選挙と欠乏感喪失の堕落。

突然の解散総選挙でしたが『専制的権力は徹底的に腐敗する』の言葉があり、水も流れずば濁り腐臭を放つようになるのですが、こちらも突然に民進党が解党し希望の党合流という予想外の展開がカオスを招き、今度は合流を拒絶された人達が立憲民主党設立と慌ただしい予想外の展開の連続でした。 

希望の党設立で、ついに日本でも右傾化新政党の台頭が始まり保守二大政党の連立か? と思いましたが、結果は自民党と公明党の連立継続でしたが、これは野党が分裂したから自民党政権の反対票が分散され自民党の減少がなくて済んだのです。 

一寸先は闇が政治の世界ですが、希望の党の敗因は小池氏の選別・排除の行為に自民党と同じ保守の匂いを感じたからで、保守二大政党への危機感と安倍一強へのバランス感覚が働いたことで立憲民主党が漁夫の利を得て躍進したのだと思います。 

つまり立憲民主党の躍進は、希望の党・小池氏の失策のお陰ですので、次の選挙では野党連携を本気で強化しないと反動で議席数が減少すると思いますが、どうして日本の野党は『小異を捨てて大同につくことができないのか?』、まるで政権奪取を本気で目指していないような単なる政治屋のようです。

米朝関係も一瞬即発は潜行していても続いており、世界中が右傾化できな臭くなってきたと思ったら、中国・ソ連の左派もきな臭くなってきて波乱の根源は全て自国の利害優先のためです。 

日本国内では核家族化の完了・個人主義進行・コミュニティ崩壊・自国ファーストから個人ファースト・親密より希薄な関係・次世代のことより今の自分達優先が進んだ中で起こる異常気象の多発は世界的なできごとなので、いずれ食料問題に繋がりますので食料自給率の低い日本はエネルギー資源と共に先々は心配の種です。 

不穏な未来を予感させますが、停滞よりカオスの方が危機意識を醸成させ結果的にはマシになるかな? と何事も逆説的に考えておりますが、日本の大きな問題は企業においても政界においても年寄りが指導者層に居座っているための新陳代謝遅れの危機です。

神戸製鋼所の検査データ改ざん問題・日産など大企業の不祥事は止まるどころか増加の一方で、明るみに出ない部分も含めた大企業内の動脈硬化は深刻な事態で、大企業内の活力喪失と腐敗は長期間にわたり深く進行していて突然表面化しただけです。

このままでは国際競争力は急速に低下し資源のない日本の危機ですが、危機や難関時を乗り切り突破する時には瞬発力と理想主義を併せ持つ若さが必要不可欠で、明治維新政府の大臣・参議なども一番歳を取っていた西郷隆盛・大久保利通でもやっと四十代で、それ以外は三十代、若い人は二十代だったことを思うと今ほど世代交代が急務な時はないと思うのです。 

私自身を振り返ってみても、歳を重ねて智恵がつき利口になったとは思えず、白髪が増え体は無理が効かず臆病になっただけです。 人間の能力は天賦のものがほとんどで、馬鹿な人は若い頃から馬鹿で、利口な人は若い頃から利口ですので、若い人に政治も経営も早く譲って年寄りは隠居した方がいいのです。 

昔の隠居は家督を譲ったら、決して口をはさまず忍耐し従い『地位が人を作る』という言葉もあるように、家督を譲った者に任せ家長としての成熟を待ち見守り続けていたのです。 

人間はある種の欠乏感がないと堕落するので、年寄りより不安感や欠乏感を持つ若者の方が世の中をうまく動かせると思います。 

終戦後はパージが新陳代謝を促し高度成長に繋げたように、危機の時は若い指導者(フランスのマクロン大統領のような)が出てくると同世代の若者も刺激を受け大志や野心を持つようになるので、有能な若者の続出に繋がり新陳代謝が加速して危機を突破します。 

デフレ以後の日本ではその機会を若者に与えていないから行き詰まりを打破できないのですが、これには長寿化も影響していて権力欲から院政でごまかした時代もありましたが、最近は隠居もせずに生涯現役などと権力にしがみつくので、優秀な若者達が台頭できずに萎縮し忖度など腐敗が進むのだと思います。 

