退廃と空虚を予測した三島由紀夫。

閉塞感と天変地異の続いた平成の三十年も終わりが近づき、店頭で客観的に日本人の変容を眺めてきた流れを分析して、三島由紀夫の天才的感受性が正しかったのか? と思い返しています。 

昭和四十五年十一月二十五日自衛隊市ヶ谷駐屯地において三島由紀夫が割腹自殺した時、私は二十歳で四月に東京のトヨタに就職した調布営業所で知りました。 

その数日前に私はこの駐屯地に仕事で行っており、その興味からテレビ中継を見ていて、その行動の意味も理解できずに割腹・介錯という時代劇風の自決にただ驚くだけでした。 

その後社会的・政治的な知識を得るにつれ、彼の特異な成育環境とひ弱な肉体への劣等感とナルシシズムなどで、生来の鋭利な感受性が相乗化され増殖し続けた結果が、怪物的な天才を作り上げたように思いながら三島書物を少しだけ読みました。 

少年時代学習院で優秀な俳句が選ばれた時、青白という号の句にクラスメイト全員が嘲笑したのですが、それは三島由紀夫が当時痩せて青白かったので全員が三島と判ったからでした。 

あえてその名にした三島の真意は、笑われて心の免疫を作れば平気になることと、この年齢頃からの腕力と知力が逆転する計算も働いており、事実成績もトップでクラス委員長に推され、この年齢にしては醒めた才気走った姑息な少年と大人から見られていた記述もありますが、私は自分自身を俯瞰してみられる冷静な忌憚のない正直さも併せ持っていたからと思います。 

この自決事件の直前書物には、このまま行ったら日本はなくなり『無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済的大国が極東の一角に残る』と予言しておりましたが、日本は本当にその通りになったと思います。 

もうこの頃に彼は決起を決めていたようですが、もともと死へのエロティックな陶酔傾向があり、楯の会を結成した頃から美的な死に方に傾斜して行ったのには、やはり幼少期の母性不足によるヒューマニズムの欠落が大きく影響していたと思っています。 

当時三島は経済至上主義という空虚な西欧思想に浸食され続ける日本国民に我慢できず、古い武士道的な死を持って抗議する道を選んだのは、古き良き日本文化への憧れと、強烈なナルシシズムによる自分自身の老いへの拒絶反応もあったようです。 

誰でも日本人としての文化的なルーツを無意識領域には持っているのですが、ほとんどの人は日常的には意識化できずに便利で豊かな生活の快楽に溺れて消化しているものです。 

一般的には海外で生活する人達の方が日本文化の良さを実感させられる傾向がありますが、終戦からバブル崩壊まで日本文化の良さなどへは目も向けずに、経済成長というお金への狂想曲に踊っていたのがほとんどの日本人の姿だったと思います。 

私が狂想曲に気が付いたのは自営業を始めて十五年位してからでしたが、当時の三島由紀夫は『伝統的な日本文化と、外来的な西欧文化を和解させ、本物の自己を持つ日本人の姿を求めていた』と記述しており、私の中の無意識を意識化させられました。 

現在の政治家のみならず、官僚や企業でも、スポーツ界や大学などの教育界でもお金と権力にまみれた不祥事続きですが、三島由紀夫の四十八年前の憂国の予言が正しかったことを証明しています。 

終戦から二十五年の高度成長の助走時期にこの事件が起こったのですが、十年後にお祭り騒ぎのバブル経済に突入し、その十年後にバブル経済が崩壊しました。 

この時系列を振り返ってみても、三島由紀夫はこの助走時期に予兆を察知しており、日本人の精神性が退廃へ向かう予感は的中していて、今なお日本人は経済至上主義のみで生きています。 

お金万能の頂点がバブル時期とすると、三島由紀夫決起頃はその始まりの序章時期でしかないのに、精神の空虚さを物質的繁栄で糊塗する態度は偽善であると断じ、政治的には右の自民党も左の共産党も偽善であると、醒めた眼で日本の未来を憂いていました。 

