動物的なものと、人間的なもの。

新年明けましておめでとうございます。 

妻を亡くしてからはしめ飾りもせず、日々淡々と暮らすのみですので,正月休みは掃除・洗濯・アイロンがけと読書でしたが、大晦日と元旦は娘宅でご馳走になり孫達と遊び良い正月でした。

近年の虐待・ネグレクトの増加は格差拡大による貧困層に多いのを思い、その連鎖を思うと今後の社会不安が心配です。 

人間には動物的なものと人間的なものが同居しており、動物的なものとして強欲や怒りや凶暴さのような感情があり、人間的なものとして憐れみや共感のような感情に繋がる理性的なものという両面があります。

この動物的なものが肥大した人達が虐待やネグレクトの行為に及ぶのですが、このような人達を生んだのは生育環境です。

親鸞のように『善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや』の境地は凡人には無理で、人間的な理性は動物的な感情に勝てないのが普通の人間の姿です。 

『善人でさえ極楽に行けるのだから、悪人に育った人間は尚さら極楽に行ける』というのは、悪人が育った環境への慈愛ですが、歴史に残るような宗教家でなければ言えない言葉です。 

この人間的なものと動物的なものを心理学的に捉えると、動物的なものは無意識下にあり、人間的なものは意識下にあると思うのですが、フロイトが言ったように意識は自覚が難しい無意識に支配されているので数々の問題が起こります。 

自殺につながる躁鬱病のような精神病も、無意識領域で嫌なことを日常的に我慢して過ごすことが遠因で、この意識領域の頑張りが限界値を超えると精神病を発症するように、この無意識領域の本音部分はゴマカシの効かない動物的な本性なので、その人の人間的な理性が壊れてしまうのです。 

世界的な右傾化やナショナリズムも理性という意識によってではなく、その人間の無意識下にある欲望によって起こっているものなので、それまで抑圧していた反動から非常に強い爆発力の伴う力になるので抑制が効かないのです。 

大切なのは無意識的欲望を意識によってコントロールすることですが、この二つの乖離を少なくするように無意識に行っているのがネット上の暴言やツイッターなどの呟き行為で、自分が壊れないように必死に消化している行為と私は思っています。 

先日封書を出す時に切手代金を確認しようとグーグルで『封筒』と打ち検索したら、夫婦関連のアダルトサイトが突然表示され、物凄い数の中には詐欺やウイルス感染の危険が伴うものもあり、これほどに本音の性欲という欲望が建前に隠れて広がっているのか? と実感させられました。 

これはグーグルの検索表示の順序は重要度ではなく、今迄のユーザーの検索数を優先して表示するのですから、日本人の性的欲望という民意の数を如実に表示しており、調べ直したら封筒と打ったつもりが『夫婦あ』と打っていた結果でした。 

現在は闇サイトも含めて人間の動物的な本音の部分はネット上に溢れており、これらの膨大な本音情報をAIで分析すれば、様々な領域の現代人が求めている欲望や真の民意などが、選挙投票などより正確に把握できるのではないか? と思いました。 

アマゾンは購入履歴から次に欲しがる物を分析し提示しておりますが、このような金儲けだけでなく社会生活や政治にも生かせるのではないか? と思った次第です。 

投票率の低落傾向解消にネット環境を利用した制度設計の提案も出始めていますが、現代のように建前と本音の乖離が大きくなった時代背景を思うと、投票で民意を問うよりネットやスマホの呟きを学者さんがAIで分析し民意を推し量り、政治的な政策に生かしていけば政府や行政を縮小でき、政治や行政の無駄なコストも省けますし、組織票などや大企業との癒着による公共工事なども少なくして行けるように思います。 

民主主義の対話なども限界がきており、左派と右派では衝突の繰り返しで意見の一致は無理で、暴力による血を流すような闘争状態回避の方法などにも生かすことができます。 

最近はどの新聞やテレビ局のニュースもほぼ同じ内容を垂れ流しているから低落傾向が進んでいるのですが、この建前同じの裏に潜む本音の部分は権力やスポンサーへの忖度や癒着で、国民に押し付ける建前の綺麗事の裏に潜む不条理と矛盾の偽善を国民は何となく判っているので、自分も返り血を浴びないようネット上の匿名で偽善への鬱憤を晴らしているのです。 

