透明な悪の蔓延。

森友・加計問題・日大アメフト・大企業の偽装問題の連鎖など、日本全体で起こっている目に余る嘘と偽善への批判報道が続きますが、辟易して批判に疲れるのを待っているような状況になり、陰湿な悪者達の影の微笑みが想像させられます。

約一年間続いている森友・加計学園問題などを見ていて、中村雄二郎氏の『悪の哲学ノート』という本に書いてあった、悪と善は互いに対抗しながら世界を動かしているというグノーシス主義という昔あった思想の内容を思い出しました。 

一般に『悪』とは善良な心が欠けたものと捉えがちですが、悪は善と同じく人間の心の中に同時に存在しているものと捉えたグノーシス主義には、哲学者ユングも心を動かされ惹かれて研究に没頭したそうです。 

この本の中には、私の中にもある悪に照らし合わせて、悪には他者を魅惑すると同時に他者にも感染するという二重の特性があるが、善には悪のような活動力が存在していないので、善は他者に伝達するのには向いていないと言ったシオランの言葉にも納得させられました。 

今の国会や大企業も含めた社会でも、現状の嘘に伴う悪行がこれからの若い未来の人達を魅惑し感染していかないか? 大きな不安と暗い影を感じてしまいます。 

それは人間社会にとって、善は我々の活動力を増大させ秩序立った関係を形作ることに繋がりますが、悪は我々の活動力を減少させ秩序立った関係を解体し破壊させるものだからです。 

しかし矛盾しているのですが、個人としてはむしろ悪の方に魅了されやすく感染しやすいように人間は出来ていて、邪悪さの中で大きな優越感と小さな自己嫌悪の狭間を楽しむサドとマゾが人間の中に同居しており、最終的にはバレなければいいという狡猾さで社会的にはマイナスなことに走るエゴイスティックな愚かな動物が人間の本性なのだとも思っています。 

動物も強者から逃げ弱者を餌にして生きているのですが、生きるための殺傷だけで蓄えるという過剰な殺傷をする知恵がないので、欲望過剰による破壊という害には繋がりません。 

しかし現代の体制は、人間の際限のない欲望を抑制する知恵は忘れ去られ、成果を上げる利益と効率追求のみに集中し過ぎ、その結果が長い停滞と格差拡大と不祥事続きです。 

利益や効率と同時に、自然や他者と共に生かされているという思想的な知恵も考慮に入れていないと、やがて自然災害や内部崩壊という他者からの猛反撃を受けるのではないか? 心配です。 

先日も五歳児への虐待死亡事件報道がありましたが、これも底流にある格差問題の貧困が発火点になっていて、全国的に増加し続けている虐待や家庭内暴力だけでなく、未婚や離婚による少子化も格差拡大による貧困があり、若年層ほど八方塞状況で未来への不安に苛立った悪の暴発事件も多発し、その矛先は常により弱者へ向けられる弱肉強食のイジメ体質の汚染蔓延です。 

政治も社会も強者同士の癒着と連合で、建前では格差問題を取り上げても、本音では己と身内を優先した行動を陰で取り続けますので悪化しても好転しないのです。 

悪の活動力に対して善には伝達する活力が弱く負けてしまうからですが、一番即効性のある解決方法はやはり政治の力で、柔軟な投票行動で権力者を不安定にする以外にありません。 

選ぶ国民のレベルが下がったから政治家のレベルが下がったと自覚し、ノーと反対勢力に投票行動を起こす勇気と努力を繰り返し、我慢しても健全な野党を育成しないから格差は拡大し続け、その苛立ちは強者から逃げて弱者に向かっているから虐待・家庭内暴力・煽り危険運転などの事件だけが増え続けます。 

たとえ報道で知っても、我が身は安全な場所から『ひどい人』と批判したり罰を与えたりしても解決はせず、そのような人間を弱者に追い込むような社会体制が継続している限り、悪への魅了と感染力に蝕まれた社会が続くと思います。 

