日大アメフト事件の病根。

 

日大アメフト事件における内田前監督や理事長の対応には、日本大学内部に五十年以上もの長い期間巣食っていた体質的なものが表面化した事件だったことを偶然知りました。

それは五十年前の日大全共闘による学生運動の詳細を書いた本で、その当時の日大を牛耳っていた理事会や理事長の体質と、そこに到った背景などが詳細に書いてあり驚きました。

学生運動を細かく分析した上・下二冊二千ページからなる小熊英二氏の本(1968・若者達の叛乱とその背景・)を読んでみて、大学側が驚愕の資本家的な暴力体質だったことが判り、マンモス校ゆえに見過ごされ今まで改善されずに続いていたことを実感しました。

日大学生運動の経緯・百五十ページを読んで実感させられたのは、日本一のマンモス校誕生に高度成長と学歴偏重社会到来という強大な需要があったための供給側有利が背景にありました。 

その前は一部の裕福な家庭のみが受けていた大学教育が、高度成長の豊かさとベビーブームによる大学進学者増加がもたらした結果として、マンモス私大が必然として誕生して行きました。 

この大学志願者増加という急激な変化に、大学当局は教育理念を失ってしまい学費・入学金・寄付金という金のなる木に目を奪われ株式会社化していたのが実体でした。 

この頃は何処の私大もそうでしたが、日大を例にとるとマスプロ教育の実体は一講義五百人~二千人の講堂でマイク講義によって一方的に話す状態で、最初は座れない学生が沢山でてもいずれ嫌気をさし出席しない学生の増加で空きができるのが常態でした。 

学生運動の始まりは、このマスプロ教育の中で学費値上げが急激に行われたことが慶応・早稲田でも引き金になっており、この頃の大学はもう学問の府ではなくなっており、特に日大の場合は理事達の利益を生む株式会社になり下がっておりました。 

千九百六十八年には使途不明金二十億円あまりを国税当局に追求されていますが、この時の大卒初任給は三万円ですから、如何に大学教育が利益を生んだのかが理解できると思います。 

この頃の古田理事長という人も現在の理事長(相撲部出身)のように体育会系の柔道部出身者で、学生の頃から理事会からの要請に応え、体育会学生として学内鎮圧に協力した功績が認められ論功報償の形で理事になった人です。 

この頃には教授や専任教員も理事会に押さえ込まれており、学生七百人に対して専任教員は二~三人で教授の給与は八万円位でしたが、理事で多い者は二千万円の年収を取っていました。 

千九百六十八年当時の実体を十年前と比較すると、学生数は三倍に授業料は九倍に対して教員は二倍にしかなっていない状況でしたので、劣悪な授業内容を思うと学生と親からの搾取のやりたい放題だったと思います。 

こんな中で授業料の値上げが続き学生が立ち上がったのですが、日大の場合は政治色を排除した純粋な闘争だったのですが、理事会は右翼や体育会系の学生を使った暴力に報奨金を出すだけでなく、親には退学を匂わす封書送付や邪魔な者は退学処分なども平気で行使し、最終的に大学当局の思うままにならなくなると機動隊を要請し学生を権力的に叩き続けました。 

大人になることは清濁併せ呑むことですが、清などは微塵もなく濁のみの金亡者が大学運営を業としているのが実体で、学生食堂は座る場所もないのが常態で、学生使用の施設には投資をせずサークルの部屋などない有様で、理事会の傭兵として貢献した体育会系学生は、テスト用紙を白紙で提出しても『優』、勉強して提出した学生は『良』の判定結果が当たり前だったそうです。 

どのような組織においても急激な膨張時期は体質改善が追いつかないのですが、学生運動の背景には巨大なベビーブーマーの膨張があり、その対応に社会組織が追いつかなかった弊害が付きまとった結果ですが、その中でも日大の金権・暴力体質は異常です。 

学生運動の膨大な資料を読んで他大学と日大が明確に違う点は、理事会特に理事長の強権的な権力集中で、学生課・教授会・専任講師・学生など全てが金と暴力で支配されているのが実体でした。 

建前は綺麗事で社会や親に振る舞い、理事会に都合が悪い相手には右翼や体育会系学生を使った暴力で嫌がらせをし、それで駄目なら退職や退学という強権が常識の中で運営していました。 

おそらく政治家への金銭授受もあったと思いますが、金銭授受による裏口入学で新聞沙汰になったこともあり、理事だけでなく教授なども係わるという腐敗ぶりで、そのようなことを常態化しても大学への需要があったから、日大だけでなく現在のような私立大学のマンモス化に繋がったのだと思います。 

これほどに需要という社会の流れの勢いには抗し難いものがあり、特に日大のような学生数十万人という数字には、政治色の強いセクト側には魅力で『学園の民主化には資本主義の打破が必要』の論理で入り込み、これが闘争の分裂を生み終焉を迎えました。 

東大闘争以外はどこの大学も最初は授業料の一方的値上げが引き金で、日頃の教育内容への不平不満の鬱積があった上に『父母の血と汗の結晶』を平気で踏みにじる学費値上げに、民主教育の洗礼を受けてきた学生への大学経営陣の強権的な姿勢は、学生達の反対運動を一層過激化させました。 

学生達は日頃から体育会系学生の暴力によって押さえ込まれておりましたが、運動ピーク時には日本刀・ナイフ・チェーンを持つ右翼や暴力団も体育会系学生と一緒に来ていました。 

