日常に官能を。

私の店の色紙に『お茶は不確定要素の高い官能商品で、飲んでみなければ品質の優劣が判らない商品で、これがお茶の特品的特性です』と書いて貼ってあるのですが、ほとんどお客様が官能の文字に反応し怪訝そうにします。 

普通の人は官能というと性的な場面だけを想像しておりますが、人間の五感である視覚・聴覚・触覚・味覚・臭覚で感じるすべてが官能(心が酔っている状態)で、コーヒーやウイスキーをブレンドし味を決める人達の部屋の入口には『官能検査室』と書いてあるのです。 

例えば山登りをして頂上を極める喜びもありますが、頂上から朝日や夕日の美しさを見て感動している時も官能しているので山登りが止められなくなるのです。 

また美味しいものを口にした時に、胸いっぱいに美味しさの広がりを感じているのも官能です。 

大好きなアーティストのコンサートに行き、憧れの人を視覚で捉え聴覚から好きな歌詞や広がる音源を取り込んでいる感動や感激も官能です。 

私は好きな人としか性的な交渉を持てないのですが、好きな人とキスをして肌を触れ合ったときに幸せで胸がいっぱいになるのも官能です。 

人間が進化の過程で頭と脇と性器にのみ毛を残し、他の全身の毛を薄くしたのは運動時の代謝を良くするためで、頭の毛は脳を保護するためで、脇と陰毛は異性を呼び込むフェロモンを蓄え放出するために縮れているそうです。 

ちなみに異性のフェロモンの好みは自分の遺伝子と遠い匂いを好むようにセットされているのは、近親相姦を避けるためなので思春期の娘が父親に嫌悪感を持つのは自然なのです。 

花や香水や好きな人の髪の匂いなどを鼻腔から感じるているのも官能です。 

ではお茶など趣向品による官能の特品的特性は何かというと、お茶に一番特性が似ているお米に例えると理解しやすく、美味しい高い米と安いお米を比較する時、方法としては美味しい米を食べてから美味しくない米を食べるとはっきり判ります。 

ある人が生まれてからずーっと美味しくない米を食べ続けていれば『これが米の味だ』と思っています。 

つまり美味しい米との出会いがなく、美味しくない米を食べ続ければ感動も官能も起こらず、生きるための食料としての米で車を動かすガソリンと役目が一緒で、心の豊かさに繋がる食文化としては機能していません。 

物質的な豊かさと共に現代人は食べ物や趣向品より贅沢品で他者との差別化による優越感に夢中になり、食事は生きるための手段になり手間をかけず簡便なもので済ます傾向が進み、その結果食生活が粗末で高カロリーなものになっていることなども一因で成人病が増えています。 

つまり食事の中で『美味しいね』という官能を共有する食文化などが衰退しているのが現状で、日本の食卓を取材し続けている岩村楊子さんの本『変わる家族・変わる食卓』を読むと、便利で贅沢なものに目が奪われ続けているうちに食卓が貧弱になり続けていることが判っています。 

私は元々もそうでしたが妻を失ってから特に『なるべく嫌な人に逢わないで、美味しいものを食べて』過ごすことをモットーにしています。 

それは余生を穏やかで幸せな気持ちで過ごしたいと思っているからで、人間の五感で感じる官能こそが心豊かな幸せな気持ちにしてくれると思っているからです。

そして人は五感で官能している時、あらゆる欲望が消滅し心は他者に伝えようのない幸せな満足感で満たされています。

私の音楽好きは雑食ですが始まりは吉田拓郎・井上陽水でしたが、この仕事になってからキャバレーのホステスのようにずーっと店にいてお客さんが来るのをただ待つことが仕事になり、日雇い労務者の身でお客さんが来ない不安に押し潰されない情緒安定のために、イージーリスニングからクラッシック・洋楽・ジャズに広がりました。 

音楽も米と同じで良いものを耳にしているとやがて違いが判り官能を味わえるものに出逢うと、ただ聞いているだけで何度でも幸せな気持ちになります。 

五感について学術的に研究している人の本を読んだ時、高級ブランデーやクラシックなどは継続して初めて本当の良さが次第に判ってきて脳に沁み込むとありましたが、クラシックなども歌謡曲のように次のメロディーが自然に浮かんでくるほど聞き込むと官能が訪れます

