コロナバブル。

入院中コロナ禍のニュース最後の株価上昇を見ていて、実体経済との逆転現象の謎を考えていましたが、これは金融緩和と財政出動の過剰流動性(市中にお金が溢れる事)拡大によって富裕層のお金が株式市場に流れ込んだコロナバブルだと確信させられました。 

過剰な格差拡大の上にコロナによって職が失われ自殺者が出るほど困っている人が増加している反面で、富める者は実体経済悪化によって行き場を失ったお金を株式投資に向けて、その副作用として株価上昇のコロナバブルを生んでいるのです。 

世界各国でコロナへの対策として金融緩和と財政出動をした結果、富裕者層は金余りでお金がジャブジャブになっても経済が不調なので、果てしない欲望の行き場として株式投資に集中しているのです。 

同じように仮想通貨のビットコインなども上昇しており同じバブル現象ですが、これはアメリカの電気自動車会社テスラが15億ドル購入に起因しており、どちらも『上がるから買う→買うからまた上がる』の繰り返しで欲望が刺激され止められなくなっているのです。 

リーマンショック後に投資家が『音楽が流れている間、踊るのは止められない』という趣旨の発言をしていたのですが、儲かるという音楽が流れている間は投資という踊りを続けてしまう人間の欲望の本質を突いており、バブルが弾けるまで続ける悲しい欲望の性は学習できないのです。 

では誰が株を買っているのか? 一番は日銀がここ十年購入して続けているETF(上場投資信託)ですでに四十五兆円を越えており、次が年金積立金運用独立法人(政府)で、次が富裕者層の資産運用を任されている外国人投資家や日本の生保や損保会社などの他に、個人投資家からお金を集めて資産運用を引き受けるアメリカのロビンフッドや日本ではウエルスナビなどがありますが、株価上昇を演出しているのは日銀と政府です。   

しかしバブルが弾け株価が下落したら、その損失である日銀の損失は国民に跳ね返り、年金積立金運用独立法人の損失は年金受給者や積み立てて将来受給する人達の未来額に跳ね返ることになります。

コロナ禍の金融緩和で急速に拡大しているマネーゲームの現状は欲望の資本主義を反映し、富裕者層は乗り遅れないようにと株価三万円超に沸いています。

アメリカの長期金利が上昇した為に今は三万円を割り込んでいますが、日銀が低金利を維持するとアナウンスしましたのでマネーゲームの踊りは続きます。

住まいにも困っている人達が増加し自殺者が増えているのに、反対に有り余るお金への欲望をむき出しにして株式投資に狂騒している資本主義社会の矛盾を解消するためには前のブログ『べイシックインカム』が必要と書きましたが、このままでは搾取する相手も食い尽くす勢いを感じます。 

日本の個人株保有者数は2019年時点で過去最低の十六・五%で、その半分が六十代以上で特に多いのが七十代以上の年収三百万未満の人達という一見不思議な現象です。 

その謎の実体はこの年代の人達はローン負担が少ないインフレ時に住宅を購入し支払いを楽に終えた資産バブルの恩恵を受けており、退職金なども現在より格段に多かったので預貯金も多いことが背景にあり、そして年収三百万の年金で生活費は賄えるので株式投資ができるのです。 

ここ大麻は高度成長時の新興住宅地で当時百坪の土地に住宅を建てた合計が六百万位で、ローンは毎月一万位の支払いでしたが高度成長とインフレで給料は上昇してもローンは一万円のままでしたので、十年後には住宅公団の二DK賃貸家賃より支払額が安くなっていたのです。 

高齢になり四十年後に更地にして売却しても地価上昇の恩恵により八百万位で売れて二百万円の含み益が残るという、現在では想像できない多大な資産バブルの恩恵を受けていたのです。 

過去に購入したときはその時代の常識価格で、四十年後に販売するときもその時代の常識価格ですが、この四十年間を俯瞰して眺めたら四十年間使用して尚二百万円の含み益が残ることなど、これからも過去にもありえない恩恵だったのです。 