歴史的にどの国家においても社会が成熟すると腐敗が始まり、革命や戦争でチャラになり無から有を作る過程を経て改善されてきたのですが、文明が進むほど高度化した武器ができ戦死者が増加し、やがて抑止力という核ができてからは戦争回避が大命題になり、『一度清算する』という無から有を作り上げる過程の改善機会が失われ、世界的に継続による癒着と腐敗が蔓延しました。 

この核ができた頃から革命は後進国以外で起こらなくなった理由は、人間は自分が食べ物に困らない限り決して蜂起しないからで、とりあえず食べることに困らない先進国では富と貧困の連鎖が続き、格差と癒着はより深く潜行して拡大して行きました。 

財務省の改ざん忖度問題や日大アメフト事件や過労死などが起こる背景には、人事権を握る人間への恐れがありますが、人間は恐怖心に襲われると理性が失われ、善悪への理性が働かなくなり強者の言いなりなるエゴイズムに走ることは、戦争体験者の人達が一番よく知っています。 

私は戦争を経験していませんが、これに似た集団内で起こった恐怖体験時のエゴ行動を二十三歳の時に経験しました。 

就職して三年目、人事異動などで入社時の恵まれた先輩・上司は去り、先輩・上司は嫌な奴ばかりの『張ったり八分で、実力二分』の人達で、普段は女・酒・喧嘩などの威勢のいい自慢話ばかりで、羨ましいと思いませんでしたが少し信じていました。 

会社は調布営業所ですぐ近くに京王閣競輪場がありますが、夕方五時前に一見してヤクザと判る客が『中古車を買う』と来店しましたが、左手の小指と薬指がなく脅し口調でした。 

どうなるんだろうと思い傍観していたら、上司が私の所に来て『高野応対を頼む』と言うと、すぐに『じゃ本社に用事があるので』と帰って行き、普段は七時頃までいる先輩も私に猫なで声を出して次々に帰宅して行きました。 

恐ろしく困ってもヤクザは私を摑まえ『兄ちゃん、競輪で組の金を使い込んだ、ばれたらまた指を詰めなきゃいけない。五十万の車を買うから百万の領収書を書いてくれ』と詰め寄られ、できないと言うとテーブルをひっくり返し、椅子を投げるなど事務所を滅茶苦茶にして暴れましたが、私はここで一番の新参者でそんな権利もなく、あなたは残額のローンを組む(その頃は丸専の手形)為の公正証書を作る要件を満たす書類を用意できるのですか? など、諸々の手続きを誠実に説明し続けましたが、勿論ヤクザに印鑑証明なども含め揃えることは無理なことでした。 

夜九時頃まで怒鳴る脅すの連続でしたが、私が若く誠実に応対したせいか? 殴られはしませんでした。 

少し落ち着いてきて冷静に暴れるヤクザを見ていて、組の親分に怯えているのが判ったので、『あなたの組に掟があるように、私の会社にも就業規則という掟があり、できないものはできない。組の掟を破ったのはあなたで、あなたのために私が会社の掟を破る義務も権利もなく、ましてや若造の私に偽造領収書作成の権利などありません』と述べ無理ですとお願いし続けました。 

九時を過ぎた頃やっと納得してくれ『兄ちゃん悪かったな、また指を詰めるわ』と帰る後ろ姿が寂しそうで、思わず『力になれなくて、すみません』と言っていました。 

ホッとしたら腰が抜けたようになって、滅茶苦茶な事務所を見回し落ち着いてきたら、上司・先輩達に無性に腹が立ってきたので、そのままの状態にして帰宅しました。 

翌朝もまだ腹が立っていたので二度寝し遅刻して、十時頃に平気な顔をして出社すると事務所は綺麗に片付いていました。 

全員私に注目していましたが、無視して机につき仕事をしていると上司が近づいてきて『大丈夫だったか?』と聞いたので、『はい』とだけ答え誰にも内容は説明しませんでした。 