この事件以後も日本人は民主主義の美名のもと、生き方も変わらず政治にも参加せずに(投票率低下)、個人も企業も国家までもが金儲けという経済成長のみの精神性できたのですから、三島由紀夫に日本人はごまかしの偽善者と言われても弁解できないのです。 

しかし平成三十年間の経済停滞で少しずつお金以外の生き方にシフトする人達が増加し始めましたが、その姿と方向は『伝統的な日本文化と、外来的な西欧文化を和解させ、本物の自己を持つ日本人』という三島的なものではないか? と思います。

明治維新後から西欧文化を吸収し続けたのも恐れからですが、終戦後も敗戦からの怖れで民主主義も資本主義も丸呑みした結果で、咀嚼せずに飲み込んだものが血肉にならないように、日本的なものも西欧的なものも半端なものに終わって、本物の自己を持つ日本人として成熟できなかったので物真似文化の経済大国になったのです。

過去も現在も世界的に通用しているものは、伝統的な日本の技術や文化を基礎に持ち大切にしている企業や個人が多く、結局人間はルーツという根っこへの自覚なしには成熟できないのです。

私は三島由紀夫も作品も好きではなく、彼の生き方も含めて肯定するつもりもないのですが、彼の鋭敏な感受性と卓越した予感については、やはり本物の天才だったと認めています。 

『天才と狂気は紙一重』と言いますが、抑鬱と狂気が創造性を生むのは確かなようで、画家ムンクの幻視やゴッホの自殺など、一般の人達より多感な人達は精神的に病む傾向があり、その病むほどの多感さが稀有な想像力や創作力に繋がるとも思っています。 

一般の人より多くを得る者は、一般の人達より多くを失う者でもあるのですが、一般の人は多くを得た者を羨みますが、多くを失った者をこっそり嘲笑するのも一般人の常です。 

この羨望と嘲笑の現代人が『漠たる不安』にとらわれているのは、真の『敵』が見えない社会になっているからと、終戦からここまで精神的な飢えを物欲と食欲で満たすというごまかしを続けて来た結果で、それ故に心の奥底では物やお金という経済至上主義への不信は感じており、その不信から自分自身の魂の死を予感するので、漠たる不安に繋がっているのではないか? と思います。 

お金への執着を捨てて、初めて個としての人間の魂の火が赤々と燃え出すように私が思うのは、負債過多の自転車操業の長い期間に、追いつめられ生きる意味を哲学させられたからでした。 

しかし楯の会のパレード写真を初めて見た時、三島由紀夫に幼児のような喜劇的なものを感じたのですが、同様に自決前の自衛隊決起を促す演説にも喜劇的なものを感じていました。 

また幼少期の成育環境や虚弱体質への劣等感や割腹自殺や川端康成のノーベル文学賞受賞経緯などを思うと、小説家として三島由紀夫に栄光という強い光が当たった分だけ、投影された暗い影が濃い悲劇的な人が三島由紀人だったとも思います。 

三島由紀夫は私のような凡人の理解を超えた真に優れた小説家だったので未来を予測でき、経済至上主義を邁進する日本社会への嫌悪と絶望に耐えられず、古き日本の象徴である天皇と割腹自殺という生真面目な悲劇に訴え、死を持って本気で日本人に抗議し警鐘を鳴らした人だったと思います。 

現代の大人が物と金という豊かさを得た代わりに、将来ある若者への優しさを失った最近の不祥事の連続には、私自身も嫌悪と絶望を感じる時がありますが、そのような大人を反面教師にしている若者達も確実におりますので、私の残りの人生は悲観的にならず未来の若者達の肥やしになりたいと思っております。

三島由紀夫が述べた『ぼくの内面には美、エロティズム、死というものが一本の線をなしている・・・・』という言葉の、美とエロティズムを金と色に変えても、死だけは全ての人間の人生の一本の線上に待っています。

それでも強欲が捨てられないこの頃の人達は、悲劇が訪れても自覚できない喜劇的な愚か者と私は思っているのですが?