当時の古田理事長は佐藤栄作総理と懇意だったので、佐藤談話が発表されてからは機動隊による学園鎮圧も常態になりましたが、警視庁警備第一課長の佐々氏(赤軍派あさま山荘事件も指揮)なども学生に同情したほどで、闇入学・闇給与・闇取引の不正横行の強権による恐怖政治状態でした。 

理事会側は学生や教職員組合と交わした協定や約束を平気で破るのに対して、目障りな学生や職員は誓約書をタテに処分を繰り返し、およそ教育者とは思えないモラルを失った理事達でした。 

どこ大学でも純粋な運動高揚期は1ヶ月ほどで、特に夏休みに入ると規律が緩み指導部の空回り状態になって、最終的にはセクト間争いに発展し終結したのは日大闘争も同様です。 

人間は心の拠り所を失うと淋しく辛くなるので安易な連帯を求めるのですが、学生運動の根底にもこれがありました。 

しかし淋しさや辛さに耐えるということは『世の中の秩序の腐敗や矛盾を相対化して見ることに長く耐えて、自分の心の中で腐臭を放ち発酵し変質してから見えてくる相対的なもの』を確認するような経験をしないと、心の奥底から込み上げてくる淋しさや辛さには長期間耐えられないものです。

特に熱情的な情念による連帯は、打ち上げ花火のように一過性が多く持続しない宿命でもあります。 

これは老人問題にも当てはまり、現在の老人に急激に増加している認知症なども、老人が現代社会に存在する淋しさと虚しさに耐えられない副作用でもあり、世代間が分断された一見豊かな社会生活の中で、高齢化した老人達が若者や子供達を相対化して見る社会的余裕を持てなくなったことも一因です。 

この学生運動で亡くなった人や傷を負った人達が多数おりますが、その血の海の犠牲者は老練な大学経営者や政治家やその手先の人達の自己保身という不正との闘いに翻弄された犠牲者です。 

ちなみに日大闘争の重軽傷者は失明三人を含め七千九名、闘争前後の退学者は一万名でした。 

人間として良くも悪くも大人社会の矛盾した社会構造を真に理解できるようになるのは三十代後半になってからで、若者の純粋さゆえに翻弄され利用された要素も多々あったと思います。 

高級官僚とエリート養成の東大闘争だけは、医学部から起こった白い巨塔による若手医師への理不尽な伝統に対する反逆が始まりでしたが、セクト介入後に安田講堂に立て籠もり崩壊したのは、理論が先走った実践が伴わないインテリ特有の精神的な脆さで、オウム真理教の麻原教祖に洗脳されたインテリと同様に思えました。 

サラリーマン養成の他大学闘争もほぼ同時に起こった背景には、『大学合格という目的にしてきたものが幻想であった』という事実への戸惑いによる学生のアイデンティー・クライシスが引き金として何よりも大きく存在していました。 

日大のアメフト事件は、その学府の巨大さゆえに隠され残っていた古き悪しきものが表面化しただけで、今まで民主化されずに支配が残り続けたのは、世間では非常識な行為が日大内では常識として五十年以上通用していたからで、教育機関としては想像を越える巨大なファシズム的な帝国のままだったのです。 

どのような組織においても、お金という蜜で誘う力と人事権を握ると、多数の人間を自由に操る強固な権力として機能するのは、個々の人間の生身の生活という急所を突いているからです。 

『悪貨は良貨を駆逐する』と言いますが、時代の推移と共にやり口は陰湿化し合法化しており、派遣社員増加で格差拡大している近年のやり口は政治的に合法な手法で行っております。 

あおり運転の凶暴化や幼児虐待の増加なども格差が影響しており、底辺に追いやられ鬱屈を抱えて生きている日常の中で、幼児や他の車の些細な逆なで行為に自己本位の正義を振りかざす暴力なども、学生運動のアイデンティー・クライシスと同様の要素が内在しているから些細な逆なで行為が引き金になるのだと思います。 

『衣食足りて礼節を知る』と言いますが、一見豊かに見えているだけで銀行系サラ金・通信販売の誘惑と氾濫・クレジットによる需要の先食いの落とし穴誘惑だらけで、その誘惑に負けて破綻すれば法律の制裁を受けますが破綻するまで罪の自覚がない人も多く、まして自覚による不安を抱えた破綻寸前の人達の心中は、毎日がアイデンティー・クライシスの心理状態だと思います。 

幕末に鎖国の日本に訪れた外国人達が『この国には貧しさはあるが貧困がない』と言ったのは、貧乏人でもみな機嫌よく暮していたからで、たとえ貧しくても非人間的な行為をとらない状況を目の当たりにした驚きの実感からです。 

マンモス化した日大の不幸も現代人の不幸も豊かさの代償で、豊かなはずの今の時代の方が機嫌の悪い人が増え、他者に対して非人間的な行為をする人が増加してしまったのは、人より豊かにという相対評価による欲望の肥大が止まらないからで、それは個々人が自らの幸せに対する絶対評価を持てない悲しい結果です。 

日大の経営陣の金権・強権体質と同様のものが現代社会には蔓延しており、パワハラ・セクハラ・虐待・イジメや経済社会における知的弱者への罠なども、今は世界的に蔓延しているように感じます。

社会も組織も人間も時代の流れに翻弄されながら変遷して行くのですが、それぞれの人がどのような道に繋げるのか? 

その別れ道分になるものは、それぞれの人が育った文化的な背景が大きく作用していることを痛感させられています。

強欲を身に纏い権力とお金を手に入れても、いずれ死へ旅立つ時は誰もが身ひとつで行くのに・・・と思ってしまいます。

妻がいなくなった私などは、残りの人生をただ機嫌よく暮したいという願いと、孫達のような次世代への心配だけです。