それ以後、張ったりは減少しても喉元過ぎれば相変わらずでしたが、私には全員一目置くようになりました。 

私はこの経験をしてから弱いものイジメをする奴ほど実は気の小さい奴で人は誰でも自分の属する組織の掟に怯えて生きているのだと思うようになり、以後私は社会の掟は守っても、組織の掟に怯えて生きるのが嫌になって自営業を選びましたが、それは張ったりでやんちゃをした果てのヤクザも、組織の掟に怯えて鉄砲玉の役目に成り下がっている後姿が惨めだったからです。 

一般に家庭内暴力と虐待をする人間は社会の掟の中における脱落者が多く、その敗者として抑圧された反動が、家庭という密室空間で行う暴力の張ったり行動なのだと思います。 

ごますり忖度や過労死も組織への怯えが底流にあり、その組織への精神的・金銭的依存が絶たれることへの恐怖心が理性を失わせて取る行動だと思います。 

私は嵌められ追いつめられて良い経験をしたのですが、自営業になってからも群れの中に入るのが苦手です。 

それは集団や組織に潜む魔力で、どんなに真っ当な考えでも集団や組織の中で生かそうとすると、必然的に集団内の人達を支配下にしようとする権力志向に陥るからです。 

集団になると差別が起こり、格差が起こるのは指導者という権力が必要だからですが、この権力継続による腐敗の悪弊を防ぐルールが麻雀などのゲームの中に存在します。 

誰かが親(支配者)でスタートしても、一ゲーム終了し敗者になると親を降り、前のゲームの勝者は親を継続する決まりで、一ゲームごとに無にもどり有を始めるのは、ゲームの公平性維持のために必須だからで、権力のあり方として参考になります。 

最後に権力における近年の特徴的な悪の形態が『恐怖心を与え忖度させる』ことなのですが、その巧妙な悪の形態は大人の組織だけでなく、若者や子供の世界にも感染し広がって行きます。 

それは『目に見えないようにした透明な悪』で、権力者が身内のルールを楯にとり暗黙の恐怖を与え理性を失わせて悪の遂行を迫るものですが、この恐怖の世界に取り込まれると、人は無意識的ですが良心も支配されているので、自らの意志で悪を実行してしまいます。 

暗黙の恐怖命令は目に見えない悪で、存在しないものだから謝罪も禊(みそぎ)も責任も取らなくて良く、悪を実行した者だけが罪を問われる、まるで殺人教唆に似たこの透明な悪の蔓延が現代社会を巣食っています。 

目に見える部分は建前の善の言葉で覆い尽くし、部外者の見えない所で透明にした悪を振り回すもので、今日本のあらゆる組織で行われ、ヤクザの鉄砲玉のような生け贄として弱者の犠牲者が増え続けています。 

組織における目に見えないようにした透明な悪への対策には、公平な社会の掟(法律)を対抗軸で提示し、公にする勇気と目に見える証拠として可視化する工夫と知恵を働かせる執念が必要ですが、日大アメフトの反則行為をした学生の独自記者会見が正にその典型的な方法です。

私もこのヤクザ事件の時の上司が陰でやっていた悪事を、半年かけて間接的に公になるように持って行き、最後にこの上司は担当常務に呼び出されて依願退職しました。 

健全で活動的な組織とは、上下関係を越え忌憚のない意見を言える組織ですが、私はこの担当常務に呼び出されるような行為を続け、本社からは見えない『透明な悪』の存在をほのめかしたのですが、この常務は見事に見破った立派な人で、後に私を『高野は組織で上昇したら、必ずハシゴをはずされる。若い今のうちに退社し何か始めろ!』と背中も押してくれた人でした。

我が家では娘が高校生の頃『お父さんは見た目に貫禄がなくて損しない』とか、妻には『お父さんは見た目がヤワな男だから、どうにでもなると思い結婚したが騙された! 見た目と違い小生意気でくそ度胸があるので頼りにしているから頑張れ!』などと言われたのですが、くそ度胸はこのヤクザ事件で普段粋がっている奴ほど実は意気地がないと判ったから身に付いたのです。 

しかしこんな二人の言葉に戸惑い『はい』と答えながら、こんなことを平気で私に言う二人の存在に、対等で健全な家庭を実感して満足していたことも想い出してしまいました。