人間とは本質的には弱いもので、三島由紀夫が敵を持たないと強くなれないと述べたように、横の繋がりとしての共感を求める一方で、仮想の敵を作り上げて虚勢を張るという矛盾した、意識と無意識の葛藤の中で日常を過ごしています。 

ルソーの『社会契約論』はフランス革命の理論的支柱になったものですが、ルソーは本来人間は孤立して生きるべきものなのに、弱い中途半端な動物だから群れて社会を作っているが、他人の苦しみや悲しみに共感し手を差し伸べる『憐れみ』の感情も持っているので、幸せな孤独を捨てて群れて生きてきたが、実はその弱さゆえに長く生き続けて来られたという人間観です。 

このような人間観に立って社会契約論が書かれておりますが、簡単に言うと人民は自分達の本当の欲望は自覚しておらず、その個人個人の多様な人間の欲望を特殊意志と呼び、その総和を全体意志と呼びました。 

そして個人個人の欲望のプラスとマイナスを相殺して残ったものを『一般意志』と名づけ、この一般意志を可視化するには超人的な立法者が必要と述べ、個人の欲望の総和である全体意思は誤るが、一般意志は誤ることがないと結論づけていました。 

難解で誤解され易い思想なので、後にヒトラーの全体主義に悪用された経緯もありましたが、民主主義における真の民意を推し測る方法の一般意志の考え方はユニークで納得できます。 

多様な人間社会は何事も合意に至る難しさがあり、現在の代議制民主主義の問題は民意が正しく反映されていないことで、組織票と政治献金の多い大企業との癒着構造によって格差拡大が進行していることを思うと、この一般意志にあたる真の民意を探り出す方法として、膨大なネット上の本音を分析すれば建前に隠れた本音が見えてくるような気がしました。 

封筒を夫婦と間違って検索したら出てきた無数のアダルトサイトは、建前の社会では覆い隠している本音で、この『性』の部分にも動物的なものと人間的なものがあり、特に性的欲望はコントロールが難しい人間の弱さを象徴している部分でもあります。 

私が妻と知り合い結婚を求めたのは、ひとりで生きて行く不安と寂しさを埋めてくれた人だったからですが、性的な関係を深めていくなかで血の繋がりなど簡単の越えるような存在になっていったことは鮮明に覚えています。 

性的な関係も動物的なものから人間的なものに昇華できないと壊れるのですが、その分岐点も動物的な身体の関係から、人間的な心の繋がりの関係に移行できるか? が決定しています。 

人間は心(言語による意識)と身体(生理的な意識)で形成されており、セックスは身体という生理的意識によるコミュニケションですが、日常は言語を通じたコミュニケションで生活しており、この日常の生活の中に親和性の高いコミュニケションが存在することが必要で、セックスの快楽と同等の重みで人間の生活を支える快楽でもあり、特に熟年夫婦になると親和性の高いコミュニケションの有無が夫婦仲の良否に繋がると思います。

寂しい時に異性に誘惑されたら同衾してしまう弱さも、傷つき困っている人を目の前にしたら思わず手を差し伸べるような憐れみもルソー的には弱さで、その弱さゆえに群れて家族や社会を形成してきたと述べています。 

しかし多様な人間の権利や欲望の衝突を回避するために社会契約を結ぶ民主主義社会において、その社会契約を結ぶ根拠はこのような合理的な判断にあるのではなく、憐れみのような反射的な感情にあるともルソーは述べております。 

つまり人間の連帯に必要なものは理念の共有などではなく、憐れみのような他者への想像力を持つ動物的な感情であるという思想で、暴力的なものも博愛的なものも併せ持つ人間の素朴な感情に社会契約の根拠を持つという器の大きな思想です。 

