見栄張る君。

相も変わらず続く官僚や政治家の不祥事報道を見聞きして、権力にへりくだらず毅然と行動できる人はいつの時代も稀なのだと感じさせられています。 

これは権力者に従順になれば甘い蜜にありつけるからでしょうが、反骨精神などという言葉は死語になっているほどに反骨は愚か者のすることと笑われる時代になっているようです。

『多勢に無勢』の状況の中で媚びずに筋を通すことを考えると、福沢諭吉の『やせ我慢の説』を思い起こします。 

これは当時江戸幕府側だった勝海舟と榎本武楊に当てた手紙で、たとえ負け戦であっても抗戦もせず明け渡すとは禄を食んだ人間のすることではない、ましてやその後に敵側である明治政府の要職につくなどは人としての振る舞いから外れているという趣旨の手紙を出したものです。 

勝海舟は無血開城で市民を戦火に巻き込まぬためで、明治政府の要職についたことの評価はお好きにどうぞ!と返信しており、榎本武楊は多忙にてと返信せずに済ましております。

福沢諭吉は学者の立場で、勝海舟と榎本武楊は官僚の立場で考え行動しておりますが、現在の官僚とは大局的な見地で大きな差がありますし、このような論争ができた時代だったからこそ活力が生まれ明治新政府が植民地から逃れうまく機能したのだと思います。

福沢諭吉が言いたいのは追い詰められ僻みそうなところで見栄を張り、決して迎合しないという意気地みたいなものがなくなったら、お金という実を取る地位保全のために権力に迎合するようなことが横行し国家が衰退すると言いたかったのです。 

今の日本全体がこんな風になったのは終戦後にアメリカナイズされた結果もあるのでは? と思うのは、アメリカ社会には自由の思想は有っても実は平等の思想などないから、健康保険のない国民が大勢いてそのために病院にも行けずコロナで死んでいるのです。 

アメリカの自由思想の象徴はアメリカンドリームと言われるもので、誰でも一攫千金を夢見ており移民でも才覚があれば億万長者になれるのですが、その結果として日本などとは比較にならないほどの格差が生まれており、命の値段もお金次第という異常な格差が常識になっています。 

何事もアメリカを真似てきた日本社会の象徴が格差拡大で、日本の国民皆保険制度だけが平等思想の砦として辛うじて機能しているように思います。 

日本で生活保護を受けている人の医療費は無料ですが、恐らくアメリカ人が知ったら驚くと同時に裕福な人達は怒り自己責任論を展開すると私は思っています。 

長年一緒にいた妻が私を『小生意気なひねくれ者』と言ったのは間違いがなく、借財を背負った長年の商いの中で月末の支払いに困窮した時も銀行だけでなく妻にも借り、当月の仕入れは当月支払うことを意固地に四十数年間続けてきたのも小生意気さの象徴だと思っています。 

そんな私の様子を見ていた妻は『あなたは何事にも見栄張る君だね』と笑って融資してくれたのですが、お母さん『私は張ったり八分・実力二分で生きているけど、人間は見栄を張らないと実力はつかないよ!』とうそぶいていました。 

人間としての本性がでるのは困窮した時で、その正念場の時に苦しい本音を押さえ込んで建前を守り抜き見栄を張り通すことが信用を生み、その積み重ねで少しは実力がつくことに繋がっていたと思っています。 

反対に店頭の会話では拝金主義的なへりくだった建前の話ができず、例えお客様でも威張った高圧的な人や自己顕示欲の強い人には、本音でその方の嫌な部分や間違ったことなどを平気で指摘していましたので、妻には本音と建前の使い方が普通の人と反対だと呆れられ、まるで子供に言うように優しく『好きにしていいんだよ』と嫌味たっぷりに突き放されておりました。 

固定客のお客様の中には稀にそんな私を褒めてくれる人がいるのですが、良く考えるとこれは身に沁み付いた『私の癖』で、その癖の欠点が長所に見えているのだと思います。 

娘に対しても、ある時は本音で・ある時は建前を大切にと言っていたので、中学生の時に『お父さんの言うことは矛盾している』と言われたのですが、苦し紛れに『矛盾を理解できないと成熟した人間になれないよ』と言ったのですが、言った自分自身に感心した覚えがあります。 

長く生きてきて振り返ると、あそこで迎合せず見栄を張ったことが幸運に繋がっていたと思えることが多々ありますが、見栄だけでは駄目で一緒に誠意と正直さが伴っていないと運は向いて来ないとも思っています。 

