お金で見える親族・親子・夫婦。

私の数少ない友人達が子供に少しでも財産を残したいと言うのですが、美田(財産)を残すということは、孫子の代において悩ましい問題が待ち受けています。 

昔のお客様で当地に一軒家とマンションと東京に宅地(世田谷)を持つ老夫婦がおり、一人息子が相続してすぐに一千万もするベンツに乗って訪れ唖然とし不幸を予感して忠告しました。 

その後僻地への転勤は上司の嫉妬なのに、気付かずに見栄をはる贅沢は止まず、娘が札幌の大学に入学すると当地の一軒家から通学させましたが、娘は親の見栄と贅沢の背中を見て育ち学び、一人身の寂しさから男の出入りが激しくなり通学せず、奥様が私の忠告通りになったと話し、娘を連れ帰り家は売却する趣旨を懺悔されましたが、これは悪銭身に付かずの好例です。 

人間は自分が稼いだ器の分を超えて持つと、身に余り管理できず錯覚から傲慢になった果てに不運を招き寄せるもので、老夫婦の残した財産が孫子の代まで不幸にしたのです。 

有名人の子供も悩ましいもので、漱石の子供は父の思い出しか書かせてもらえず、自分の才能は発揮できずに終わったのですが、作家の中で特に財産を残した鴎外の娘茉莉は激愛され家事一切できず、最後は西洋乞食のようだったそうです。 

逆にお金に余裕のなかった幸田露伴の娘文(あや)は厳しく家事全般を仕込まれ、父の死後は生活のためと本の資料勉強に芸者置屋の賄いとして勤め、その知識を基に花柳界の本『流れる』を書いて認められ文学賞をもらっています。 

有名作家の子は親の印税の期限が切れた時、そのお金がない生活に戻れない不幸も待ち受けています。 

昔関西芸人の西条凡児(親父万歳という番組で有名人)が絶頂時に自分が稼いだ金は子供には関係ないし、そんな金が子供に舞い込んだら害はあっても益はないので全て使って死にたいと言っていましたが、これも無理な相談です。 

兄弟は他人の始まりと言いますが、兄弟が妻帯して本当の他人が入り込んだ親の財産相続問題は、お互いが仇同士なって争っているのがほとんどで、表面上でも問題なく済んだと言えるものは稀で、陰では不満を言っているのが実情です。 

これは前にも書きましたが昔は長男が遺産全てを相続し、その代わり親兄弟の面倒を全て見たのですが、民法の相続権で財産は兄弟全員が相続するようになり、老後の親を全員でみることになっても結果はたらい回しで、財産相続という権利は行使しても自然の情ではない老いた親の面倒という義務は放棄で、親の年金で賄える範囲の施設へ入れて終わりが昨今の実態です。 

私は結婚する前に考えていたより遥かに幸運な人生だったので充分に満足していますし、自分も哺乳類の動物で親より我が子が可愛いので、遺骨のある自宅で妻のように一気に! と願っています。

妻の死んだその日からタバコ(一日六本)を吸い出し、毎晩ビールを飲み定休日は月二回なのも全て自分の望むことで、少しくらい長く生きることに意味はないと思っていて、我儘で寿命が短くなっても自分の人生を後悔なく過ごしたいと思っているからです。

妻のいない最初の一年が長く感じられたのは、人と言う字の支える相手を失い生きる励みそのものが奪われたからでした。

私は信長が『人間五十年』と言ったように娘の成人までが目標でしたが、現在は昔なら死んでいる人が死なないで生きている人に迷惑をかけているように思えるので、迷惑をかけているという自覚を持てなくなる前に人間界という下天を去り昇天したい思いです。

下天で生きることはお金や権力闘争とセットになっており、誰でも大人になると自分の稼ぎの先は見えてくるので、自分の能力以上のお金が目の前にぶら下がるとヨダレが止まらなくなるのです。 

最近は未成年で有名人になり巨額の収入を得る人も多いのですが、その人が結婚すると各々の親・兄弟のヨダレと嫉妬に悩まされるので、なまじ才能に恵まれることも大変なことと思います。 

核家族化の完了は、いずれ我が身を忘れて権利を主張し義務を放棄する流れを加速させ、民主的にと話し合いを勧めても噛み合わない利害の議論の果ての裁判は実はマシな方で、嫉妬・妬みの感情的もつれに話し合い解決は無理で、もつれた果ての最後は暴力以外にないのだからテロと戦争もなくなりません。 