現代はパソコンやスマホによって、今まで抑圧されていた国民の声なき声が良くも悪くもネット上の呟き分析で本音が可視化できる状況になったことは良いことで、この背景には一部の者だけが豊かになり大多数の者が搾取・抑圧されている現在のシステムへのいらだちが充満している証です。 

ネットの出現で抑圧されていた現在のシステムへの不満が、都合の悪い不満や攻撃は匿名で、自己顕示欲は記名によって行うという使い分けができることで解放され拡大しました。 

ルソーの言う一般意志である真の民意を政治に反映し行政に生かす方法が、情報化社会の到来で誰もがネット上で本音を呟くようになったことを利用し、その膨大な呟きをAIと学者によって公開された形で分析すれば、ルソーの言う超人的な立法者として出現させることができるようになったような気がします。 

全てのことは時代と共に変えて行かないと、権力が腐敗し弱者を抑圧し搾取するのが人間社会の歴史ですので、新しい発明によるツールの有効利用になると思います。 

人間の新発明ツールも最初は悪用から始まり、その反省を生かして社会や万民への有効利用へと移行してきたのも歴史で、人間の好奇心と邪悪な欲望による暇つぶし行為が文明と文化を育み、過ちを犯しながらも少しずつ豊かに便利になってきました。 

誰もが求めている幸せの実感は、動物的な欲望を満たしてもなぜか腑に落ちないのは、幸せという感情は欲望とは正反対の贈与によって返礼されるような目に見えない人間的な感情の確認で実感されるものなので、欲求や欲望のみを追うような行為とは反転しているものだからです。 

日本の景気回復も、国内総生産(GDP)の六割は個人消費が占めているのに、現在のような搾取社会で金融緩和をしても回復・上昇しないのは道理で、高額所得者の一億円を千人に十万円ずつ多く分配する方が、貧困者の消費に確実に繋がるので個人消費は確実に上昇し景気は回復します。

   企業の内部留保と高額所得者の給与は労働者の血と汗ですので、

  労働者への分配比率を上げ還元すれば、社会不安は解消され

 成長の血液であるお金が正しく消費として循環し、その結果

 して税収が上がり子供も増え虐待も減少し社会全体は活性化す

 るのではなか? と思います。

 現在のような一部のものが裕福な欲望の資本主義に到ったのは、

 レーガンとサッチャーによる行き過ぎた改革・解放政策によって

 欲望の歯止めを外した新自由主義の結果ですので、労働者である

 中産階級の生活を豊かにするように分配比率を上げる公益資本主

 へ移行しないと、資本主義は搾取の果てに自壊し破綻します。

 二百五十年以上前のジャン・ジャック・ルソーの政治思想実現に

 代のテクノロジーをツールにできるようなことを突然思い付い

 『瓢箪から駒』の検索打間違い事件でしたが、その前に解決

 すべき大きな問題が目の前に横たわっております。

 それは強大IT企業のグーグル・アップル・フェイスブック・アマ

 ゾンの四社がすでにAIを使用・分析し、全世界の富を収奪すべく

 すでに活用しており、陰の支配者になるべく中央集権的な帝国化

 し始めていることです。

 今この四社の売上合計額はドイツのGDPを超えるほどになってま

 すので、独占禁止法などを各国が適用して四社を何社かに分割し

 自由な競争状態を新たに作らないと、陰の支配者の搾取が続き

 更なる格差拡大が起こり、情報操作や価格操作が巧みに行われる

 危機的な状況に追い込まれることは明白です。

 現在のネット環境を掌握することは、個人の懐具合も本音も建前

 も丸裸にして掌握できる強力な武器なので、分散型にすることを

 政治家が取り込まれる前に、早く世界的な法律として定めないと

 世界のほとんどの人が一握りの富裕層に奴隷化されます。

 膨大なネット情報のAI分析は、『公開された場』で学者が行うと

 いうことは利害関係のない人を意味しています。

 便利なものは悪用すると凶器に、有効利用すると万民の負担を軽

 減し便利なツールとして幸せにも繋がる『諸刃の剣』です。

 本年も宜しくお願い致します。