長く聞き続けるとピアノでも繊細さ・力強さ・大雑把さなどそのピアニストの性格などが出ており、小澤征爾さんの本を読んだときに楽器の演奏の良し悪しと耳の良し悪しが相関しておりモーツアルトの曲が得意な内田光子さんは特に耳の良いピアニストだと思うと述べていたのが印象に残っています。

お茶も同じでより深く何度でも美味しいという官能の喜びを味わうようになりますが、専門職の人達は訓練によって鋭敏さを身に付けており、決して先天的なものだけではないと述べておりましたが私もそう思っています。 

闘病中に死にたいと思っていた時を癒してくれたのも音楽で、ショパンの夜想曲やパガニーニの四重奏曲などは何度聞いても胸が締め付けられる官能を味わい癒されました。

極寒の地フィンランドのシベリウスやロシアのラフマニノフの曲などは暗い曲調の中に底深い広大さを感じさせられ、ベートーヴェンなどは精密に組み立てられた威厳のある曲調で、音楽にも文化や人間性が表出していると思います。

本で読んだのですが、ゲーテとベートーヴェンが話している時に貴族の馬車が前で止まった時、ゲーテは恭順の態度を示したのですがベートーヴェンは平然と毅然としていたそうです。

それ頃まで貴族や王級の下僕的存在だった作曲家の立場を芸術家の位置に押し上げたのもベートーヴェンで,それ以後ゲーテはベートーヴェンの曲をけなし続けたそうですが、多分貴族に平伏・迎合しなかったベートーヴェンへの僻みです。 

音楽においては多くの人に官能反応を起こさせることができる人がきっと一流の人で、未来にも存在する歴史的に残るものがクラシックという言葉の語源には納得させられます。 

そして官能状態になった時は他者との比較による幸・不幸という相対評価など存在せずに、ただ感動し官能しています。 

贅沢品は手に入れた時は喜び官能しているようですが、やがてもっと贅沢な高級品が欲しくなるのは官能ではなく感応だからと私は思っています。 

性的な官能なども本当に好きな人との行為に官能が伴っても、ただ欲望としての性的行為は一時的な感応なので行為後に虚しさがきっと襲ってくるのでは? とその経験のない私ですが思っています。 

感応は意識領域の喜びで、官能は無意識領域まで満たされる喜びなのでは? と勝手に思っています。 

嗅覚などは先天的に人によって欠けている匂いがあるそうで、専門職の人は欠けている匂いを訓練で埋め記憶させるそうですが、香りは鼻腔からの香りと、飲み込むときに咽頭から鼻に抜ける香りの二種類があり、後者が喉ごしで味わう風味と言われるもので、風邪をひくと食べ物が美味しくないのはこの風味が感じられないからです。 

お茶などは特にこの喉ごしの香りが大切で、喉の奥で感じる滋味は後ですっきりした甘みになりますが、似た味に感じる苦味が舌先で感じるようになっているのは毒性の物を、酸味は腐敗した物を吐き出すために舌の前方で感じるようになっているから苦い薬は口の奥に入れて飲んでいるのです。

お茶もコーヒーも風味と滋味が大切で、特に滋味は品質の良し悪しと関連していて後口が甘味に変わり口の中にほのかに爽やかな余韻が残ります。

人と別れた後の心の中に似て、良い人と別れた後の何とも爽やかな気持ちと、嫌な人と別れた後の不愉快さが続く気持ちに似ており、それを口で感じるか? 心で感じるか? の違いだけです。  

滋味を味わう嗜好品は人類だけの発見でストレスへの緩衝効果があるからで、同じ五分間の休憩でも好きなコーヒーやお茶を味わい過ごすとリラックス具合は全然違うと思います。 

コーヒーの場合は酸味と苦味の強弱で種類がありますが、高価なブルーマウンテンは喉越しの香りが強いのですが味は柔らかで真っ直ぐなので、少し苦味のあるものをブレンドした方がコクが出て旨味が増すと私は思っています。 

シャネルなどの香水も優しい上品な香りに、少し嫌な匂いをブレンドした方が香りに深みがでるそうで、ジャコウネコの肛門付近の分泌液をブレンドしたものが高級品に多くあるのはそのためだそうです。

