ベイシックインカム

新年あけましておめでとうございます。

昨年の私は散々な年だったのですが、人は失敗や挫折や苦悩からしか学べないので貴重な一年だったとも思っております。

退院時は足元の不安から雪道への怖れが有りましたが、買物や除雪にも挑戦し少しづつ不安が払拭されてきており、今は足元への注意とコロナ感染への対処策に留意し過ごしております。

昨年入院中コロナ禍によって国民ひとり当たり十万円の給付や持続化給付金などの報道をテレビで見ていて、昔本で読んだベイッシクインカムという言葉を思い出していました。 

古くは十八世紀ヨーロッパの社会学者が提唱し始め、その後多くの経済学者なども提唱していることで、内容は国が全ての国民に毎月ある金額を支給する制度です。 

例えばひとり毎月十万円の給付をし、それ以上働き二十万円の収入を得れば合計三十万円の生活費になります。 

これは最低限の文化的な生活を維持する国からの給付ですが、その代わり生活保護や失業保険や年金などの社会保障制度は廃止され全てベイッシクインカムの財源になります。 

しかし恒久的に持続する制度設計にするには、例えば消費税で賄うとすると税率が五十%位になり百円の物を買うのに百五十円支払うことになります。 

問題は財源なのですが、資本主義の資本家に有利な制度設計を改善すれば消費税は二十五%位で実現できる制度だと思います。 

最近のトランプ大統領が七万円ほどしか税金を払っていないと報道されていましたが、西武鉄道のオーナーで失脚した堤義明氏もバブル時に世界資産番付で上位にいましたが納税額はトランプ氏と似たようなものでした。

もしベイッシクインカムが実現すればコロナによる自殺者の増加は起こらず、ブラック企業で我慢せずに済み転職も容易になり人材の流動化が進み社会や企業を活性化させると思います。

生活保護制度がなくなりベイッシクインカムになれば、国民年金との逆転現象も解消されますし、様々な社会保障制度にかかわる行政の人件費や経費なども削減され、最低限の生活が保証されると自殺だけでなく治安も良くなり、警察官の人件費だけでなく保安設備経費などや刑務所などの経費も節減できます。 

しかし実現には強力な政治力と莫大なエネルギーが必要なのは、既得権益を持つ政治家や財界や官僚や高額年金受給者などの反発で、一般の想像力を超えるものが深く潜行して行われ実行する者を失脚させる様々な嫌がらせが横行するでしょう。 

戦国時代の裏切りのように、男の世界の権力闘争は女の世界の嫉妬や妬みなどを遥かに超えた利害闘争なので、お互いに相手の息の根を止めるような醜い行動が裏と闇で行われます。 

頭が良くずる賢い人間は世間への建前と己の利益への本音を上手く使い分けて社会を欺き、権力維持や獲得と利益誘導を諮っていますので見破るには深い見識だけでなく長い時間軸で判断する知恵が必要なります。 

例えば経済学者の竹中平蔵氏は小泉政権の時に経済財政担当大臣でしたが、構造改革の一環として郵政民営化だけでなく人材派遣法を改正し製造業にも解禁認可する法案を通した張本人です。 

詳しく述べられませんが郵政民営化にも裏がありましたが、人材派遣を2004年に製造業にも解禁したことが多くの中流が下流に落とされ今の格差拡大に繋がっており、その最大の被害者が2004年以後に社会に出た若者達だったのです。 

昔は悪代官と豪商が結託し米や塩を高騰させ、悪代官に賄賂として還元していたのと同じことが現代でも行われているのです。 

製造業への解禁は財界からの要請も裏であり、2006年には医療業界や銀行業にも解禁されましたので、結果として大企業において正社員は激減し人件費の削減だけでなく、リーマンショック以後は派遣切りが横行し不況になれば派遣切りは常識になり、現在大企業の派遣社員比率は約64%になっていると読んだ記憶があります。 

人材派遣を製造業に解禁してから人材派遣最大手のパソナの売上げと社員数は右肩あがりですが、この時期以降に人材派遣会社が激増したのは搾取としての旨味が豊富だったからです。 

十六年後の現在竹中平蔵氏はパソナ会長の要職に付いており森永卓郎氏の本によれば推定年収一億円だろうと記述しておりました。 

現在竹中平蔵氏は私の嫌いな会社オリックスや銀行の社外取締役も兼務しておりますが、現在の菅総理とも繋がっており小泉政権時代は竹中平蔵氏が菅総理の上司だった時もあった深い関係です。 

現在政府が普及したがっているマイナンバーカードなどもパソナのビジネスになっています。

こんな事を述べるのは僻んでいるのではなく、いつの時代も人間とは権力と結び付き小判を集める邪悪な側面があるということで、特に若い頃に妙に純粋な側面を持っている人ほど、時代の流れの中に翻弄され大人になるにつれて、誰の心にも存在する心の隅に潜んでいた邪悪さが肥大するような気がします。 

竹中平蔵氏も十八歳頃から大学生時代に部落差別の解消運動に参加しており、大学も東大入学を目指していたのですが学生運動で東大入試が中止され一橋大学に入学したなど社会の荒波に翻弄された屈折した青年時代だったようです。 

