白夜。

今年も残す所わずかになり、妻を亡くした時の目標三回忌を無事終えられて、今年一年と私自身のたそがれ時を過ごしております。 

今この時期にお客様から戴いた吉田拓郎のCD中の『白夜』という曲の歌詞に、私自身の人生と四十二年間の商売のたそがれ時を重ね料理をしながら、そして寝る時もタイマーで聞いております。 

妻を亡くした丸二年間の寂しさは慣れない料理で時間を埋めても、これからは加齢と共に体の機能や沢山の馴染みのお客様を失っていく覚悟も迫られ、身に沁みながら繰り返し聞いております。 

それはほとんどのお客様が三十年以上の人達で、此の頃はその方達のお子様達が所帯を持って子供連れで来店し、親が歳を取り足腰が弱ったので私共の買物を頼まれて来店すると、子供の頃に親御さんと一緒に来た時の想い出話をされること度々です。 

そんな繋がりでほとんどの人達の辿った人生と、今現在のひとり身の生活に到るまでの、喜びも悲しみも来店時に話題になり共有した人達が多く、沢山の人達の人生と共に私の店が支えられて来たことを実感させられています。 

そんな中でここ十年程前から櫛の歯が欠けていくように、ひとり身維持の困難から施設に入居したり、自宅でひとり頑張っていた人達が亡くなったりする知らせが増え、我が身もひとり身の寂しさとそれなりの衰えを思い知る出来事が重なり、精神的にも肉体的にも自分自身の人生がたそがれ時を迎えたことを自覚させられ、行商から今までの想い出が走馬灯のように蘇ってくる毎日です。 

先日も半年前に突然ステージ四の食道癌と告白された方が亡くなられ、闘病生活の合間に来店した時、『高野さんとは最初の頃に随分喧嘩したけど、お互いに若い時で今は懐かしい想い出よ』と云われたことを想い出しながら、お子さんが出来なくて苦しんでいた時、授からないものを望まないで優しいご主人に恵まれたことを感謝したらなどと、年上の方達にも生意気なことを言いましたが、その方ともほぼ三十五年分の喜怒哀楽の想い出があります。 

通信販売の方達の中には、一度もお会いしたことのない方達もおりますが、私心のお手紙を入れているせいか? 電話注文時には皆様の私生活の話などもされるので、手紙にはその話題の答えやヒントになるものを入れてお送りしているせいか? 昔からの知り合い同士のようで励ましたり励まされたりです。 

十一月には注文時の声がいつもと違うので、『元気のない声だけど、何かあった』と言うと、突然泣き声になり『高野さんのお茶が大好きだった主人が』と言って絶句されたので理解できました。 

まだ五十代の方ですが、その方のご両親も亡くなるまで発送しており、彼女は結婚当時からで、娘さんと息子さんが大学を卒業する頃は就職難でお子様二人は東京に就職しており、社会と繋がる糸口を失って孤立を深めないようにお願いしましたが、ただただ心配で私の経験した内容を書き送りました。 

ここまで沢山の人達の人生を見てきて人の寿命について思うことは、早く亡くなった人達は無念さを持って死んで行き長く生きる人達は心の手足をもがれるような寂しさを抱えて生きる辛さが待っていて、果たしていつまで生きることに正解があるのか? 

結局納得できるような死に時などはないのです。 

先日知的で穏やかな九十代の一人暮らしのお婆ちゃんが、久々にゆっくり話をした時、『高野さん、長寿は果てしない地獄のような苦しみと思うことがある』と言いましたが、『私も賛成です』と言うと、にっこり笑い『必死で子育てしていた時が、人生の一番いい時ね』とこれも一致し、いつまで生きるのか判らないけど残りの人生お互いに子供達に迷惑をかけないように心掛けようね!! と励まし合って別れましたが、この心掛けが大切なのです。 

人は自分の為ためより、愛する誰かのために頑張って生きることで張りが出るもので、子供や孫の役に立てるように健康に心掛け、遠くに子供がいる人は帰ってくる故郷を守るような気持ちが親子の絆の糸を繋ぐ役目を果たすことになってもいます。 

人は誕生があり、生を真っ当して、死が待っています。 

その間の人生の節目ごとの喜怒哀楽が走馬灯のように巡る時が『たそがれ時』で、一日の始まりで朝陽が上がり、懸命に働く日中があり、日が沈み始めるたそがれ時を迎え、眠りにつく闇で一日が終わる人生に似て、巡る毎日も季節も年月も出逢いと別れが人生です。

 

『白夜』歌詞

 

①風が凪いだ空に旗は動かないし 客が降りた汽車は鎖につながれる 映画館の椅子を掃除してる女 駅のベンチの上酔っ払いの寝息 みんなみんな終わっちまった みんなみんな終わっちまった 今夜はとっても白いよ 

②閉じた店の窓に厚い布が張られ 人のいない路地を風が渡り歩く 自由だった街の祭り騒ぎ失せて 赤や青の信号虚しさだけ照らす みんなみんな終わっちまった みんなみんな終わっちまった 時代と共に去っちまった 今夜はとっても白いよ

