私の思う愛とその育み方。

リハビリ中に若い先生達とお話をしていて結婚や恋愛について話しながら、私の思っている愛の育み方について話したことを書いてみます。

七十年間生きて来て最高の愛の形は『自己犠牲の愛』だと確信しております。 

妻や子供のために精神的・肉体的な犠牲を払って働くこともそうですが、お互いに様々な行為の中に自己犠牲的なものが含まれております。 

しかし日常に流され相手のその行為に気付けないことが多く、つまらない争いになるのは自分の行為を押し付け相手の行為に感謝できない積み重ねから三組に一組の離婚に繋がっています。 

恋愛は究極の錯覚ですが錯覚し続ける努力が肝要で、ある時妻が化粧をしていた時『みっともなくなった』と嘆いたので、後ろから抱き『本当にそうだね、でも後ろから抱くと大丈夫』と優しく言いました。 

私の妻は口数が少なく感情的な言葉を吐くタイプではなかったので『そうかい』と笑っていましたが、大事なことは一時の感情で相手を傷つけないことです。 

私は感情の起伏が激しいタイプでしたが、じっと胸に仕舞い込むタイプの妻から多くを学び感情的になった時は、胸の中で一拍置き反芻してから穏やかな口調を装い文句を言うように努めました。 

例えば謝りたくないのに謝らなければならない時は、怒鳴る口調で『ごめんなさいね!』と言うと妻が『それ謝っているの!』と返すので、今度は優しく『ごめんなさい』と言うことで喧嘩にならず終わります。 

歳を重ねるとお互いにつまらない失敗をするのですが、そんな時にはいたずらぽい視線で『お母さん素敵!』と言ううちに、妻も私が失敗すると嬉しそうに『お父さん素敵!』と返すようになり、それが日常会話になりました。 

妻の母やお客さんが来ていた時も自然に使っていたので『あなた達は仲がいいんだね』と誤解されました。 

お互い失敗した時『何やっているんだ!』などと言われたら溝が生まれお互いが不愉快になるからです。 

人と言う字の短い方は私で、実は妻や娘を支えることで支えられており、その支えを失うと倒れ易いように触れ合うことで実は成立しています。 

私が妻に結婚して欲しいと言ったのは『ひとりで生きて行く強さが私にはない』からと正直に話したら、妻が『私でいいの?』と聞いたので『あなたがいい』と言ったら素直に『ありがとう』と喜んでくれました。 

愛を育むには一時の感情を吐き捨てることを慎むことと、相手への敬意と愛情として自己犠牲的な行為を喜びとして行うことです。 

これは子育ても同様で、子供への自己犠牲的な行為を恩着せがましくせず、愛を与える行為を喜びとして行っていると子供は肌で感じ取って、その愛に応えなければと自覚し自らの意志で正しい方向に修正し成長します。 

子供を支配し命令するのではなく、何事も本人が自覚し本人の意思で行うようにするためには、親が親として成長した分しか子供も成長しないと思い定めることです。 

妻に対しても悪い所は文句を言うのではなくお願いをするように心がけ、希望通りにしてくれたら『ありがとう』というと、妻は努力が報われと感じ少しずつですが変わってくれました。 

一時の感情を吐き捨てる習慣の人は、実は子供時代に親からの愛情を充分もらっていない可愛そうな人なのです。 

親から慈愛や自己犠牲的な愛を充分に浴びて育った人は、何事に対しても僻みや妬みが少なく、人の何気ない言葉に対しても変な感情で忖度せずに素直に受け入れるので、人間関係においても善循環が起こる『徳』を身に付けています。 

反対に僻み妬みが多い人は何気ない言葉や行為を僻み妬みで解釈するので、嫌われる悪循環に陥るのですが本人は気付いていないので『なぜ廻りは私に優しくないのか?』と怒っています。 

娘が結婚して数年後に『私が男の子だったら同じように育てた?』と聞かれ、その動機に察するものがありましたが聞かずに『男の子だったら少し薄情に育てたと思う』と答え、理由は男の子には葛藤を多くして育て他者への配慮という社会性を強く身に付けさせないと、社会に出てから多くの人からの協力を得られず、七人の敵に対しての戦闘能力が落ちるからです。 

男の子を女の子のように慈愛だけで育てると、甘やかされた闘えない駄目な人間になると私は思っています。 

愛情だけでなく父親が壁になり、息子がその父を越えようとあがくことが戦闘能力向上に繋がっており、ある時父を越えたと思わせたら大成功ですが、やがて父が歳を取り息子が父に慈愛を覚えたら『息子にとって父は最初で最後のライバル』だったと理解してくれます。 

