現代人のねじれと歪みの根源。

 

現代日本人の建前と本音の乖離が常識になっている『ねじれや歪み』の源は、加藤典弘氏の『敗戦後論』に書かれていた、ケジメをつけていない二重人格的な人格分裂を、未だに日本人が克服していないことに源があるような気がしております。 

戦後の大きな問題である賠償問題や侵略戦争への謝罪や憲法などは日本人自身が決定したものがほとんどなく、あらゆるものがアメリカの言いなりで決定されたことを丸呑みし、未だに日本人自身の頭で考え決めようとしない曖昧な姿勢の恒常化が、建前と本音の乖離という人格分裂を生むことに繋がっているのですが、その自覚自体が現代の日本人にないことが問題です。

   それは暴力的な家庭に生まれ育つと、思春期頃には暴力的な『力

  が正義』が文化として沁み込んでしまうように、敗戦を経験し七

 十年以上を過ぎても日本人の誇りとして自力で考え決めることが

 出来ていないことが染みついているのと同じです。 

義務と責任を果たし自由と権利を主張する『一身独立して一国をなす』という福沢諭吉的な思想が身に付けられず、自立経済や自立外交への不安から、自分達で考え自分達で決めることへの不安から拒絶反応を起こし米国に迎合し属国化し続けています。 

人間社会に沁み込んだ文化的なものの威力は強大で、戦争のほとんどは文化の摩擦が原因で、残りが利害と孤立主義などが遠因ですが、もう敗者の属国文化を拭い去らないとねじれと歪みは矯正できないと思います。 

加藤氏が述べている戦後日本の第一の問題は、戦争放棄の憲法がアメリカの軍事力という圧倒的な力によって押し付けられたという矛盾にあることです。 

また開戦の詔勅に捺印した最高責任者である天皇が戦争裁判で免責され、下僚が代わりに絞首刑になった矛盾もあり、米ソ冷戦に突入すると平和憲法を押し付けたアメリカの要請で自衛隊(最初は警察予備隊という偽善名称)という軍隊を創設した二重の矛盾も抱え込んだままの日本です。

  これらの矛盾を根源に抱え込んだまま高度成長からバブルへ突入

 し物質的豊かさに溺れ思考停止して来たことが、日本の社会、政

 治、道義などに『ねじれや歪み』を拡大させ続けたのですが、こ

 のままでは日本人は歴史への主体を持たない分裂した人格に苦

 しみ続けることになると思います。 

この憲法の理念に賛同するにしても、真に日本人のものにするにはアメリカに武力で押し付けられたという『ねじれと歪み』の克服を一度は試みなければ護憲派も改憲派も『ねじれと歪み』に目をつぶっている人格分裂状態であることでは一緒です。 

マスコミの新時代『令和』フィーバーの表層的なものに何か腑に落ちない違和感を覚えていたのは、今現在も天皇問題は表層的なままであることへの違和感でした。

敗戦時に日本社会に道義の根を残すためにも天皇は戦争責任をとって退位すべきと進言すべきところを、道義を超越している天皇に戦争責任を問うのは間違っているという偽善論理で、日本の侵略戦争への責任に目をつぶった天皇信奉者が大勢を占めて現在に到っているままです。 

しかし終戦まもなくは昭和天皇の責任を追及した元天皇信奉者も多くいましたので、ここでも日本人としての人格は分裂したままで、『ねじれや歪み』を解消するような議論や行動を意識的に避け続けた共犯者で、天皇問題に目をつぶったままのマスコミの『令和』フィーバーは煽動を主導した確信犯です。 

こんなことを言うのは、日本人の国民性を形成させているのは日本という国の歴史そのものであり、その歴史的な背景の影響を受け日本人としての文化を形成しているから対米従属が続いているわけで、染み込んだ文化的な国民性は様々な局面で反射的に表出し続けますので、この『ねじれや歪み』をこのまま放置すると日本の未来に災いを生み続けます。