逆に思春期や青年期が不良でどうしようもないヤンキーが、家族や廻りの人達に律儀で筋を通した優しい人間に変わって、人間としての一番大切な矜持(誇り)を身に付けていたりもします。 

そんな光景を見続けてきて思うことは人間も水に似て、汚い山の水が流れ流れて石や砂に洗われ下流にくる頃に綺麗な水になるのに対し、反対に綺麗な水を汲んで一箇所に置いておくと澱みやがてボーフラが湧くに似ています。 

建前は平等を詠う人間社会も現実は階級社会で、矜持を身に付けている人は様々な階級の人間に出会い傷ついたり優しさに触れ助けられたり誰かを助けたりなど、様々な苦い経験と厚い情けに触れて心が洗われているのでは? と思います。 

もし上流社会だけにいたら搾取や傲慢さは常識になり、下流社会だけに置かれたら卑屈さや暴力が身に付き常識化してしまうなど、人間とは搾取や傲慢さも卑屈さや暴力にも慣れてしまう悲しさがあるような気がします。 

蛙を鍋の水の中に入れ少しずつ熱くすると飛び出さずに死んでしまうのと同じで慣れとは恐ろしいものです。 

頭の良くてずる賢い人は言葉使いが巧みで凡人が容易に騙されるのは、言葉を解釈する人によって変わる二重の意味を上手に使い騙しています。 

竹中平蔵氏が小泉政権のブレーンになるという報道直後、NHKの深夜番組インタビューを見た時に『努力した者が報われる社会を作るために構造改革が必要です』と述べていましたが、就任後にやったことは高額所得者の累進課税率を大幅に下げ、広く薄くと詠い一般国民への所得税率を上げて格差を大幅に拡大させたのです。 

つまり努力した者とは高い地位にある高額所得者のことで、日々汗をかいて働いている人ではなかったのです。 

ベイッシクインカムを最初に唱えた人はヨーロッパの権力者が搾取を続けた歴史を哲学的に捉え解決策はないものか? と思ったのではないか? と推察しますが、著名な経済学者のケインズも若い頃は否定的だったそうですが、晩年には財源さえ確保する方策が見つかればと肯定に傾いたそうです。 

新自由主義が幅をきかせてから富の偏りが進み、富める者はより富み・貧しき者はより貧しくなり、コロナ禍で自殺増加や家庭内不和によるDVや虐待などの増加なども最低限の文化的な生活が脅かされた結果起こっていることです。 

私が一番恐れていることは、そのような環境下で育った子供達が社会に出てくるときの治安状況と結婚して家庭を持ったときの家庭と社会状況悪化への怖れです。 

人間の育った文化とは恐ろしいほど根深く強烈で、戦争などはほぼ文化の違いに端を発して起こっており、同じ人間に対して憎悪を抱いて殺害するという底知れぬ邪悪で強力なエネルギーを合わせ持っております。 

現在を生きている私達大人には未来を生きる子供達に様々な責任があるのですが、現在の格差で追い詰められた大人達にはそのようなことを考える余裕すらないから自殺とDVと虐待が増加しているのだと思います。 

誠に誕生とは理不尽なもので親も性別も時代も選択できず、誕生そのものが選択できずに生まれていることを芥川龍之介は小説で皮肉っておりました。 

私も生まれた不運を幼少期は嘆き過ごしていましたが、思春期以後に私は何も選択できずに生まれてきたがどう生きるか? は自分で決められると気が付き以後は選択と決断を大切にしてきました。

若者に送りたい言葉は『不苦者有智』福は内と読みますが、苦しみのない者には智恵が有るという意味で、知恵こそが自分の居場所である家庭や仕事場に福をもたらすことに必ず繋がっています。

妻を失ってからの私は誕生が決められないのなら、死は選択できてもいいのではないか? と思うのは、妻や子供への責任を果たし社会から必要とされる仕事や自立した生活ができなくなって生きる苦悩を考えると耐えられないと思うからですが、だからこそ健康に留意し精一杯全力で生きるべきとも思っております。

そして『死もまた社会奉仕』とも思っているので安楽死とベイッシクインカムの実現を望んでおりますが、安楽死は認めている国もありますので可能性があってもベイッシクインカムは困難を極めると思っています。 

弱者を救うベイッシクインカムは強者にとっては財源を供給する側として不利になり、権力と財力を持っている強者は決定権限も併せ持っているので難しいと思うのです。 

終戦後の高度成長は朝鮮戦争とベトナム戦争という他国の不幸による恩恵がありましたが、その間に一億総中流の時代を迎えたのは高額所得者ほど税負担が高い累進課税と贅沢品への大幅な課税によって実現しており、池田勇人首相の所得倍増計画などは経済学者下村治氏の都市と地方の所得格差解消と全国民に豊かさを実感させるという思想が根底にあり、敗戦国日本の下村氏が戦勝国米国からの金利差などの圧力に対し毅然と戦い勝ち取った結果です。

