より便利な時代の通信5G世界の悩ましさ。

娘の職場復帰を機会に、孫達の保育園での異常事態に備えスマホを持つようになりましたが、未だにいつも身に付けておく習慣ができずに苦労しております。 

携帯電話も科学技術が進化して通信の世界もまもなく五Gの時代を迎えますが、科学技術が進むほど倫理的なものが問われるような新しい問題が噴出してくるのが眼に浮かんできます。 

私には進歩が悩ましさを増やすように思えますが、進化を止められないのが人間の性で、農業革命から工業革命で銃・核兵器のような戦争時の殺戮数増加に繋がりましたが、情報通信革命の時代になって増えるのは精神病ではないかと思っております。 

農業分野では遺伝子操作などで社会的なモラルと研究者の倫理的な節度が求められ、工業分野では無人殺戮兵器へのモラルと倫理が求められるように、情報通信革命が進化し高速化すると悪用も高速化され無差別に犠牲者が出ますので、高速化対応のルールを確立しないとサイバーテロや詐欺も進化し潜行し横行します。 

その進化した技術は使用する個人の倫理観によって左右され、技術が進化・高速化した分だけ被害も大きくなるリスクがありますので、より有益なものにするためにはネット上の法整備が喫緊の課題になると思います。 

国家や社会の中で競争と公平を両立し共生して行くために求められるものは、ルール設定に到るまでの透明性とモラルと倫理なのですが、正の部分の技術が飛躍的に進化するほど負の部分も進化し複雑化するので、倫理的な判断も難しくなるように思います。 

特に情報のスピードが速い五Gの時代になるとウイルス感染なども一瞬で、技術的に優位な者の悪意は個人のプライバシ―や財産などを一瞬にして剥ぎ取り、お金よりも情報技術と情報量が権力に繋がる危険性を内包しています。 

医療技術の進歩は寿命の延びにつながり、豊かな先進国ほど少子高齢化になっている結果として、世代間や性差による軋轢や災いを家庭や会社という社会に生みだし、医療にも貧富の差によるモラルと倫理の問題が複雑に絡んで参ります。 

大切なことは科学技術が進歩するほど思想的な学問も併行して学ぶような態勢にしておかないと、科学技術を悪用する輩によって都市機能麻痺や、不平分子テロによる原発攻撃や核兵器の拡散などで社会的な危機も高まると思うのですが、現代社会は思想などよりお金信奉のエゴ蔓延で倫理低下が進んでいます。 

戦争による死者数は科学技術の進歩と共に急激に増加したように、何事も有効性が高まるということは破壊力も高まるということに繋がっており、コンピュター化された都市機能の破壊は通信五Gの世界になるとビットコイン詐欺のように一瞬のピンポイント攻撃で可能になるような気がしており、便利になることの裏に潜む有害なものへの警戒心を持つことが必要です。 

通信五G世界の映像進化は、擬似的に味わう映像体験が現実よりリアルに体験されそうで、恋愛などは現実のようなズレによる葛藤がない分だけ自己本位に楽しめるので、オタク的な人間の増加も見込まれ単身化と少子化がますます進むことにも繋がると思います。 

医療や社会インフラも高速・リアルタイムになり、人工知能の進化も併せて考えると単純労働者の仕事が少なくなって行くのも必然ですので、より格差拡大が進み治安悪化も同じ割合で進行していくという不安を感じています。 

人間の持つ新しいものへの好奇心を上手に刺激してビジネスに結びつける想像力を持っている者が豊かになり、その刺激に乗せられていく者が搾取され貧しくなる皮肉が目に見えてくるようです。 

便利に豊かになっていく誘惑に勝てない好奇心の裏には、錯覚による万能感を味わいたい精神的な飢餓があり、虚無感からの逃避で麻薬による万能感を求めること同じように、よりリアルタイムなゲームなどでやめられなくなる悪循環に陥るなども自己選択の結果で、誘惑し金儲けをしても結果は自己責任という嫌な時代です。 

人間の持つ向上心が刺激され善循環で努力を重ねる人と、努力しても報われない繰り返しや親の貧困による連鎖で悪循環に陥った人が持つ邪悪な感情も、実は同じ人間のコインの裏表として同居しているもので、もし立場が変わったら邪悪になる要素は私も含め人間誰しも持っているのではないかと思っています。 

便利さにおいては決して後戻りできない好例が車で、先日の保育園児死亡事故などは孫達と重なりニュース映像も避けたほどですが、私なども果たしてやめられるか? と思うと、いまの段階では難しいと感じているのが偽らない本音です。 

手軽で便利で安全が三要素ですが、手軽で便利な発明品も長く使用する中で初めて不都合が判明し、その対処として安全性の対策が進むのですが、車の自動運転も通信五Gの時代になると意外な使われ方で急速に安全性が進むような気がしています。 