 

世代なんか嘘さ夢と笑えホロ苦い若さ みんな何処に消えた旧い親しい友よ ゆうべ見た夕日赤いトンボ達よ

  星は巡り今夜白い闇の夜だ みんなみんな終わっちまった 

 みんなみんな終わっちまった 

 立ち尽くす僕を置き去りにして 今夜はとっても白いよ 

 

この詩は私と同年代の松本隆氏の作詞で、『はっぴいえんど』の元ドラマーでした。 

大瀧詠一永一氏は同グループのボーカルでしたが、四年前に解離性動脈瘤で亡くなっています。 

松本氏は今も売れっ子の作詞家ですが、昔から沢山のヒット曲の作詞を手がけており、この曲では一緒に過ごした人達を失っていく心境をミクロの日常で表現しながら、実はマクロの人の一生の儚さを歌っていると思っています。 

木綿のハンカチーフ作詞の頃から繊細な感受性の持ち主ですが、確か? 慶応大学を中退して音楽の道に入った異色の人です。 

死者も白装束を纏い、何もなくって元に戻すことも白紙に戻すと言い、テレビも終了すると真っ白ですので、全てなんでも終わってしまったら真っ白なので『白夜』もいい題名と思います。 

『人ひとりなるは良からず』は金言で、本当のひとりになると照らし出される虚しさに溺れないためには、社会や人と繋がる工夫が大切で、体が元気なうちは無理のない範囲で社会や人の役に立とうとする気持ちを持って人と交わることです。 

私はそれら全てが死の終わりを迎えるまでの、人生の暇つぶしと嘘ぶいておりますが、誤解されること度々です。 

たとえば親子でも世代間の考え方が違うのは、日中の陽の盛りの中でもがき懸命に働いている人と、たそがれ時も過ぎた闇の中にいる人では見えている景色が違うからで、時が経過し親の歳にならないと見えてこない景色もあるので、『世代なんか嘘さ夢と笑えホロ苦い若さ』になるのだと思います。 

共感できる人達が時代と共に去っちまったという気持ちは取り残された者だけが味わい、妻の不在を確認させられる時、立ち尽くす僕を置き去りにしてと感じる寂寥感も予想していたものとは違い、今は共感できる歌で癒しながら一日一日をやり過ごし、潔く私の人生のたそがれ時を過ごしたいもの! と確認できた歌です。 

妻と知り合った頃は吉田拓郎ばかり聞いていたのですが、CDを頂き以後の知らなかった曲を寝る時も含め毎日のように聞いていたら、新婚時代の借家で妻と交情している夢を見ました。 

妻の夢は二度目でしたが、今一度同じ夢を期待して終了タイマーをセットし白夜が入ったCDを毎夜聴きながら床に入っていますが、三度目の正直はまだ訪れていません。

こんな夢を見たのは七年前の正月休みに二人で東京へ行き、二人の想い出の地をレンタカーで訪ね廻りましたが、特に妻のいた板橋の環状七号線沿いの二人でよく行った銭湯など特定できない場所も多々あり、ほぼ四十年間の変貌ぶりには二人で驚きの連続でした。

当時田舎だった小平の新婚時代の借家近辺も都会のように変貌していたので、妻が『あの家はもうないよね』と言った時、その時のままの借家を見つけ二人で感動し、当時のことを懐かしみ二人で話していたら家の前で二時間ほど経過していました。

妻が『ここで燃えたね』などと話し、『五年後位にもう一度この家を見に来たい』と珍しく要求したので、また二人で東京に来て想い出の地を巡る約束をしたから夢に出たのだと思います。

妻との約束が果たせなかった無念さが頭の隅にあったので、夢に出てきたのでしょうが本当に人生の一寸先は闇です。

来年の正月休みは人込みを避けて、白夜とみちのく一人旅のCDをリピートしながら洗濯・掃除・アイロンがけなどで埋め、合間に好きな人の本を読む引き籠りの暇つぶし正月です。

今年最後のお願いとして、同じような年代のたそがれ時でもご夫婦お揃いでお過ごし方達は、どちらか残される相手の辛さを思いやって自分自身の健康に留意して欲しいと思います。

少しでも二人で過ごす時間を延ばすと、残された者が味わう寂しさや辛さが短くなりますし、同じたそがれ時でも二人で見る景色とひとりで見る景色では違うものと思い知ったからです。 

これからも櫛の歯が欠けていく寂しさを覚悟し、妻との想い出が詰まったこの家とこの店で、砂時計の砂が落ち切るまで時を刻み、自分の役目を果たして行きたいと思います。

     泣くときはひとりと決めて夜半の冬

この俳句は妻を亡くした時、私に俳句を勧めてくれた人がお悔やみの手紙をくれた時の最後に書いていた句です。

この方もご主人を亡くし、お子様達は東京にいるひとり暮らしですが、普段は寂しさを微塵も出さず振る舞っていて、私のようにいつも上手に変装して社会を闊歩しております。

今年も一年無事に役目を果たせたようなので感謝しております。

皆様もせをぶように、幸運な新しい年をお迎え下さい。