当時の経済学者が絶対無理と言った、国内総生産(GDP)10%以上を十年以上続けながらもインフレを起こさないという宣言を実行し成し遂げたのは病床においても学び続けた成果で、需要に対して生産能力が安定的に供給されればインフレは起きないということを証明しました。

所得が倍増し市中にお金が溢れるとインフレが起こるという常識を打ち破ったのですが、バブル期の土地高騰(インフレ)は限られた土地に投機が殺到したからで、土地が無限に供給されたら高騰は起こらないように、インフレは需要に供給が追い付かない時に起こり石油危機のトイレットペーパーやコロナ禍のマスクも同様です。

その中流が下流に落とされ格差が拡大したのは、構造改革という響きの良い言葉で行われた規制緩和と課税制度の変更で、強者に有利に弱者に不利に制度変更したことが根幹の原因です。

終戦後の食べ物もない貧しい時に極端に自殺者が少なかったのは、全ての人が貧しく格差が存在しなかったからで、人は悲しいもので皆が貧しい時は頑張れるのですが、自分だけ貧しいと思うと打ちひしがれるか? 凶暴になるか? なのです。 

人間とは相対評価で自分の価値を決めており、人の幸せを見て自分の不幸を確認させられ惨めになり自死を選択しているのです。 

人間は健康なときには考えもしないのですが、どんな人も病気になるまで病気にならず、そして死ぬまで死なないだけで、誰もが必ず病気になり誰にも死は訪れます。 

死んで三途の川を渡るのには五円あれば足りるのですが、地獄の閻魔様に一億円を渡すと天国に移してくれるか? 多分一億だけ取って地獄へ送るでしょう。

井上陽水の『長い坂の絵のフレーム』の歌詞の中に『時々はデパートで孤独な人のふりをして、満たされた人々の思い上がりを眺めてる』があり、私はこのフレイズを竹中氏に贈ります。 

しかし下流に落とされても搾取されても投票率が下がり続けている日本国民にも半分責任があり、何事においても社会を劇的に変化させる力を持つのは政治なのだと自覚することです。

政治家なんて嘘つきで信用できないから投票に行かないという無責任な行動を取り続けると、組織的な投票行動をする団体と政治の癒着が進み、例えば宗教団体の創価学会による公明党の台頭や財界による政治献金などで大企業優遇の政策に反映されます。 

高齢化社会で医療費の占める割合が莫大ですが、今の対処療法的医療から病気になる要因を告知し予防する生活習慣に変更すれば、健康寿命が伸び医療費は劇的に削減できることが判ってきており、これからは予防医学が主流になると思います。 

今の社会保障制度も全てが対処療法なので終末医療など含めて莫大なコストがかかっていますが、ベイッシクインカムは社会生活における予防医学的な思想で、子供にも支給されますので少子化対策(四人子供がいると六十万円)や貧困層の解消や犯罪の減少やブラック企業からの離脱や起業なども容易にできるようになるなど多くの利点があります。 

人によって労働意欲が向上する人と低下する人に分かれそうですが、カナダの一部地域での実験では労働意欲の低下は起こらなかったそうです。 

一番大きな問題は財源ですが、行政コストが削減されることは公務員の削減ですし、年金機構の解体も利権がらみですので抵抗勢力は大変な数にのぼり、また積み上げた年金をどうするのか? など難問だらけですが、いつか下村治氏のような高邁な思想の若者を発掘し指導者が登用できるか? が鍵です。

ちなみに下村氏は元大蔵官僚で、結核で三年ほど病床にいた挫折時に不遇を嘆かず前を見て経済学を勉強し直し、ケインズ経済学の欠点に気が付き経済成長に伴うインフレ抑制策を見つけました。

大蔵官僚としては傍流でしたが、池田勇人氏は首相になった時に下村氏を経済顧問として迎え入れ最後まで守り抜きました。

下村氏も終戦後のハイパーインフレを目の当たりにしていたので

構造改革を実行したのですが、内容は竹中氏とは正反対の構造改革で庶民の豊かさの為に米国や国内権力に屈せずに毅然と実行できたのは若さの力と人間としての矜持を持ち続けた結果です。

いずれ立派な思想を持った若者が輩出すると思うのですが、池田勇人首相のように発掘し登用できるか? そして登用した人を権力者が守り抜けるか? 権力者の見識と大きな器が必要です。

『東洋の奇跡』と言われた高度成長のようにベイシックインカムも夢のようですが、やがて下村氏のような矜持を持った若者が輩出すれば不可能ではないと私は思っています。

明治維新の原動力は薩摩・長州・土佐の若い下級武士達でしたが、巨大な既存権力を破壊するには若者が持つ無謀な側面と湧き上がる底知れぬエネルギーが必要で、各藩の藩主も階級にこだわらずに人材を登用したからでした。

果てしなく肥大するエゴと欲望の資本主義から、選択できずに生まれてきた不運な人間にも公平な分配で機会の平等を与える新しい資本主義へと変革しないと、今のようなとめどない搾取が続くと家庭(家族)を壊しやがて社会を破滅へと導くと思います。

正月休みに書いたので少し長くなってすみません。

新しい年を迎え皆様も自分の居場所を大切にして、知恵を絞って日々を良い日にすることに繋げて下さい。