また食事による官能が人間の持つ攻撃性に大きな影響を及ぼす実験がアメリカで行われ非常に面白い結果でした。 

凶暴な極悪人ばかりを収容する刑務所で半分の人達には通常の食事を出し、もう半分の人達には通常の食事より美味しい旨味成分の多い物を出し続けた実験でした。 

この実験の前にネズミでも同じ実験を行い、美味しい旨味成分のものを与え続けたネズミ達の攻撃性が半減していたので、人間も同じなのでは? と思い行った検証実験でした。 

結果はネズミと一緒で凶暴性が半減し、美味しい旨味成分のものを出し続けた受刑者達は穏やかになり些細なことでの暴力的な揉めごとが半減したそうです。 

言うことの聞かない子に、好物を与え『美味しいかい?』と聞き『美味しい』と答えてから行為を促すと言うことを聞くのと同じですが、旨味成分を摂取すると動物が本来持っている攻撃性が半減する検証結果は、現在子育てをしている家庭にとっては教訓となる貴重な情報だと思います。 

思春期に暴力的な不良になる子供達は、母親による手作りの美味しいものを与えられていないことが、やり場のない攻撃性になって発散しているのだと思います。 

訓練によって発達するのは触覚についても言えて、これは私の実体験ですが100kmマラソンで友人と走っていて50km地点を過ぎた上り坂で、盲人の方と伴走者が私達を追い抜いたので『ついて行こう』と下を向き必死に走っていたら、盲人の方が『登りきったら左カーブですね』と言い伴走者の方が『そうです』と言うので目を上げたらその通りでした。 

好奇心の強い私は『どうして判るのですか?』と聞くと『風を肌が感じるのです』と言いました。 

失った視覚を補うように触覚が鋭敏になり風を感じるのでしょうが、恐らく臭覚なども鋭敏になっていると思います。 

犬の臭覚なども目が悪く色盲の犬が視覚を補う意味で臭覚が発達したそうです。

心理学者フロイトは嗅覚については無視していましたが、臭覚は風味を味わう味覚と密接に関連していますので人間の心理に必ず作用していると私は思います。 

また嗅覚を失った人の死亡率が特別高い統計があり、まだ原因が判っていないそうですが臭覚喪失の原因が体内に何らかの病気がある事と関係しているのでは? と述べていました。 

これほどに五感で感じるものが人間の身体や精神と密接に関係しているのだと思い至りますが、人間が官能するものを日常に持っていることの大切さが判って頂けると思います。 

つまり五感で味わうものが心地良いものか? 心地悪い不快なものか? の違いが人間の攻撃性や情緒や人間性などに大きな影響を及ぼしており、きっと心地よいものには無意識領域の洗浄効果があるのでは? と私は勝手に推察しております。 

私は仕事が暇な時に突然妻への恋しさに襲われますが、そんな時にお茶やコーヒーを飲みながら妻との想い出が詰まった音楽を聞くようにしています。 

例えば二人で麻雀をする時に妻がいつも八代亜紀をかけてと言った想い出や、毎年春・夏・秋に富良野に行き綺麗な景色と美味しいものと温泉を楽しんで来た想い出を懐かしむ時は平原綾香の音楽を流し聞いています。 

その音楽を聞いていると無意識領域から意識領域に懐かしい情景が鮮明に蘇ってきて少しずつですが癒されます。

誰もが寂しさや悲しさや不安を抱えて生きることが人生なのですが、それらとどのように折り合いをつけて生きるか? 

その悩み苦しみこそが成熟に繋がっていますので、 できれば五感を刺激し官能しながらそれを生きる力に変えて、なるべく過去の良い想い出を心の滋養にして一人身の日々を少しでも心豊かな気持ちで過ごしたいと思っています。

目覚めの朝はクラッシックですが、洗顔から朝食の用意は定番のトーストをピザ風にして肉野菜炒め・玉子焼き・生野菜サラダ・コーヒーを二杯です。

今朝はパガニーニとラフマニノフに官能し楽しんでいるうちに料理が出来上がっていますので一石二鳥です。

お金や贅沢への欲望は塩を舐めるようなもので、更なる喉の渇きが欲望を増進しますので是非とも官能への投資をお勧めします。