祖父母の役割と身の処し方。

二人の孫達の成長と共に『爺としてどのように接するべきか?』を試される機会が増え、その対処がいつも突然訪れますので頭の中はデジタル回転して認知症の予防にも繋がっているように思っています。 

先日も下の孫を抱いている時、病院から頂いてきた妹のシールをお姉ちゃんが取ったので二歳の妹が大声で泣き叫びました。 

泣き続けるので内省したお姉ちゃんが返すと、下の子はシールをぐちゃぐちゃにして放り投げました。 

お姉ちゃんがしばし沈黙の後に珍しく興奮して大声で『ぐちゃぐちゃにしないで言葉で言えばいいでしょ!』と何度も叫び部屋の隅へ行き泣き出しました。 

この間私は何も言わずに見守っていましたがお互いの気持ちを推察すると、二歳の妹は胸の怒りを上手く言葉にできない苛立ちがぐちゃぐちゃにした行動で、お姉ちゃんは妹の物を取った罪悪感を正当化するために『ぐちゃぐちゃにしないで言葉で言えばいいでしょ!』と何度も叫んだのですが、叫ぶほど罪悪感が深まり自己嫌悪に陥ったので部屋の隅で泣いていたのです。 

親でもない私が二人のために取るべき行動を思案し、まず下の子を抱き上げ『お姉ちゃんに取られて悔しかったね、でも返してくれて良かったね』と話ながら抱きしめると落ち着いてきたので、『お姉ちゃんが悲しくて泣いているからマー君爺が行ってあげていいかい?』と聞くと『うん』というので椅子に座らせて、お姉ちゃんの所に行き『おいで』と言うと来たので抱き上げました。 

もう充分に内省しているので余計なことを言わずに涙を拭いてあげ、指を六本見せてここから二本折ると四本残るよね! 

二人の間に四歳の違いがあり上手に言葉にできないからぐちゃぐちゃにしたんだよ。 

もう少し上手に言葉が話せるようになるまで待ってあげてね! と言うと『わかった』と言うので、『はい、じゃあ二人は仲直りね』と言うと収まってくれました。 

お姉ちゃんの行動を検証しなかったのは充分に内省していますし、親でもない私が余計な躾めいたことをしないことだと思ったからです。 

娘と婿殿の家庭にはその家庭の文化があり、子供達はその文化の喜怒哀楽の中で葛藤し成長して行くからですが、大切なのは子供達にとっての指揮命令系統は婿殿と娘に統一されて育つことが重要なことだと思っているからです。 

私は子供が自立したり家庭を持ったりしたら育てた親としての責務を終えたのだから、親だったときの権限も捨て去らないといけないと自分に言い聞かせてきました。 

特に妻を亡くしてからは寂しさから甘えたり依存したりしないようにも自戒して参りましたが、特に可愛い孫達との接し方には『果してどこまでが許されるか?』を反問しながらでした。 

私なりの答えは家庭に入り込まない・介入しないですが、孫達に対しては『二人の言いなりになるマー君爺』でいたいと思っております。 

それは子供達の成長過程でプライドから親にも言えないような悩みや苦悩を抱えることもあり、特に自身のプライドが傷つくイジメられていることなどは親には中々言えないもので、そんな時に横の繋がりのマー君爺には弱音を吐けるかな? と片隅で思ってもらえる存在でいたいと思っているからです。 

果たしてどこまで生きられるか判らないのですが苦悩を吐き出せる存在になれたら、大事なことを何気なく娘や婿殿に知らせると親の配慮が行き届くのでは? と思っているからです。 

祖父母の仕事はただ無情の愛を注ぐことで、孫達への躾などに繋がる言動を慎むべきなのは、躾は養育義務のある父母のみ許されると子供は本能的に悟っており、父母以外からの躾という名目の強制は越権行為と感じるから、引き篭もりの子供による祖父母暴行や殺害事件が時折起きているのです。 

長い間の商いで様々な家庭状況を見てきて思うことは、長命になり元気な祖父母が増えてから子供達の家庭に親面をして土足で入り込んでいる毒親が増えており、そんなことが一因で離婚に繋がっている家庭もあると感じています。 

退職し年金で暮していると時間的な余裕もあり孫も可愛いので頼まれもしないときにもつい入り込んでしまうのです。 

今の若い人達は共働きが多く、その中で子供が熱を出したりしても公的な預かり施設が少ないので、近くに親がいると本当に助かると若い人達が言っていますが、その後の何もないときは入り込まないで少ない家族の時間を黙って見守る祖父母の我慢が肝心と思います。 

私なども孫の顔を見るだけで嬉しく元気になるので逢いたいのですが、そんな時はどちらかの了解を必ず頂いてから行動するように心掛けています。 

離婚の増加は『出会い頭の恋』のせいだけでなく、祖父母の介入過多や格差拡大による貧困なども関連しており、それらがDVや孫達世代への虐待やネグレクトとして反映されておりますが、離婚後に味わう苦悩は男も女も『あの時こうしていれば』という後悔がほとんどで、離婚して良かったという人は本当に少数が現実だから思う老婆心です。

本当に孫が可愛かったら、子供達夫婦が仲よく暮らせるような配慮が一番大切で、祖父母は孫が自立するまで生きられるか? は判らないので、両親が揃って仲の良いことが孫の健全な成長に欠かせないと祖父母が思い定めることです。 

バブル崩壊から三十年、専業主婦の時代は終わり共働きが主流の時代になっているのに、好景気の専業主婦の時代の常識を無意識に持ち込んで不愉快にさせていることも多いと思います。 