残念ながら私の父は可愛そうな人でしたが、私はそのような父を反面教師として学ぶよう努めました。 

子供や妻を支配したがる男は実は弱さの反動で、社会的に認められない男ほど家庭内暴力や虐待をするのも反動現象です。 

私も弱さに苦しんでいましたが妻と出会ってから、話をじっと聞き共感し見守ってくれる慈愛を覚えたので、いつも一緒にいると何とも居心地の良い母性を実感しました。 

男はどんなに美しい女性やお金を稼ぐ女性であっても、自分を容認してくれる母性がない女性には不満を感じて浮気をするのは、母に抱かれた赤子のような心安らぐ母性を傷つき辛い時に求めているからです。 

その母性に満たされた男は戦闘能力が上昇し、強さがみなぎり慈愛に溢れた自己犠牲的な行為も厭わずに喜んでするのです。 

女性は男に強さという父性を求め守って欲しく、男は女性の母性という癒しの補給基地で回復し家族を守るための戦闘能力を上昇させます。 

人間は愛でも物でも沢山もらうと少しは返したくなる動物で、もし返って来なかったらまだ充分に与えていないのだと考えるべきなのです。 

私の妻は口数が少なく黙って聞いているのですが、ある時『本当によくしゃべるね、まるで男のおばさんだね』と言われた時、私は『お母さんは女のおじさんだね』というように瞬時に切り返す私にいつも呆れておりました。 

普段から妻には頭が悪いから言葉が出て来ないんだよと悪態をついてましたが、妻は『私は頭が悪いから、お父さんが頑張れ』と受け流してくれました。 

我が家では本当のことは怒らない約束なので、その代わりに妻は私に対して何事においても『小生意気なひねくれ者』を枕言葉に置いて話かけてました。 

私が熱を出すと『小生意気なくせにすぐ風邪をひく』と言うので『お母さんは頭が悪いから風邪をひかないんだよ、お願いだから優しくして』と訴えましたが、夕食は必ず消化の良いものを用意してくれました。 

夜の仕事に行きたくないでぐずぐずしていると、『じゃーやるんでない』と言うので『じゃーやろう』と出かける私の背中に『右と言えば左のひねくれ者』と投げかけましたが、実は私の背中を押していたのです。 

閉店後でも夜の仕事でも帰宅すると必ず『お帰りお仕事ご苦労様』と労う言葉を忘れず、これだけは喧嘩をした時でも欠かさず本当に感心していました。 

私が若い頃『あなたはよく毒を吐く』と言われましたが、実は薬は毒を少量使うから薬になるように、家庭や人間関係でも絆を作り上げる過程で少量の毒を使うと良い効き目があります。 

毒にも薬にもならないという言葉がありますが、家庭の平和を維持し戦争を回避するためには会話という外交交渉が大切で、毒を吐き小さな摩擦を起こすと、お互いの癖や性格が表出しますので相互理解のために小さな摩擦は必要条件です。 

お互いの癖や性格などの理解が進み、お互いが阿吽の呼吸を身に付ける十分条件で満たされると、毒への免疫ができて苛々せず心に安らぎを感じる関係になります。 

ある時『お母さんは店も手伝わず自由な放し飼いの野良犬です』と毒を吐くと『私は犬かい? お父さんは何様なの?』と怒ったので『私はあなたの忠犬と番犬です』と瞬時に答えたら『お父さんも犬ならいい』と喜んでました。 

家庭の平和を維持するためには様々な愛の形を変幻自在に駆使して楽しむ余裕が必要ですが、愛とは贈与が基本で相手に愛を求めるのは搾取です。 

相手に愛を求めようとしている時は立ち止まって、私は求めるだけのものを与えているか? を考えることです。 

私が辛く疲弊して母性を求めた時、妻は決して頑張れとか男の癖になどと言わず黙って聞いてくれ、苦悩を吐き出すように欲情した時は獣の私を黙って抱きしめてくれました。 

恋という字は下に心ある下心で悪い所を隠しますが、愛に昇華すると真ん中に心がある真心になり相手の悪い所も含め愛することができるようになります。 

哲学者フロムは『愛するということ』の本の冒頭で『愛は技術である』と述べ、仕事やスポーツで技術を磨くように日常生活の言葉や行為においても人を愛する技術を磨く努力を推奨しています。 

