悪に打ち勝つための悪知恵を!

一億総中流が懐かしき時代になった今は、格差とコネと権力者の腐敗だけでなく、見栄や嫉妬やイジメやペテンの詐欺という悪意が跋扈している、人間関係そのものが修羅場の時代を迎えたような気がしております。 

今後強力なコネも財力もない人間が生き残るのには有名大学卒などより、醒めた人間観察眼の知恵を磨き、優れた人生観察家でなければ、あらゆる所から押し寄せる『悪』に対抗していけない時代になってしまいました。 

過激な言い方をすると、押し寄せる悪を返り討ちにできるような悪知恵を身につけてどんな時でも自分にとって損なのか? 

得なのか? を考えてから決断する勇気と習慣を身に付けなければ、到る所に潜む罠を乗り越えられず、それに不慮の事件・事故なども全ての結果が自己責任で、むしろ自業自得と思う人達が多い時代になったからです。 

娘を育てる時に『悪いことを知って、悪いことをしない人間』に育てたいと思い、幼児期には人間の持つ邪悪さに目覚めさせる努力をしたことを想い出しますが、それは子供が生き残るためには、まず自分にとって損か? 得か? の判断に目覚めないと生き残っていけないからで、次の善悪の区別という倫理観は判断力向上の学齢期頃からの問題だからです。 

子供は成長と共に行き過ぎた損得勘定という利己主義の許容範囲も考慮できるようになり、限度を越えた損得勘定の邪悪さへの自己嫌悪を自覚して理性が育って行くのですが、その時に葛藤が伴っていないと成熟に繋げられないという、見守っている親としての歯がゆさが懐かしく想い出されます。 

現代では建前は綺麗事で、本音はその倍以上の邪悪さを隠し持っている、建前は平和で本音は残虐な邪悪さが肥大している社会になってしまったように思います。 

一見平和裏の中で進む格差拡大は、社会の裏側で肥大している搾取と差別の蔓延で、人間が本性に持つ邪悪さの証拠は実は残虐性においても郡を抜いている統計数字が出ております。 

それは人間を一番殺しているのは蚊で八十万人強ですが、二番目は人間で、人間自身が人間を五十万人強も殺している数字がその残虐性を物語っています。 

蚊には殺意などなく刺した蚊がたまたま病原菌を持っていた結果の殺人ですが、人間には明らかな殺意があって行っており、これほど人間は凶悪なものを持っているから法律で『人を殺してはいけない』と決め罰を与えていても、この数字になる凶悪さを人間は本性に隠し持っているのです。 

昔話や寓話に恐ろしい話が多いのも、人間とは凶悪なものを持っているという警告を含めた教育と私は解釈していて、大人として生き残って行くためには、『大人の思考回路』として悪に対抗できるような真の『悪知恵』を身に付けろと教えているのだと私は思っています。 

官僚・日大アメフト・ボクシング連盟などの醜い権力の乱用を見ていると、廻りの大人は忖度して自己保身を図っているのに、襟を正すために我が身を犠牲にして告発しているのは二十代の青年達で、その方法と態度を見ていると、悪に対抗するために必要な真の『悪知恵』を身に付けた『大人の思考回路』を感じさせられます。 

それはきっと抑圧されていた子供の頃から、本音を隠し建前を飾った偽善の大人社会を醒めた目で観察してきた磨き込まれた知恵で、社会への対応法として電話を録音するという我が身を守るみごとな悪知恵で悪に対抗しています。 

このような青年達を見ていると、日本の未来も少し安心できるのですが、この未来を担う若者を利用し搾取している老害の者どもをパージするか? 姥捨て山に送るか? を大人自身が行ってこずに迎合・忖度し、有能な若者達を押し潰し犠牲にしてきたから現在の日本の閉塞状態があるのです。 

誰もがお金という潤滑油だけを追い求め、子供には良い大学を出て良い会社を望むという一方通行の親が多く、その果てが過労死を招く過重労働に繋がっても良い会社をまだ求めますが、資本家と労働契約を結ぶということは搾取され絡め取られることへの同意であるというのが資本主義の本質です。 

知識があっても知恵なき者は、自分で金儲けをするには資本が必要と思っていますが、資本がなくても『ただの物に付加価値をつけて売れば』ちゃんと儲かります。

儲けという字は信者と書くように、その付加価値を信じる人がいれば儲かりますし、ただの物などないと思うでしょうが、図書館に行けばただで知識が得られ、それを知恵に変換して付加価値を生み出し、時代のニーズに合えばビジネスになります。 

リクルートの雑誌などは昔の新聞求人広告や不動産広告を本にして売ったのが始まりで、新聞からただで得た情報を基に情報誌として変換したものですので、このような知恵は誰にも取られる心配のないもので、お金のように管理する必要もない究極の安心で安全な財産です。 