昔の格言は誠に的を射ており『老いては子に従え』などは名文句で、私はひたすら自戒の言葉として胸中で繰り返しています。 

その自戒は私の父の身勝手な介入に苦しんだ経験が教えてくれたことで、精神的だけでなく金銭的にも苦しめられたのですが、そんな状況のときも妻は決して私の親族のことを悪く言わなかったので今も申し訳なく思っており、その償いをできなかったことを悔み続けております。 

女性としての仕事では格別取り得のない人でしたが、何事も黙って耐え見守ってくれていましたが、人としての分かれ道では何気ないひと言をいつも忘れませんでした。 

その妻が娘の結婚式後二人だけの夕食時『??ちゃんの家庭に入り過ぎないようにね!』と私の性格を読み取り釘を刺したのも的を射ており、『はい』と頷きながら改めて妻としての価値を感じさせられました。 

親としてから祖父として立場が変わると、言動だけでなく金銭的な考え方も変更しなければならず、真っ先に思い出すのは西郷隆盛の『美田を残さず』という言葉です。 

『児孫のために美田を買わず』とどちらが正しいのか? は判りませんが意味は同じで、多大な財産を残すのは良くない・子供が成人したら親には頼らせないの二つの解釈がありますが、祖父母としては肝に銘じるべき言葉です。 

私はたいした財産もないですが四十三年間商いをしてきて、お客様達の財産相続の揉め事や過大な相続で不幸になった人達を見聞きして参りました。 

お金とは生きて行くための大切な手段ですが目的ではなく、実はそのお金の稼ぎの多寡より使い方にこそ真の人間性が表れており、持ったお金を散財し私腹を肥やすか? 贈与するか? が分かれ道で、それが子供や孫の生き方に必ず波及します。 

私が見た孫まで不幸になった例は、お客様の祖父母がその当時大麻にマンションと百坪の一軒家と東京世田谷に土地を持っていました。 

息子さんも時々来店していましたが、バブルの終わり頃に祖父が亡くなり半年後に追うように祖母も亡くなりましたが、その数ヵ月後に息子さんが一千万近くするベンツのステーションワゴンで来店しましたので、お金(遺産)の使い方と自己顕示欲をたしなめたら怒って来なくなりました。 

その後百坪の一軒家に家族四人で住んでいたのですが、近所に私共のお客様が来店していたので何かと自然に耳に入り、札幌勤務から網走に転勤になったと聞きましたが、彼は会社にもベンツで通勤して嫉妬されたのです。 

数年後娘さんが札幌の大学に入り百坪の一軒家にひとり暮らしで通学していると聞きましたが、やがて男の子の出入りが多くなり夜は騒がしく困っている、恐らく学校にもあまり行っていなようだと話す人が増えました。 

そんな話題が増えた半年後に娘の母親がコーヒーを買いに来店し『高野さんの忠告に主人が怒り久しぶりの来店ですが、娘は精神を病んだので大学を退学させて連れて帰ります』と私に正直に告白して帰りました。 

その後姿の侘しさに『お体を大切に』としか声をかけられなかったのですが、同じように高額な相続をした時に奥様がご主人にお金の使い方に釘を刺し成り上がり者の不幸を回避した人もおりました。 

高額な宝くじに当たった人の不幸もよく聞きますが、私はいつも『お金は少し足りない位がよく、その方が家族も結束する』と言っていましたが、妻には又いつもの『負け犬の遠吠えかい』と笑われていました。 

躾もお金の使い方も親がもっともらしいことを言っても無意味で、子供は良くも悪くも親の背中を見て全て学んでおり、一番よくないのが子供に綺麗事を押し付けて親がいい加減なことをしていることです。 

私はひとり娘なので相続で揉める心配はないのですが、兄弟・姉妹が結婚すると他人が入り利害関係が複雑になるので財産相続では揉めてしまうのです。 

穏やかな老後を望む私は四人兄弟妹なので、そんな揉め事を避けたい思いで母が存命中に財産放棄を宣言し、母の死後には署名と印鑑証明を渡し回避しました。 

人間は年代によって立場が変わるごとにどうあるべきか? も変わって参りますので、児孫(子供・孫)のためにも考え方を改めて、年代によって果たすべき役割と身の処し方を思案し変更を心掛けていれば認知症なども自然と回避されると思っています。 

妻の死後私は料理もしていましたが、闘病中リハビリで調理実習をした時に最初は十分程度立っているだけで辛くなり筋力の低下に驚きました。 

店頭から外を見ていると、昔はご主人の後を奥様が歩いていたのが、退職して十年もすると奥様が先でご主人が後からトボトボ歩いている意味がこの時に理解できました。 

買物や料理など女性は昔と変わらない生活しているのに、男は通勤もなく役割を持たずに家でゴロゴロしているから下半身の筋力が落ちているのです。 

今私は朝食の用意だけでも一時間ほどは立っておりますが、男の健康寿命のためにも退職などしたら『男子厨房に立つべし』を心がけることが肝要と思っています。 

料理とは作るものを決めたら材料を用意し、野菜や肉の下処理をしてから手順通りに進めて味付けをしますが、その過程では作る料理から逆算して買物・下ごしらえ・加熱調理を進め決まった時間に料理を提供している作業なのです。 

買物で歩き調理・洗い物で立っている時間は筋肉を、手順の逆算と手先を使う作業は脳を使っており正に身体の健康と認知症の予防にピッタリなのです。 

こうすれば妻にも喜ばれ自分の健康にも繋がり、美味しいものができて妻が喜んでくれたら二重の喜びを味わえますので是非にとお勧めします。

 子供が成長と共に親から自立し変化して行くように、親も祖

 父母の立場になったら様々な権限を捨て去り、なるべく子供

 依存しない身の処し方へと変えて行くべきと思います。

 子供達には慎みと敬意を、夫婦はお互いの高齢化に伴い家

 の分を計り助け合うことが最良策と思います。