勿論この時代に賃貸で過ごした人達にはこのような恩恵はないので、同じ七十代でもコロナ禍に住む所にも困っている人がおります。

逆に私などのようにバブル絶頂期に購入した者は、最高値で購入し日銀金利プライムレートが0.7%超でしたので私のような事業用貸出金利は0.9超で、借入額の約一割近い金利を支払って返済しましたが、今後売却しても3分の1の価格で売れればまだ良い方だと思います。 

割を食ったみたいですが後悔はしておらず、時代の流れの中の金銭的な幸運が果たして幸せな人生と連動しているか? は別物で、私は金銭的な不運(苦労)が娘の成長や家族の結束に繋がり幸運だったと痩せ我慢をしています。

私は一億総中流の時代を経験したので、その後の格差拡大状況を見ていると強者による人間同士の共食い状態に見えています。

動物の世界も弱肉強食ですが共食いをするのは稀で、人間は『考える葦』と言いながら資本主義によって文明が進化するほどに、まるで強者による弱者への共食い状態が進み格差が拡大し続けています。 

温暖化による異常気象も格差是正も強者の欲望の肥大を抑制しなければ解決できない問題ですが、次世代や他者への配慮より目先の欲望を満たすことに夢中にさせたのが資本主義の末路のようです。 

『自由と平等』を謳い文句のように言いながら、平等の権利を謳う民主主義は形骸化しているほどに差別的な格差の拡大です。 

コロナバブルはコロナが終息する前後に弾けると思うのですが、待ち受けるのは大判振る舞いをした後の国家財政悪化の浮上です。 

コロナ騒動の前でも日本の借金は千二百兆円を突破しており、寝たきり老人や赤子を入れても国民一人当たり九百八十三万円の借金になっています。 

先進国で突出している日本の負債額でもギリシャのように破綻しないのには借入先に謎があり、日本の国債(借金)所有者の八十八%は国内で日銀が四十七%・生保損保会社が二十一%・銀行が十五%で残り五%は個人の富裕者層だからです。 

これが海外からの借金で返済を迫られたらギリシャのように破綻で円は暴落し預貯金の価値も暴落です。 

謎を簡単に家庭に例えて判り易く言うと、世帯主が五十万円の収入なのに七十万円の生活費を使い続け、不足分の二十万円は祖父母や息子や娘からの借り入れで生活し続けているような形なので強硬な返済を迫られないのです。 

つまり親族という利害関係が一致した情実関係だからで、国債を発行している国と日銀や生損保や銀行も利害関係が一致した情実関係だから返済を迫られないのです。 

しかしいずれは収入と支出のプライマリーバランスを整え返済しなければならず、その痛みを背負うのは次世代の子供や孫達になるのです。

その痛みを最小限に抑える方策は前に述べた七・八十代の人達のローン返済のようななだらかなインフレなのですが、その当時のように国民全体の所得もなだらかに上昇しないと痛みだけになるので、現在のような大企業の過剰な内部留保も吐き出させないと内需経済は活性化しないので頓挫すると思います。 

しかしこの方策の実現には今は稀な下村治氏のような実直な経済学者の登用と、外的な要因の幸運などが揃わないと難しいと思うのですが、昨今幅を効かしている経済学者達は竹中平蔵氏のような権力や財力と癒着している人ばかりなので不安です。 

もうひとつの方策は1946年に日本政府が行った預金凍結の強行という恐ろしいものですが、これは戦争中の莫大な国の借金返済に国民の財産を充てたもので、預金だけでなく株式・不動産・金などあらゆる資産に九十%の課税をした強権で、資産が多い人への累進的な課税だったので当時の資産家は軒並み没落しました。 

他にも明治政府が行った農地解放も当時の富裕者層の没落に繋がり、廃藩置県では全国の藩に仕えていた武士全てが失業に繋がるという荒治療でした。 

こんなことは革命政府にしか成し得ないような方策なので実現不可能だと思っていますが、渋沢栄一氏への一万円札に切り替わる時が危険だと発言している経済学者もおります。 

日本の赤字国債が増え続けた一番の原因は社会保障費の増加で、日本の財政支出の三分の一を占めておりますが、中国の人口構成も過去の『ひとりっ子政策』の反動が大きく現在の日本と酷似してきていますので、十年後には中国も少子高齢化が進み日本と同じように社会保障費が激増しますが、共産党独裁の中国なら預金封鎖などは平然とやるでしょう。 

