家庭の平和維持。

家庭の平和は家族全員が健康であることによって辛うじて維持されていることを思い知るのは、家族のひとりでも病気になった時で、特に大黒柱に異常事態が発生すると、家族全員の歯車が軋み始めます。 

健康は空気のようなもので、失うまで貴重さを自覚できずに過ごしているもので、若い人達が『死』など他人事なのはまだ身体の衰えを自覚できないからです。 

健康な時は、健康や仲良きことや団欒など感謝ではなく当然で、お金や地位などのより安定した贅沢な暮らしに眼が奪われ、物質的な目に見える幸せを求めます。 

家族は苦難の時ほど意外と結束しているもので、生活に余裕が生まれるとお互いが勝手なことを始め、気が付いたら団欒が失われ壊れる家庭も多くあります。 

逆に働き過ぎて身体を壊し家庭が崩壊した家庭もありますので、仕事で得るお金は生活するための必要条件ですが、そのバランスこそが家庭の平和を維持するための十分条件です。 

お金は取り戻せますが身体は取り戻せず、『忙』しいという字は心が亡びると書くように、ストレスから免疫力が低下し心が病むと精神病になり、ウイルスや癌への耐性も低下するので身体の弱い部分が病気になり易くなりますのでいつも配慮が必要です。 

また忙しさを抱えての運転や仕事は事故にも繋がるので、運転と仕事への集中と気持ちを切り替える習慣も大切で、特に長距離運転時は目的地や自宅に近づくと気が緩み事故の確立が上昇しますのでホッとした時が要注意です。 

サラリーマン家庭でも私のような自営業の場合でも大切なことは、夫と妻がこの家庭を何処へ向って日常の歩みを進めるかを、漠然としてでも良いので目標や進路を決めることが大切です。 私の場合は行商からでしたので、取りあえずプレハブ店舗を持ち行商と店頭販売で生活の安定を目指しましたが、借家とプレハブ店舗の二重生活は金銭的にも肉体的にも大変でしたので、次の目標が店舗併用住宅を持つことでしたが、手に入れてからの借財返済は大変でした。 

しかし妻も私も肉体的にも精神的にも安らぐような余裕が持て、借財返済が終了した時に妻がしみじみと『店と家が一緒になっていなかったら、お父さんは病気になっていたね』と呟きましたが、私の日常の全てを見ていたから実感した言葉で、自宅と店が別々だったらこの言葉はなかったと思います。 

夫が会社勤め人の家庭では、家族は家庭で過ごす父親の姿しか見ておりませんので、お父さんの仕事における苦悩や辛さは理解できないから、母親による夫の評価が子供の父親評価に直結するので母親は重要な役割を担っています。 

私の場合昼は店頭で、夕食後は夜中までお茶作りに追われましたが、家族は自然にその姿すべてを見ておりました。 

店と家が一緒なので仕事の効率が上がり娘や妻との時間も増え、単純な仕事は妻も手伝ってくれましたので、私の心と身体の負担も減少し健康維持に繋がりました。 

ここで夫が会社勤めの人の場合、家族の生活費をもたらす父親の仕事を家族が目にしていない家庭の注意点があります。 

これは子供の心の成長に大きく係わる一生の問題に繋がっていることで、父親の価値を上げるのは母親の仕事で、母親の価値を上げるのは父親の仕事であるということです。 

普段はフランクな家族生活でいいのですが、ここぞという時には子供に毅然と『お父さん(お母さん)のお陰で』という言葉を子供達に言い聞かせることです。 

自分で自分の価値を述べるのは自慢にしか聞こえませんが、両親の片方が伴侶への感謝と尊敬を述べることが子供達の精神に及ぼす影響は壮大で、夫婦愛や尊敬や感謝など諸々が含まれ、両親の絆の強さを感じてこの家に生まれて良かったという自己肯定感や信頼感を醸成し、子供達の生きる力と勇気を育み子供の未来の生き方に確実に繋がって行きます。 

私個人としての健康維持法としては、夜中の仕事で集中する時は演奏のみの音楽でリラックスを、単純な仕事は好きな音楽を聞き歌いながら声に出してストレスを発散するよう努めました。 

借財に苦しんでも商いが忙しかった幸運に感謝しながら仕事に勤め、睡眠時間三~四時間の時は病気にならないように物事を前向きに考える工夫をしながらも、八~十時間労働で生活できるようにすることを目標にしたのは、いずれ歳を取って身体が効かなくなることと、娘の手がかからなくなるほどお金がかかるようになる未来を想像したからです。 

過労死の問題は単純に労働時間の長さではなく、嫌々仕事をするか? 必要とされ任されている実感を持って仕事をするか? で人間の体感疲労度は全く違います。 

現代の過労死は管理する側の圧力をいつも感じさせられ、労働者の裁量を奪う支配と命令による圧力で自己否定感も味わうので、精神が病み眠れなくなるという『管理される圧力に心身ともに疲弊し、生きる力を奪われた過労死』が実態です。 