私も二年前に安全性を考えてスバルの車に変えたのは、自身の年齢を考えて過信せずに車の安全機能の助けを借り、自分と他者の身の安全を考えたからでした。 

これからの車はもうほとんど電子機器で自動的に動くようになると思うのですが、これがある程度続くと運転による万能感自体が失われるので、いずれ車離れが必然として起こります。 

その頃豊かな人間は空を飛んでいるのか? と想像しますが、きっとその前に格差拡大の終着駅がやってきて、資本家が搾取し過ぎて搾取する対象自体を滅ぼしてしまう危機が訪れるような事態も考えられ、いずれ訪れる危機は暴動か? 革命などの戦争か? 弱者の奴隷化か?  または高度な思想による平等化につなげるのか? これから考える葦としての人間が試されます。 

現在先進国の豊かさの維持は、先進技術の商品を後進国に輸出し、後進国の人件費の安さで製造した廉価商品を輸入して成り立つ相互依存ですが、中国が急速に追い上げアメリカとの貿易戦争になっており、やがてベトナムやタイやインドなどのアジア諸国が豊かになったら次はアフリカに向かうのか? まるで西へ西へと向かう貧困ビジネスのようです。 

しかし技術移転や豊かさの普及スピードは早くなっており、アメリカと覇権を争うまでになった中国のアフリカ各国への経済援助に名を借りた一帯一路の布石は深く潜行して進んでおり、一党独裁政権の意思決定の早さにファシズムに似た危機を感じています。

しかし中国の今の強さは両刃の剣で、ソ連崩壊のように突然崩れ落ちる脆さを内側に抱えた一見強靭に見える体制でもあります。

便利で豊かな時代が進むほど、全ての世界で栄枯衰退のスピードが速くなりますので、どのような世界においても真にその世界状況を理解している人達ほど、実は未来への不安が増大していくという逆説的な時代にもなっているようです。

通信五Gの時代と人工知能の進化は、経営者が従業員を完璧に管理できるような方策にも使えますので、宅配便やタクシーのドライバーなどはGPSと携帯電話と車載コンピューターチップで完全に管理されて息など抜けなくなります。

最近の小説では国民の靴にコンピューターチップを埋め込み、国家が国民を監視・管理している未来小説も出ており、靴製造業者が国家の内密の手先になっている設定でした。

国家秘密警察による監視カメラ・携帯電話の盗聴などは最近知られてきましたが、コンピューターの高速化が進む通信五Gの時代を迎えたうえに人工知能の進化を組み合わせたなら、全国民を監視・管理するのはチップさえ埋め込めばすぐにでもできると思います。

つまり豊かで便利になることは主に権力者にとって好都合になることで、非権力者にとっては監視・管理されることになる不都合の方が多くなるから精神病が増えると思うのです。

私などは何事にも『何のために生きているのか』を考えて行動するので、お金や権力を手に入れるために不安と戦い競争し勝利する喜びなどには興味もない臆病者なのですが、ただただ誰もが生まれてきて良かったと思えるような社会になって欲しいが願いです。 

人間の戦争と闘争の歴史を考えてもエゴで、人を押しのけたり・人から搾取したり・人を騙したりしてお金や権力を手に入れ自分だけ贅沢をしたりするような闘争の繰り返しだったのですが、どんな人間も最後は死ぬ運命が待っているのは自明です。 

祖父の葬儀の時に私は十歳くらいだったと思いますが、当時無頼の人格者として一目置かれていた老人が筆を取り『骨身を惜しむな文句を言うな、歳を取って死ぬだけだ』というようなことを書いた姿と言葉は未だに忘れられずおります。 

過不足なくできているこの世の中にいい思いだけの人生などなく、むしろ愚直に生きる傷だらけの生き方の中に、生きた実感があり子や孫に染み込み実を結ぶ輪廻転生に繋がると思います。 

男女平等・国民主権の民主的な社会などと教育されて育っても、現実は差別に近い区別が存在しており、暴力やお金や権力という『力が正義』の社会が個人間にも国家間にも現存しています。 

最近のマスコミ報道なども建前では国民に迎合した正義を振りかざしていますが、実態は好奇心と覗き見趣味が目に余る状況が現実で、会社概要や報道を注意して見ていると陰の本音部分は権力に迎合し権力と癒着しているのが実体です。 

保育園児死亡事故以後、今まで没にしていた交通事故報道が堰を切ったように報道されているのもマスコミの常套手段で、森友問題や忖度問題は次第に忘れられ、陰の癒着は進み富める者と貧しい者の格差拡大は陰に陽により進み連鎖しています。 

世界的に右傾化していることは、このような問題への抑圧された不満を安易な形で政治に求めているのですが、その攻撃対象が権力を持つ強者にではなく移民のような弱者の排除に向っているのも、安易な自己保身のエゴが人間に存在しているからです。 

便利で豊かになる新技術で人間は生きられないのに高価であり、食べ物なしで生きられない人間なのに次第に食料品は廉価になっている先進諸国の矛盾した姿をみていて、私が携帯電話を持っていなかったときにアフリカのマサイ族が携帯電話を使っていた映像を見た時と同様の不思議さを便利な物に感じております。