コロナ禍による一層の格差拡大で生活保護世帯も増加し続けており、医療費も医療の高度化で増加し続けていますので削減のために診療報酬や薬価を下げ、リハビリ期間なども短縮するなど自己責任的な方策で凌いでいるのが実情です。

コロナによる昨年の国債発行額は六十兆円にもなり、コロナバブルを作った政府が果して軟着陸させる準備を用意しているのか? 政府と日銀の対応が注目されます。 

グローバル化した世界で日本は過去の政府のような方策はできない時代になっており、地道な政策の積み重ねと強欲な富裕層や過剰な内部留保を持つ大企業への課税強化で格差を是正しなければ国民の労働意欲が低下しますので、このままでは貧しい国へと転落してしまいます。 

女性蔑視問題なども同じで男女別姓の導入や役員の五割は女性を登用という強行政策を行使しないと変革できないと思います。 

資本主義の弊害解消に富裕者層への累進課税強化という平等政策を急ぎ行わないと、男女平等や健康で文化的な最低限の生活という憲法で謳ったことがいつまでも建前で終わり、女性や派遣社員やパートなどの弱者を追い詰めている異常な格差社会の是正実現は遠のき社会的混乱を引き起こす悪夢が迫ります。 

私が一番危惧するのは阿部政権から目に余る『力が正義』の強権政治が大手を振っていることで、菅政権になっても同じで菅総理に反対意見を具申した実直な官僚が左遷されており、官僚は怯え押さえ込まれております。 

これは1998年に大蔵官僚が金融機関から風俗接待を受けた問題が明るみに出たことをきっかけに、担当大臣管轄だった官僚人事権を官邸主導の内閣に人事権を移動してから恐怖政治が始まりました。

この結果官僚の汚職よりひどい森友・加計学園のような政治家とお友達の癒着という強者による利益循環が水面下で行われるようなりましたが、人事権を握られている官僚は忖度しないと火の粉が我身に及ぶ現実を見てきたので黙認しているのです。

 こうなったのも官僚の身から出た錆ですが、官僚の本来の仕

 事である国民ために奉仕するという思想を持った人達は本

 流からはずされ追われ続けているのが実態です。 

 このような内実があって弱者救済の政策は建前だけになって

 いるので遅延し倒産の増加、自殺者も最近は単身女性だけ

 でなく高校生も増加しているのは貧困家庭の困窮をこの年

 齢になると理解でき将来を悲観し増加しているのです。

 政府と財界の癒着は想像できると思いますが、大学など教育

 現場への締め付けなども進み日本学術会議が推薦した会員六

 人の任命拒否も、運営費そのものを国費に依存しているため

 人事権を握られている恐怖政治で、学問の分野でもお金と

 力が幅をきかしているのが日本中枢の悲しい実体です。 

 立法(国会)・行政(内閣)・司法(裁判所)の三権分立の

 憲法上の基本理念が形骸化しているような権力集中の現状

 のままコロナバブルが弾けたら、一段の弱者へのしわ寄せ

 が起こるような気がしています。 

 森友・加計学園問題も菅総理の長男問題も同じ蜥蜴の尻尾切

 りで終わりそうですが、この強権構造が常識化し日本の全

 ての組織が真似て行われブラック企業化しており、それゆ

 えに組織が活性化せず失われた三十年にもなっているのだと

 思います。 

 権力とはピラミッド構造になっているのですが、頂点の権力

 者は底辺の国民の信頼を失うと失脚する構造なのに、日本

 の国民はおとなしく抗議行動などは起こらず、投票率も低下

 続けていますので組織化した腐敗が修正されないのです。 

 しかし歴史的に見れば必ず修正される時期は訪れますが、や

 外圧みたいなものがきっかけになるのか? と推察す

 ると何とも情けなくなります。