努力の結果は当然で、その論功を奪うような上司なら次々と管理圧力は増し、イジメの負のサイクルのように際限がなくなるのは明白ですので、しがみつかないで逃亡を企てる選択肢を持たないと自殺や過労死の犠牲者になります。 

過労死や格差拡大の問題は、『他者を持たない』傲慢な人達が管理者や経営者に増えたことで、この他者を持たない人達の居場所が資本主義エゴイズムの終着駅です。 

合理化・生産性という言葉で労働者の裁量を奪い、労働者の肉体だけでなく精神をも搾取し続けるのは、管理者の仕事は労働者から収奪し続けることが管理者の評価上昇に繋がるからで、一層進む管理社会を生き抜くために知恵はお金などより必須です。 

私が思う家族の健康の基本は食事と睡眠と団欒ですので、借財に苦しんでいる時も銀行にはお金が沢山あるとうそぶきながら、『お金に支配されない』生活を心掛けましたが、私が喘息を発症し医者に直らないと告げられた時も、絶対直すと決心し水泳・マラソンのトレーニングと共に、毎月二万円の漢方薬を東京から取り寄せて飲み三年程かけてほぼ完治させたように、食費と共に家族の健康には極力お金を惜しまないようにしました。 

妻を水泳や卓球に行かせたのも身体を動かし精神的にも私から自由な時間を作ってあげるためで、『女房留守でも元気がいい』という自営業ならではの配慮でした。 

人間とは複雑にできていて困った時は気が付いてほしいものですが、家族が重なり過ぎる束縛で自分の自由な時間がないのも窮屈で悲しい気持ちになるものです。 

昔ミツワ石鹸という会社のロゴマークがあり、三つの輪の二割ほどが重なっていましたが、家族も八割の自由(プライバシー)が尊重され存在していて、二割(団欒)だけ全員が重なり強固に結ばれている状態が理想的ではないかと思っています。

この団欒の会話の様子で、子供の心の異常や家族それぞれの立場の置かれた状況の変化が読み取れ、早めの配慮やサポートに繋がり大事を回避することにも生かせます。 

借財が済むまで妻も私も元気でしたので、何事もふたりで交互に背負い合って乗り切って来ましたが、今のようにひとりになると本当に身動きが取れず、少しの間の留守番を妻に頼めた有り難さをつくづく思い知らされております。 

しかし今五時半に閉店して買物に行き、料理・洗濯・掃除できるのも妻が支えてくれた時に借財返済を終えた恩恵です。 

借財返済を終えたときに妻がしみじみと『もう売り上げを上げることより、無理をしないで元気でいてね!』と言った言葉も、私の働く姿の全てを見て来た店舗併用住宅の恩恵でした。 

妻と結婚した時『ありふれた幸せでいいから』と願ったことが、ついこの間のことのように想い出されますが、娘が社会人になるまで親としての責任を果たそうと思い、次は娘の結婚まで、次に孫の顔が見たいと願い、初孫の一歳誕生日の三ヶ月後に妻は旅立ちましたが、今は娘達の家庭の力に妻の分もと思い毎日を過ごしております。 

夫婦は違う文化で育った者同士の共同生活で、役割や求めるものや価値観が違う中、毎日の生活を通じての葛藤もお互いに沢山ありましたが、実はこの葛藤の積み重ねがお互いの立場や気持ちを思いやる人間としての成熟に繋がっていると思います。 

人間の成熟に必要なものは、できるだけ自分とは違う異質な価値観に触れることで、その異質なものとの葛藤を通じて得る理解を、できるだけ多く経験することこそが人間としての成熟度を深めることに繋がっています。 

四歳の孫と接していて自己肯定感を与えてあげたい思いと共に、少しずつ異質なものを提示して刺激していますが、保育園ではもう異質な園児との葛藤も経験し始めておりますので、ジーッと見守り『この葛藤からしか成熟に繋げられないよ!』と心の中で精神的な耐性の成長を願っています。 

家庭の平和の源である家族の心と身体の健康への配慮は、やりがいのあることとは思うのですが、技術革新や社会の変化や競争が激しく様々な誘惑も多いこれからは、獲得した知識を知恵に変換し対応し続けないと、一瞬で危機が訪れる時代になったと思いながら孫の成長を見守っております。 

クリーニング業は洗剤と洗濯機と繊維の技術進歩が衰退を招き、米と酒屋の安定は規制緩和政策でアッという間に崩れ去ったように、全ては同業者との競争だけではなく、技術革新や社会構造の変化によって衰退したり滅びたりしています。 

これからはたとえ良い大学に入っても安定は得られず、ましてや生きる力には繋がっておりませんので、自分自身の身体と心を一番大切にし、異質なものとの苦悩や葛藤も『逃亡を胸に秘め』楽しむような心の余裕を持って、他者を思う人間的な成熟に繋げることこそが生き残りには必須で、成熟と謙虚はどんな社会になっても使いまわしが効く有用なものです。 