人は咄嗟の時と危機の時に邪悪さの本性がでますが、そんな時に愛を与える言葉と行為が瞬時にできるようになると成熟へと繋がっています。 

育った文化も個性も違う他人のふたりが錯覚し恋に落ち所帯を持ったら、決して理解によって別れるのではなく調和への歩みの始まりと思うことです。 

歌のデュエットのハーモニーは高音と低音の違う音の調和で歌に広がりと美しい音色を奏でますが、お互いが相手の音色に合わせようと耳を澄まし調和させているのです。 

文化も個性も違うふたりが融合し新しい文化の家庭を創り上げると愛のハーモニーが生まれ、心安らぐ家庭になり愛情をいっぱい浴びた情緒の安定した良い子が育ちます。

リハビリの病院にいた時に気が付いたのは、期限で退院する時の行き先が自宅か? 施設か? を決めるのは本人でなく親権者で、どんなに本人が帰宅を希望しても奥さんが自宅で看られないと言うとソシャルワーカーは施設を斡旋します。 

一度入院したら親権者の手の平の孫悟空と一緒で、老後の夫婦・親子関係の有り様は長い人生の総決算です。 

男は外で気分が良いと家族を粗末にしがちですが、そんなことを続けた人は『江戸の仇を長崎で』取られる憂き目に逢います。 

愛と時間は取り戻せないもので、どう生きたか? 誰のために生きたか? が老いてから病気になり弱者になると突然あぶり出てきて、報いを受けるか? 優しさと慈愛に包まれるか? 後者は少なかったと思います。 

私は今でも妻が大好きなので、寂しくなると妻の写真に向って『お母さん』と叫んでしまいますが、妻を失ってからベッドに入ると必ず吉田拓郎の『白夜』を聞いて寝ます。 

この歌の歌詞が取り残された私にピッタリなので、妻と孫の写真を見ながら毎晩聞いても飽きないのは今も妻と孫達を愛しているからです。

先日孫達が来た時も拓郎の『ボイス(声)』が店内に流れていたのですが、お姉ちゃんが『マー君じぃじ懐かしいね』と嬉しそうに言ったのには二人だけの想い出が詰まっていたからです。

婿殿には怒られそうですが、歌詞に『セクシーな声っていうのはチョコレートみたいな声で、乳房が固くなってくるそんな声なんだそうだけど、乳房が固くなるってゴム風船みたいなのかな? 僕のオッパイはあずきみたいで初めから硬い粒なんだ』が入っているのですが、4歳から5歳頃までドライブしながら二人でリピートにして声を張り上げ何度も歌っていたからで、私が約一年近く入院していたので懐かしかったのでしょうが、その言葉を聞いて孫が愛おしくてたまりませんでした。 

そんな娘達の家庭と年程前にある誤解から小さな摩擦が起こった時に、翌日娘が話があるとやって来て『家族を守るために私を一番大切にし、二番目が夫で次が子供達で、お父さんは五番目だからね!』と念を押されました。 

『はい』と答えて帰る娘の後姿に家族愛への誇り高さを感じ安堵し、その夜に仏前の妻に次第を報告して共に喜び合い、これで安心して死ねると確信しました。 

今は要介護二の私のために夕食のおかずを届けてくれるのですが、娘が風邪をひいていたので『お母さんがいなくなってから、あなたが私の一番なので身体を大切にして下さい』とメールしました。 

ちなみに妻を失ってからの私は娘と一緒で、私自身を五番目と思って暮らし続けておりましたので、上位四人に及ぶ悪害は私にくるように願っていたので今回の病気も私で良かったと本心で思っています。 

入院中には役所や病院の諸手続き、どうしてもお茶が欲しいというお客様への販売や通信販売のお客様への荷造・発送など、仕事に家事に保育園の孫達の世話で忙しい合間にやってもらい店の在庫はほぼなくなっていました。 

この行為を娘が続けられた背景に婿殿の理解と支えいう深い愛が隠されており、そのことを決して多く語らない婿殿には心から感謝しております。 

婿殿が休みの日は婿殿の手料理も届くのですが、手が込んだ繊細さが感じられる美味しい料理で、今はただひたすら感謝し行為に甘えその分をリハビリに励み睡眠時間に当てています。

早く元の元気さを取り戻し、下の孫の保育園の送り迎えや来年入学するお姉ちゃんの下校後の休息場になりたいと思っています。

人はひとりで、そして愛する人がいなくては生きていけないと思うのですが、ひとりの寂しさを感じた時は四十三年間の妻との想い出を、そしてまだ愛する人がいる喜びを確認し立ち上がろうと奮起している毎日です。

今年最後のブログですので『来年は皆様に良い年でありますように』心から願っております。

ほぼ一年ほど病院生活だった私も、来年は良い年で有りたいと願っております。