そして見栄の張り方に二種類あって他の誰かを犠牲にした見栄か? 自己犠牲を伴う見栄か? の違いで、家族を犠牲にして自分は高級車に乗っている見栄などは醜い見栄です。 

反対に自分が我慢する見栄を張って家族のことを優先している見栄は美しい見栄だと思いますが、家庭でも職場でも一緒に過ごしている人はその人間の醜さも美しさも感じ取って全てを見通しているものです。 

社会とは難しいもので、美しい行いをしている人間を見ていると自己嫌悪から攻撃してくる人間も大勢おり、逆に意気に感じてくれる人がいても中々賛同してくれる人が少ないのは返り血を浴びるのが誰でも恐いからです。 

福沢諭吉と勝海舟の立場の違いと同様に、社会的な立場の違いが思考回路を変えるのは判るのですが、接待や賄賂などは論外の醜さだと思います。

大事なことは他者への配慮があって見栄を張るか? 自己本位的な見栄を張るか? ですが、実務を優先すると大局的な視点を見誤る危険がありますので、その部分を学問的に研究すると長期的な視点でマイナスになることを示唆できることが学問の意義と大切さだと思います。

見栄の張り方と似ている『恩返し』についても人間性が出るもので、育ててもらった親や人生の中で窮地に手を差し伸べてもらった人への恩返しについてです。

これは私の実体験で、二十歳で東京へ就職して二ヶ月目頃に寮の同部屋の友人の車を借りて大事故を起こしました。 

まだ基本給が二万四千円の時に修理代が四十万円以上だったのですが、父の支配から逃れ東京に来たので借りるのが嫌で途方にくれていた時に、当時仙台にいた伯父が東京の本社にきたので会おうと連絡が来ました。 

逢ったときに事故のことを話したら修理代を貸してくれると言われ、本当に有り難く思い甘えさせてもらいました。 

その後返済のために一生懸命に働きましたが、私は大きな恩は返済が済んでも終わるものではなく一生背負ってコツコツと恩義に応えることと思い定めておりました。 

伯父も返済が済んだ時に『もし俺が恩着せがましくしたら忘れていい』と言ってくれましたので、私は伯父のどんな無理難題にも平気を装って応え続けました。 

しかしその後無理難題は普通のことになり、そして当然のことになってきました。

しかし私は一生背負ってコツコツと恩義に応えるべきと言い聞かせ自己犠牲的な見栄を張り続けました。 

言葉にしなくても続く無言の恩着せがましさや要求に耐え四十五年近く経過した時、伯父が尋ねてきて会話しているといつもの恩着せがましさが出ましたが我慢し続け、見送って夕食を始めたときに思わず妻に愚痴を漏らしてしまいました。 

その時しばらく間を置いて妻が『お父さんもう充分なんじゃない』と私を気遣い上目づかいで言いました。

私はその言葉の深さと温かみにスーッと肩の荷が軽くなったのを覚え心から救われる思いを味わい決断できました。 

四十五年近く恩義に応え耐えている私の姿に、妻は一度も口をはさまずに見守っていてくれた重い言葉で、本当はもっと早く私が決着をつけなければいけないことだったのです。 

親でも他人でも世話になったことへの恩義は大切ですが、相手の恩着せがましさが続いたら報いることを止めるべきなのは続けても際限がなく耐えても意味がないからで、私はもっと早くに肩の荷を降ろすべきだったのです。

私自身は七年目に娘が生まれて感謝こそすれ育ててあげたという気持ちなど微塵もなく、むしろ娘を育てることで自分が育てられたという思いが強く、親になったことで人間的にも少しは成長できたのでは? と思っており、娘には我が家に生まれてきてくれて有り難うという気持ちで今も感謝しております。 

骨肉の争いを招かないようにするためにも、他人でも倫理観の近い人達との交流を選択人生を豊かに過ごさないと、やがて伴侶や子供にも負担や迷惑をかけ老いてからきっと私のように後悔すると思っています。 

見栄を張ることは信念みたいなものにも繋がっていますが、どこまで? どのような人に? を冷静に判断し適切な決断をしないと本当に大切な人を犠牲にして後悔の思いで私のように老年を過ごすことになると思います。

先日の定休日にリハビリを兼ねて妻とよく行った恵庭のパークゴルフ場に行ってきました。

元気な頃は150ホールくらい回っていましたが、まだ思うにまかせぬ体に鞭を打ちながら、見栄を張って81ホール廻って来ました。

芝生の上を歩き続けるだけでなく、固い関節でかがむのがリハビリに最適でしたが、翌朝起床して節々の関節痛と筋肉痛に驚きました。

随分昔のフルマラソンや100Kmマラソンの翌日と同じ症状に懐かしさを覚え少し若返った気分でしたが、約三日間ほどは日常生活の全てが大変でした。