そしてこの成熟に近づこうとすることこそが真の生きる力を育むもので、知的好奇心や行動力にも現われ活動的になるので健康な身体にも繋がっております。 

昔妻によく怒られた言葉に『お父さんの行為は小さな親切、大きなお世話なの!』がありましたが、誰かが葛藤や悩みを抱えていたら普通の人は近づかないのに、私は余計なおせっかいをして葛藤や悩みの視野を広げたり矮小化したりするような言動をいつも平気で取っていたからです。 

妻には謝った後に、『でも人を成長に導くような教育的行為は、相手にとっては大きなお世話のおせっかいで刺激し、悩み苦しみ葛藤しながら《アッそうか》と気が付くまで待ち見守る我慢しかなく、これは私がお母さんに一番してきたことです』と答えてから二度と言わなくなりました。 

人間にはその年齢ごとの葛藤があり、そこに大人が割り込んで答えを告げても身に付かないものなので、何気ないおせっかいを通じてヒントを与え、あとはひたすら気が付くのを待つという我慢の連続が教育です。 

夫婦も親子も気が合う者同士でも解り合うという作業は、相手に怒られるようなおせっかいと我慢の積み重ねです。 

妻は妻なりに、私は私なりにお互いが我慢をし、理解に繋げるおせっかいを繰り返しながら、少しずつ相手を理解したことが少しの成熟に繋がり、その積み重ねが少しずつでも穏やかな日常を手に入れることに繋がっていたと思います。 

先日予防医学を研究している人の本を読んだのですが、現在世界的な長寿国に共通しているものは、食生活よりも『人間を信頼している割合が高いこと』という結論になったそうです。 

その会議でこれからの長寿国は何処の国になるか? の討議に入り韓国ではないか? という結論になった理由が、韓国は年金制度が整備されていないので高齢になっても働き続けるからが理由だそうです。 

そうすると健康で元気に過ごすには、信頼できる人間関係という心の安寧を得られる家庭と職場や社会で、次に少しの危機感を持って高齢に甘えず働き身体を動かし続けることになりますが、収入が伴わないと駄目なのは達成感という感情だそうです。 

自分自身の生活のために働くことで社会と繋がり、無意識ですが自分が社会から必要とされている確認にもなっておりますので、幾つになってもオンとオフの切り替えの中で生きることが生命力を強化することに繋がるようです。

私も今年の三月で六十九歳を迎えますが、来店して下さるお客様や通信販売のお客様からの『元気でお店を続けてね』というお言葉が励みになり続けておりますが、そのお陰でひとり身になっても会話ができ、社会から必要とされている実感も頂き、オンに備え身だしなみを調え変装が完了すると不思議に気持ちも引き締まり、一日の仕事を終えた心地良い疲労感でオフのビールも格別に美味しくなるので仕事が健康の源と思います。 

人間は重い荷物を背負い過ぎても潰れてしまいますが、義務も責任も役割も何も背負わずに生きる虚しさは心が崩れ落ちるという矛盾した弱い生き物ですので、いつも背負う荷物を分相応にわきまえて一生懸命生きることが健康と平和維持の要諦と思います。

 今は妻と共に努力して手に入れた穏やかな生活も想い出になり、

 娘は家庭を持ち私から見ると周回遅れの人生を奮闘していますの

 で、娘の家庭の平和をひたすら願っております。

 妻がいないひとり身の毎日に人生の儚さを感じる時もあります

 が、四十年間の夫婦生活の達成感が私を支えております。

 現代人の漠然とした不安感は、飢えや戦争の貧しさの時代状況か

 ら高度成長による急激な豊かさ(成り上がり)への戸惑いと不

 による心の平衡感覚喪失で、豊かさの到来と共に増えた自傷行

 や摂食障害や鬱病などの増加は、この豊かさが自分の努力で獲

 した実感が伴わない必然で起こる、きることのリアリティー

 を失ってしまった結果の行為です。

 それは急激な環境変化が人間にもたらす不安で、家族の絆のよう

 な眼に見えない心の豊かさより、お金や物のような眼に見える豊

 かさへの欲望が肥大し続けた結果で、この欲望をコントロールす

 る以外に心の平安は取り戻せないことに気が付くことです。

 それは『幸せ』を何処に設定するか? 次第ですが、自由と豊

 かさへの欲望をコントロールする難しさと闘うことは、逃げ出

 したくなるような忍耐が必要です。

 飢えている時の人間は現在の食べ物だけを求め考えていますが、

 貧しい時は明日のことを考えており、少し豊かになると明後日の

 ような更に未来のことを考えるように人間はできています。

 つまり不安とは豊かさと共に増大して行くものだから、いつの時

 代も強欲な人達はいなくならず、プチブルがはびこるのです。

 不安解消方法も家族に似て、現在の生活に八割の気持ちを集中

 て過ごし、未来のことは二割程度考慮に入れて今を大切に過ごす

 ことが心の平安に繋がり、家庭の平和維持にも繋がっています。