労働環境が苛酷を極めて過労死が増える理由も、雇用主と従業員の利害が相反する組織の中で、過去の労働組合幹部の腐敗が原因で労働弱者を守る組合組織が崩壊してしまい、会社という法人の仮面をかぶった資本家の権利が異常に強化され続けた結果です。 

良い会社に入ればエスカレーター式で退職できた親世代の財産は高度成長とバブルの恩恵だったのを忘れ、子供にも良い大学・良い会社のエスカレーターを望みますが、経済環境の激変は大企業ほど過酷な労働環境に変貌している理解も進まないので、親子の断絶はお互いの常識の断絶にも繋がっています。 

資本主義とは資本家に有利に作ってあるもので、その資本家にヨダレを垂らし忠誠を誓って骨までしゃぶられたのが過労死です。 

労働とは自分が基本的な生活を維持するお金を得るための手段なのに、会社の繁栄のために睡眠を削り過労死や自殺するほどの奴隷状態の狂気に気づかないのは、世間的な良い会社で働き続けることが目的化しているからではないか? と私は疑っています。 

私は多くのお客様に『お客様のためになんか働いていない、私と妻と娘の生活の為に働いている』と言ったのですが、つまりお茶屋という仕事は家族の生活維持の手段であって、目的は家族が心身ともに豊かに暮らし続けるのだから誠実を心掛けているのです。 『お客様は神様です』と言った三波春夫は、自分の目的であるお金をくれるお客様を神様と言いましたが、お客様が神様ですからきっと家族より大切にするはずなのに、しなかったから偽善です。 

人間の誠意は自分が大切と思う人に身を削って奉仕することに現われ、利害関係においては損をする行為が伴うもので、大切な家族のためが目的になると、その目的を維持・達成するための手段が正当でなければ持続しないので、人から見えない場所の行為も誠実に行いますが、これも実は我が身のためです。 

娘が社会人になって間もない頃に、会社の奴隷になってまで働かないようにと伝えましたが、ある出来事で目に余った時に『会社の奴隷になるなと言ったけれど、生活を維持する給料をもらっているのだから仕事を誠実にしなさい! その自覚がないのは、自宅から通っているから』と湧き上がる怒りを抑え言いました。 

独身で自宅から通っているのと違い、自活してひとり身で生活をすれば失業への危機感が起こりますし、いずれ結婚して子供ができると責任感は一層増すものです。

その時に収入という目的のお金だけを見るか? 家族の幸福という目的のために働き得るお金にも手段を選ぶか? ここに善悪だけでは判定できない人間性が入り込みますが、手段の選択にはもうひとつ自分の能力への自己査定も無意識に折り込んでいます。

その人間性と能力を正確に査定し合っているのが夫婦関係で、背中のソロバンだけで繋がっている夫婦もあれば、ソロバンを基盤にして信頼と情愛で繋がっている夫婦もあります。 

最近の私は妻との想い出と共に暮しているのを自覚させられ、ひとり身の日常生活の些細な出来事や家事の過程で、妻との日常のやりとりの記憶が交差し『苦笑い』の繰り返しです。 

昨夜思い出したのは、若気の至りで『そんなに判らないなら、出て行け!』と言った時、妻は怒りを押し殺した顔で私を睨み『なんで私が出て行かなければならないの、絶対嫌だから』と言われ、その迫力に何も言えずに私が折れてしまったことでした。 

普段大人しい人が心の奥底に持っている頑固さは強靭で、論理や理屈など入り込む余地がないので折れる以外にありませんでした。 

二度目は『少し頭を冷やすために、実家に帰って考えておいで』と言ったのですが、その時も『私の帰る所はここだもの』と言って押し黙ったままなので私の負けでした。 

この二回の出来事で私への思いを知らされてからは、慇懃無礼にひたすら低姿勢にへり下り、あの手この手で何事も妻自身が気付くまで待つようになりました。 

その後妻は半分冗談のように、しかし釘を刺すように『お父さんは浮気はしないけれど、する時は本気だから、その時は別れなければならないと覚悟している』と真顔で言われた時、私も真顔で『その危険はあると思う』と答えたことも懐かしく想い出しました。 

とかく世の中は表ではきれい事で、そんな人ほど裏では目をそむけたくなるようなことをしているものですが、実はこの裏表のすべてを見せ合っているのが夫婦関係で、伴侶のお金という金銭への執着度合いと、自分自身への執着度合いとをハカリにかけ、どちらに重きを置いているか? もお互いに正確に判断し合っていることも努々(ゆめゆめ)お忘れなく!!  

苦笑いが増えてから『いつもの声で電話に出るかなー』と思い、戯れに二度ほど外出先から自宅に電話したことがありますが、やはり鳴り続けるだけでした。