私が六十八年間で見てきた多くの不幸の中で、お金が有り過ぎる不幸と死ねない不幸は経験者でなければ理解できない最大の不幸だ! と私自身は思っています。 

ない物ねだりが人間の常で、恋愛や結婚も成就するとひとり身の自由を懐かしみ、離婚し自由になると制約を懐かしむのも、人間の本性に備わった『癖』のようなもので、ない物ねだりの堂々巡りの悲しい性です。 

イソップ寓話を基にした寓話詩(北風と太陽等)で有名なジャン・ド・ラ・フォンテーヌの鋭い人間観察眼の言葉があります。

①人間はなんらかの気晴らしなしで部屋の中にじっとしていることができない。(読書・ゲーム・テレビ・ネット・会話)

 ②人間は自分がした事を他人に自慢することを我慢できない。 

 つまり悪行も善行も極論すると気晴らしみたいなもので、何もすることがないと退屈から己の死を意識させられる恐怖に襲われるから、金儲け・戦争・旅行・労働などの気晴らしに精を出す全ては逃避行為で、人間の文明と文化は人間の究極の気晴らしのために発明したようなものと述べていました。 

 文明の進歩は、人間に強く植えつけられた自己顕示欲と自己愛の本性によるものですが、この種の本性は人類の破滅の引き金にもなりえる『諸刃の剣』でもあります。 

 不祥事の報道と国民感情を醒めた目で見ていると、人間の快楽の求め方に邪悪で不浄なものがあることが判ります。

文明が進むほど『心からの安心感に浸る快楽』などは退屈なものになってしまい、むしろ『他人の不幸を見る・のぞき見する・上位の者の悪を憎む・妬むという快楽』が蔓延しているようで、それは週刊誌やネットを見れば明らかで、これも不平不満を消化するための気晴らしで、インスタ映えを求めて消費を繰り返す行為も自慢することを我慢できないからです。 

私のブログなども極論すれば自慢で、プロスポーツも絵画も文筆業も最終的には自我を満たす自慢行為です。 

しかし本当に人間とは不思議な動物で、邪悪さを克服し『自己犠牲をさりげなく行う成熟した人』に出会うと感動で胸が震え憧れを持つのも確かで、同じ人間として真似てみると、そこには安心感に勝る充実した快楽が存在しています。 

そのような人達を注視していると、悪意を持った人間を見透かし返り討ちにする冷徹な醒めた人間観察眼があり、弱者や将来のある者への暖かい眼差しをも併せ持っています。 

小利口な人が増えすぎた現代の文明社会では、そんな奇特な自己犠牲より忖度で我が身を守ることの方が常識ですが、それは奇特な人との出会いが稀になったからで、凡人の多い建前社会では誰もが平和な日常に埋没しまいがちです。 

そんな本音を隠した建前社会になった弊害として、幼児のままの邪悪さで自我を押し通すような『力が正義』の人達が権力者や指導者を占めている状況になってしまったのです。 

 私はある時期から、結婚も子育ても仕事も趣味も全てが死ぬまで

 の『人生の暇つぶし』と思うようなり、一番の暇つぶし(気晴ら

 し)相手の妻に出会えたことには今も感謝しております。

 多くの暇つぶしを全力でやって来たので、全ての苦労も楽しめた

 から、ここまでもアッという間と感じておりますので、死ぬ時も

 きっと楽しい人生だったと思えると今も思っています。

 最近は妻のように前日まで普通に過ごし、孤独死で翌日死を迎え

 られたら、私の人生は百点満点になると思い願ってます。

 妻の『私より先に死にたい』という願い通り見送り、四十二年間

 の夫婦生活もありふれた幸せを実現でき、授かった娘も今は家庭

 を持ち親より大切と思える婿殿との家庭生活を送り、二人の孫の

 健康な様子に感謝しており、後は私の始末で娘達に負担や迷惑を

 かけずに、妻のように一気に旅立ちたいだけです。

 私に先立つ妻の願いに『お母さん願えば叶うから、ただ願いなさ

 い』と繰り返し、その通りになったので、私も毎日を家事や仕事

 の暇つぶしに精を出しながら妻の迎えを待っております。

 ジャン・ド・ラ・フォンテーヌは十七世紀の今より格段の差別社

 会の時代を、優れた人間観察眼で生き抜き・駆け抜けた人なので

 すが、寓話詩という形で後世に『悪と戦う方法』を残した啓蒙

 でもありました。

 私が思う悪に対抗できる悪知恵を身に付ける方法は、まず幼児期

 に自我に目覚める頃からの邪悪さを抑圧せずに見守り存分に出し

 切らせ、その過程で大事に至らない程度の多くの失敗を見守り

 同じ失敗を繰り返したら『あんぽんたんだね』と軽く言って内省

 を促し、もし騙されたら『騙された方にも半分責任がある』とだ

 け言うと、自然に深く考えるようになります。

 この深く考えることで、結果には原因があることを悟り、他者の

 思惑を自分の尺度で判断するのではなく、他者の立場になって判

 判断できるようになることが優れた人間観察眼を磨く訓練に繋

 がります。

 そして子供の好奇心に誠意を持って答える努力をなるべく怠らな

 いようにして、子供の好奇心を育ててあげることです。

   英語圏ではWHY? と聞きBECAUSE(なぜなら)と答えること

 が習慣で、これが議論の基本である論理回路育成に繋がり、いつ

 も習慣として原因と結果を思考する訓練になっているから、自然

 に創造性が育つ土壌を耕すことに繋がっています。

    日本のように曖昧に笑ってごまかすのではなく、あの人は何故?