  戦勝国アメリカへの従属とは正反対に、侵略国アジア諸国の死者

 二千万人への弔い方なども分裂しており、極端な例では同化政策

 で朝鮮や台湾から日本に強制連行され働かされていた人達が広島

 や長崎で原爆によって多数亡くなったのですが、原爆慰霊碑には

 名前さえ名されておりません。 

 日本人死者は兵士・市民を含め三百万強ですが、日本人の軍人・

 軍属を祀る靖国神社の戦没者慰霊名簿などにA級戦犯も合祀され

 載っていますが、ここでも朝鮮や台湾から連行され日本軍兵士と

 して従軍し亡くなった人達は一人も記名されてはいません。 

 侵略したアジアへの姿勢とは正反対に、戦争で負けたアメリカに

 七十年以上経過しても従属しているのは、従属が日本の権力者に

 とって地位保全に繋がるという利害目的のためです。

 しかし本音では先進国の仲間入りを果たし豊かな国にしたという

 驕りは持っており、強者には建前で卑屈になり、弱者には本音

 尊大という使い分けの人格分裂状態です。

  大岡昇平氏の『俘虜記』などを読むと、自分の捕虜収容所での経

 験などを書きながら、実は占領下の日本社会を風刺するのが狙い

 で書かれていて、大岡昇平氏は生涯にわたって日本人の人格分裂

 状態を正そうと意図し書いていました。 

 それは戦場の死者も広島・長崎原爆の死者も共に、愚劣な指導者

 の政府のもとで『市民』であったという事実です。 

 そして祖国を絶望的な戦に引きずり込んだ軍部を大岡氏は憎んで

 いましたが、自分はここまで彼らを阻止すべく何事も賭さなかっ

 たのだから、この悲惨な運命に抗議する権利は私にはないとい

 う姿を生涯にわたって貫いていたそうですが、このような一貫

 性を失ったままだから現在偽善が横行しているのです。 

 侵略戦争の謝罪から起こる真の誠意として、日本の犠牲者同様に

 アジアの犠牲者の死への償いも、国家として同様に扱っていない

 ことも人格分裂という病に繋がっているというのが大岡氏の批判

 ですが、このような筋の通った知識人も日本では少数です。 

 このような分裂病の中を半世紀以上も過ごして形成された私達現

 代の日本人の常識は、まるで文化のように建前と本音を使い分け

 る偽善の習性が染み込んでしまったようで、だから政界・財界・

 官僚・大企業エリートの不祥事が続いているのです。 

 日本だけでなくアメリカも病んでいますが、アメリカの場合は大

 義のなかったベトナム戦争が契機になっており、ブッシュのイラ

 ク攻撃で誤りを深め、トランプ大統領を生んでアメリカ自体が分

 裂へ突き進んでおりますが、もし再選されたら経済戦争だけでは

 済まないかも知れないと危惧しています。 

 日本における『安倍一強』なども、自民党以外に任せられるとこ

 ろがないという消去法で選択しているという声が多く聞かれます

 が、実は日本国民がこれまで健全な野党を育ててこなかった責

 任が一番大きな原因であることを棚に上げています。

  七十年以上にわたる対米従属というねじれを解消するためには、

 護憲でも改憲でも日本人の手による憲法審議が必要なのですが、

 安倍首相の憲法改正への姿勢をみていると、ワイマール憲法を形

 骸化し廃止に追いやったヒトラーに似た企みが垣間見られ、自民

 党改憲案の中に『非常時大権』という独裁的な首相権限強化の

 危険性が含まれていることを、マスコミは国民に徹底して知らせ

 る義務があるのですが、マスコミも権力に忖度して建前の非難ポ

 ーズと本音の卑屈な迎合を使い分けるグルのように思います。 

 第一次世界大戦の敗戦賠償で疲弊したドイツ経済の回復を願って

 民衆がヒトラーに期待し熱狂した状況と、アベノミクスへの国民

 の期待が非常に似ており心配な酷似材料です。 

 そして今ひとつ心配なことは、現在の日本の指導者層のほとんど

 『感情的で官僚的な』扱いに困る独善的な人間で占められて

 いることで、実態はパワハラ・セクハラの巣窟のようです。 

  お金や権力のみを指向する人間が政治家や官僚や企業人の中心を

 占め、その上位にいる者同士の癒着による腐敗で格差が進み

 企業不祥事は日常茶飯事なので日本企業の国際競争力が衰えるの

 は当然ですが、政治家も経営者も選んだ国民と社員にも半分は責

 任があるのですから、いずれ後世の世代が歴史的に眺め判断する

 時に非難されると思います。 

 江戸幕府の終焉は西欧の圧力が引き金でしたが、明治維新の原動

 力は長州や薩摩や土佐などの辺境の下級武士の若者でした。 

 世界の辺境に位置した日本が経済大国になったのですが、その基

 盤のほとんどを作ったのが明治人の気骨で、やはり明治人は利害

 を超えた図抜けた人間力を持った人達が多かったことを思い知

 らされます。 

  明治人には本音で自己より国を思う若者の気概が燃えたぎって

 り、二百六十五年も続いた巨大な江戸幕府という権力に立ち向

 い、西欧の植民地化から日本を守るため若者達が立ち上がり維

 を成し遂げました。

 しかし明治中期以降の皇国教育が大きな失敗の種で、その後の

 略戦争と惨めな敗戦に繋がったのは、富国強兵を急ぎ過ぎた明治

 府の教育制度の在り方が原因です。

 この頃文部省の教育勅語は聖域で、子供達は天皇教のような片寄

 った知識と情念を教え込まれ、集団的な自己欺瞞の催眠状態にさ

 れて侵略戦争に突入しました。

 その前の日露戦争の勝利という幸運が日本軍部の独善性を強め

 結果として惨めで悲惨な敗戦という破綻に繋がったのですが、現

 在も国の教育への介入強化が行われており似ています。

 明治以後大正・昭和・令和と続き世界はグローバル化しました

 が、現在も米国の巨大IT企業のグーグル・アップル・フェイスブ

 ック・アマゾン・マイクロソフトが黒船として世界を席捲してい

 ますが、これからの日本で期待できるのは令和時代の主流にいる

 若者達ではなく、やはり辺境で日本社会の腑に落ちない状況を醒

 めてみている若者達ではないか? と私は期待して令和維新を願

 ってります。

 大切なことは個人も組織も国家も、何事においてもケジメをつけ

 ないと『ねじれと歪み』が拡大し破綻に繋がることです。

 最初はわずかな『ねじれと歪み』ですが、時間の経過と共に拡大

 し人間性や社風や国民性として染み込んで、破綻という必然性に

 繋がっていると私は思っています。