昔池田首相が所得倍増論を打ち上げた時、世論は嘲笑しましたが物価が上がっても確実に底辺の人達の生活水準も上がり、一億層中流社会が実現しました。 

これには朝鮮戦争という特需もありましたが、経済学者・下村治氏の理論に池田首相が着目した見識があったからです。 

逆に小泉首相の時に格差が拡大したのは、経済学者・竹中平蔵氏の理論を採用し派遣法の拡大が政策に反映したからです。 

この二人の経済学者は共に目標は経済拡大でしたが、目指す所の決定的な大きな違いは下村氏が底辺の庶民生活も必ず豊かにすることを一番の目標においていたことで、戦勝国アメリカに対しても言うべきことを述べ、アメリカからの圧力に対しては毅然と反論し理路整然と述べていました。 

池田首相も敗戦からの日本国民の精神的自立には、国民の経済的な自立が欠かせないと下村氏を守り政策遂行で実現に繋げました。 つまり学者の見識と政治家の見識が一致しないと成し得なかったことで、逆に利害を優先する政治家と利害を優先する学者や官僚が結びつくように、人間は思想的に近いもの同士が結び付くように出来ています。 

これは子供の世界も大人の世界も同じで、選挙で選ぶ政治家の資質は投票する国民の資質に比例することにも繋がっています。 

日本の場合、政治家を感情的に批判するだけで、選んだ国民の責任を棚に上げて政治家のみに押し付けていますが、国民や世論にも共犯者としての責任もあり同罪だと私は思っています。 

特に日本のマスコミは現役首相に対しては貶めるような事ばかり報道していて、何事にも是々非々で望むのではなく一種の感情論が横行し、ひたすら国民に迎合したり扇動したりするのは新聞の発行部数という利害が優先だからです。 

吉田首相や田中角栄首相などは典型的で、在任中は悪言の限りを尽くしていたのに、亡くなってからは平気で美辞麗句を並べていて同じ新聞・人間なのか? と思いたくなりますが、このようなマスコミ姿勢に異議を唱える人達の声は取り上げず抹殺しているので、このような声は存在しないことになります。 

マスコミが選んだ国民の責任論を展開しないのは、国民を批判すると新聞の発行部数が減少するので国民には迎合し忖度した記事にしているのです。 

最近は醜聞が専門の週刊誌の方が真実に迫っているのは、週刊誌は配達ではなく購買者の意思で買っているという自負があるからで、これ程に国民は醜聞を好むものと知っているから、醜聞のなかに真実に迫った記事を混ぜて販売することが出来るのです。 

今もし新聞配達をやめて、週刊誌のように個人の意思で店頭やキオスクで購買する制度に改めたら、新聞の発行部数の五割位は確実に落ち込むと思います。 

人間は誰でも邪悪な性悪説的なものを生まれながらに持っている嫌な動物でして、権力者を一方的に非難し続けるのも読者への一種の迎合で、権力者への嫉妬を察知し批判している者があたかも正義であると錯覚させるような偽善も内包しています。 

秩序を維持し正して行くにはマスコミや国民自身の責任も明確にし、選んだ国民の眼力を養うために共犯者としての自覚を促すことも大切ですが、それには発行部数を減らす覚悟と真実報道の取材対価として高額を要求する覚悟も必要です。 

選挙結果から政権の政策運営による果実の恩恵も、そのツケを背負うことになるのも国民ですが、そのどちらも若い世代の人達の方が多いのですから若い人達の投票行動が求められます。 

大政奉還という無血革命・太平洋戦争・高度成長・バブル崩壊後の不況も政治の力で、社会を大きく変革する一番大きな力と要素になるものが政治の力という自覚を日本の国民が持たないと、人間はとりあえず自分の生活に困らないと何事にも無関心なので、これからも投票率が上がる事は難しいでしょう。 

しかし投票率が下がると、公明党のような池田大作氏の命令ひとつで投票行動が決まる組織が有利になる危険が孕んでいるのに、現実はいまも公明党との連立が続いているのです。 

しかし新聞がこれを書かないのは、書くと学会員によるその新聞の不買運動と、新聞収入の半分を占める広告収入に影響が出るので、創価学会批判は新聞業界のタブーになっているのです。 

報道の自由などと言っても、資本主義社会には利益を求めるための迎合があり、業界の常識は世間の非常識という矛盾がなくならないのは、実は人間の内部に存在している醜悪なものの為で、私自身も自覚するたびに自己嫌悪に苛まれます。