

一年近くも病院生活を過ごしたせいか? どうか判らないのですが、地デジ放送のつまらなさとニュースの同じ繰り返しに飽きれ見る気が起こらず、BSの映画か昔のドラマを見ながらの歯磨きです。 

放送の合間のCMはリモコンで消音にして目を背けるのは、見るのも聞くのも嫌になるほどの詐欺商法ばかりだからです。 

果たして昔のCMはどうだったのか? と想い出すと、単純な商品の紹介や魅力をアピールしていたと思うのですが、最近のCMは不安や欲望を刺激し煽りそこにつけ込んで金儲けを企む慇懃無礼なものばかりです。 

テレビ局もCMスポンサーをネット広告に取られ追い詰められているので、CM料金下落がCMスポンサーの質の下落に繋がり、予算の下落が番組の質の低下に繋がる悪循環になっており、見ているのは今までの習慣で見ていなくてもテレビをつける私達年寄りだけになっているからです。 

そんな事情から年寄りの健康不安を煽り健康食品を売りつけるのですが、これでは医者が関与しない重複服用による副作用疾患に繋がってもその結果は自己責任になり、また全国放送なのに先着百名様への特別価格なども詐欺商法ですし、不都合なことは見逃すような小さな字ですので詐欺商法の片棒をテレビ局が担いでいるように思えます。 

年寄りの孤独と孤立状態を見透かし頼りのお金への誘惑を巧みにそそって、自宅に住んだままで老後資金を貸す商法なども良く考えついたな! と思うほどで、甘い蜜への誘導商法は昔の豊田商事事件から何も変わっておりません。 

騙す方は騙された方の自己責任だと言えるような方策を弁護士と相談しており、弁護士もサラ金の過払い金請求の仕事を本業にしないと困るほどだから、お金になるのなら何でもやるような時代になったのだと思います。 

失われた三十年の間に銀行も貸出先に困って、小口金融のサラ金まがいのことをしても生き残れない時代になっており、それでも地方銀行は生き残れないと金融庁は補助金を餌に再編を促している状態ですので、全ての歯車が悪循環の方に傾いているような気がします。 

入院中若い独身の看護師さんやリハビリの先生達に帰宅したら何をしているの? と聞くと、ユーチューブを見ていると言う人達が多く、テレビを見ているという人はほとんどおりませんでした。 

テレビは番組の中だけで盛り上がっていますが、若い人達は判っていて白け醒めてしまうので携帯とネットで暇つぶしをしているのです。 

そんな社会状況を分析している大手広告会社は、若者の興味を持つサイトへのネット広告に注力しているから、若者が見るユーチューバーなる職業が高所得になっているのです。 

果たしてその職業がいつまで続くのか? などと考えるのが昔風の考えで、現代はより高額な職業へ転身するのが常識化しており、私のお客様でもヘッドハンティングによる転職で高額所得になっていますが、聞くと退職金など無く短期的な利益による成果型なので目的のためには手段を選ばないのが常識の時代になったのです。

果たして何が正しいのか? など時代によって変化するのですが、私などは農業や製造業のような生活必需品の物作りに従事する人達が報われるような社会が健全なのではないか? と思っているのですがきっと古い考えなのです。

額に汗してコツコツ積み上げたことが成果を生み、その努力の結果に充実感みたいなものを感じるには、自分の仕事が社会から必要とされているという誇りが必要で、その誇りこそが生きている意味に繋がっており、その充足感で満たされているときが幸せと私は思うのです。

もしお金さえ有れば幸せならアマゾン会長夫人などのお金持ちの奥様は離婚しないはずと思うのは、結婚も仕事に似て『ひとりの人間として自分が相手に心から必要とされているか?』が人間としての一番の存在意義であり、仕事も社会の多くの人の役に立ち必要とされるという精神的な問題の方が最終的には重要であり、高額な収入だけが目的の仕事や結婚は時間と共に虚しくなるから離婚と転職に到ると私自身は思っています。 

この仕事が好き・この人が好きという感情が大切で、その結果が収入と日常味わう幸せ感であることが生きている充足感に繋がっていると老いても尚実感しています。

約一年間ほど店を閉め退院後に店を開けただけで、『待っていたよ、元気になった』と来店して下さるお客様達に触れ、胸が熱くなるような人の温もりこそが生きている喜びで、決してお金では手に入らない心の温もりこそが人間の求めているものだから裕福な人達が離婚するのです。

 お金や権力を手に入れても人の心は買うことができないこと

 は、その両方を手に入れた人が一番よく知っていて、その内

 はお金と権力に擦り寄ってくる人達と、自分そのものを

 要としいてくれる人の見分けがつかない悲しみを背負

 っていると私は想像しています。 

 最近の通販番組では会社の社長が出演しているのが多く、自

 が広告塔になり有名人になっておりますが、私などは普通

 生活で不便だろうなと思っております。 

 大衆とは残酷なもので、有名人のサインなど本当に尊敬し大

 にしている人などは稀で、腹の中では『あいつのサイン

 をもらった』くらいにしか思っておらず、落ち目になったら

 捨てていると思っています。 

 マスコミは狡猾で売れているときは持ち上げて利用し、落ち

 になったらその落ち目の姿を大衆に暴露して再利用して

 仕事で、そこに時間差があるので大衆は気が付いていな

 いのですが、大衆も残酷で人の不幸を楽しんでいるから昔の

 ワラ版と同様の週刊誌がなくならないのです。 

 そんな中で最近良い番組が多いと思えるのはBS三チャンネ

 に多いのですが、NHKは受信料を下げるべきほど確実で

 富な資金だから質を維持でき、地上波と違いBSには番

 組の制作自由度があるからでないか?と想像しています。 

 今まで国民が生活の中で求める暇つぶしにテレビは君臨して

 ましたが、もうテレビの時代は終焉を迎え暇つぶしも年代

 によって多様化が進み、携帯やタブレットやパソコンを使

 った個別化したものになるような気がしています。

 私のこれからの暇つぶしは、手のリハビリを兼ねて店の暇な

 時間にピアノ(電子)を練習しようと思っております。

 それはNHKで放送している『街角・空港・駅ピアノ』という

 私の好きな番組があって、通りがかりの人達がピアノをひく

 ですが時にはホームレスの人などもおり、音楽が心を癒し

 くれると述べていることに共感できる事と、時折ですが独

 でピアノを練習したと言う人もおりましたので、七十一歳

 なった私にもできるかな? と勇気をもらった挑戦です。

 死を迎えるまで時間の隙間を埋める暇つぶしにピアノに取

 り組み、残った人生も知らないことを知る喜びと出来ない

 ことを出来るようになる喜びを求め生きている実感味わ

 いたいなと思っています。

 こんな勇気をもらったのは、死にたくて死ねない思いで毎夜

 を濡らした二ヶ月半後、やっと指先が動くようになった携

 にお父さんのピアノ伴奏で孫達が歌う励まし映像がたくさ

 ん届いたのと、病気の事情を知ったお客様から励ましの葉書

 が届いたり、残った在庫のお茶を欲しいというお客様が多く

 いたからです。

 お客様の葉書や孫達の映像を見ながら、『まだ私は社会から

 必要とされている』という喜びを噛み締め、中島みゆきの 

 『誕生』の歌詞で『もう一度生きるために泣いてきた

 ね』という詩があったのを思い出し、枕を濡らしたことに

 もう一度生きる意を見出せたからでした。

 目標は初心者用に編曲したパッヘルベルのカノンです。