 あんなことを言う(する)のか? という疑問の好奇心が人間

 観察眼を育てております。

 悪意を見破って冷静な対応で返り討ちにすることができない人に

 とっては、まるで人生の荒波の中をさざ波の中で航海しているよ

 うな人生に見えてしまうのも智恵の力です。

 松下幸之助・本田宗一郎・田中角栄などは中卒の学歴ですが、こ

 の人達の場合は辛苦を舐めて身に付けた人間観察眼で、忍びよる

 悪を打ち負かす悪知恵があったから大企業の社長や首相になった

 のです。

 大切なのは知識より知恵で、同時に人望という魅力も備わってお

 り、時代の流れに合致する偶然にも恵まれたのです。

 私にはそのような力量も人望もないので、ありふれた幸せで満足

 するのですが、凡人としての遠吠えですが『強い陽の光りを浴び

 ると、大きな影ができる』ように、大きな成功者にはその光に伴

 う大きな暗部も存在しているので、光と影・明と暗も濃く大きく

 なる恐れを持ち、妻や子供との平凡を求めた理由です。 

 しかしありふれた幸せを手に入れるにも、人間として分をわき

 まえる節度が身に付いていないと逃げて行くと思っています。

 どんな人間でも己の邪悪さは自覚していて、その邪悪さに自己嫌

 悪を感じた時の対処の仕方で、人間性が大きく変わり人生をも変

 えるのですが、これからは性善説が支配する日本のこれまでの常

 識では決して生き残れないと思っています。

 海外ではたとえ自分が悪くても謝罪してはいけないのが常識で、

 謝罪は全面的な己の非を認めることなので、交通事故の時などは

 全額弁償になるほどです。

 海で囲まれた安全・安心な日本と違い、陸続きで戦争を繰り返し

 てきた民族の歴史的背景の日常認識は、たとえ勝てないときで

 も負けずに済ますことが常識なのです。 

 これからの日本は人口減少に対処するため、海外に進出し利益の

 国内還流を果たして行かないと、今の豊かさを維持していけない

 状況に必ずなって参ります。 

 つまりこれからは戦争の歴史を乗り越えてきた世界各国の『悪』

  とも戦い抜けるような悪知恵が必要になり、勝てない時でも負け

 ない狡猾さが生き残りのために必須になると思います。

 躾とは身に付けたものが美しいと書きますが、この躾こそが人間

 の節度を現しているのですが、家庭や友人のような私的な部分で

 は大切ですが、ビジネスや社会における利害関係の場において

 は損か? 得か? という大人の悪知恵を身に付けていないと、

 邪悪な『悪』に翻弄され葬り去られる時代を迎えたと思います。

 また時代と共に悪と善の境界も変化して行くので、日常生活に

 おける大切な判断の時、基準を損得勘定だけに置くのではなく、

 いつも『咄嗟の時』表情に出る人間性をも見逃さないことです。

 これは性悪説を強調しているのではなく、人間は性善説と性悪説

 の両面を持った複雑な動物であると認識することで、善と悪の占

 める割合も人間の数だけあるということです。 

 神話や昔話もそうですが、特にフォンテーヌの寓話には悪に打ち

 勝つ悪知恵が沢山含まれており、世界的にも稀な安全・安心な日

 本人にとって勉強になり、国際的にも通用する悪に打ち勝つ悪知

 恵を授けてくれて、その効用として毒も薬も飲み込める寛容とい

 う真の大人の思考回路も身に付くと思います。

 

追記

  損得勘定が大切について説明不足になっていたので追記します

  と、究極では生き残りのために自分の得になる判断が基準です

  が、人間には理性があるので『損得にも理性を伴った判断をす

  る』ことが社会生活を円滑にします。

  デカルトが『方法序説』で述べているのは、『理性的に考える

  方法』ですが、損か? 得か? も理性的に考えて決断するの

  が成熟した大人で、幼児のように己の利益しか考えない人間は

  社会的損失を大きくする害虫のような存在になります。

  たとえば道路では信号を守るという決まりがあるから円滑に車

  が進みますが、『俺は急いでいるから』と決まりを守らない人

  が増えたら事故が増えて渋滞し、逆に大きな損失に繋がるよう

  に、信号を守り待つ損の方が早く到着する得に繋がります

   このような信号を守らない理性のない人間が、今の社会の中の

  上層部に多くいるから格差は拡大し、閉塞状態から抜け出せな

  い状況が続き、このままでは間違いなく危機が訪れますので、

  多くの人が『理性を伴った悪知恵を』身に付け、身の回りの

  害虫から駆逐して行かねばならないのです。