人間の存在にも適量はある。

長い付き合いの方に『ずーっと何故お茶屋さんになったか? を聞きたかった』と問われ話したら、ユニークですねと面白がられたのですが、妻は不真面目で小ずる賢いと言っていました。

その説明は前職にさかのぼり、短大卒業後父親の支配から逃れる為トヨタ東京カローラという販売店に勤務、二年目からは先輩達の倍の台数売っていましたが、その頃は年功序列給与でしたので私の半分の販売台数で先輩達の方が給与が多いことに不満で、用事で本社に行った時に担当重役の部屋を訪ね苦情を言いました。

重役は呆れ怒った帰り際に『面白い奴だ、本社に来たら時々遊びに寄れ』と言われ、二年後位にその重役が『高野、早めにこの会社を辞めろ! お前のように生意気なのは少し偉くなると、必ず梯子を外される! 今のお前なら、まだ間に合う』と言われ、『俺のように重役になっても、上役が白を黒と言えば黒ですと答えないと、来年の取締役会では選任されず失業だ』と説明されました。

意味を理解し真心からのご好意には今でも感謝しておりますが、昔はこんな生意気な若者を思ってくれる上司もいた時代でした。

その頃の私は成り上がりの贅沢をした貯金もない生活でしたので、取り敢えず二年間貯金をしながら何を始めるか? 思案しました。

その頃はダイエーやイトーヨーカ堂が全国展開を始めていた時期でしたので、工場で作る大量生産の商品の販売で自営業をしても、大量仕入れで安く仕入れる大手との価格競争には勝てないと思って未来はないと思い、その当時は免許制度で守られていた米屋や酒屋が楽でいいなーと思っていました。

しかしこの業種は賄賂を積んでも無理なので、食べ物屋か? 農産物の八百屋か? 水産物の魚屋なら需要と供給で価格が決まるので大手スーパーにも対抗できる気がしていました。

でも食べ物屋は腹が減っている時に人が来るので家族団欒の時間が持てないので嫌、八百屋は冬は寒く夏は暑いので嫌、魚屋は臭くて冷たくて嫌、花屋は色彩感覚が駄目なので無理、これらの理由で脱サラ後の職業選択は消去法で思案し難航していました。

そんな中紹介されて横浜のお茶屋さんに車を売りに行き、お爺ちゃんとお婆さん二人がのんびり優雅に商売をしている姿を見て、幸い私は子供の頃から味覚が敏感で母に嫌がられたくらいでしたので、帰宅する車中に『これだ』と思った次第です。

最初はそのお爺ちゃんに紹介された静岡の藤枝農協との取引で行商を始めましたが、この業界にもピンキリがあることと、茶業界の常識も世間の非常識に染まっていることを知り、自分の考え方の基本である『全ての仕事に問題意識を持って当たる』方針で業界の常識を無視して考え、より品質の良い問屋さんがあれば尋ね、利益は散財せずに機械化に投資し続けて競争力をつけて、来店のお客様と通信販売のお客様だけでやって行けるようになった次第です。

その間には健康危機や倒産の危機など諸々ありましたが、あの時の重役の好意を受けたように多くの年長の方々のご好意と手助けのお蔭で無事家族を路頭に迷わさずに済んだとつくづく思っています。

サラリーマンも自営業も不満や不自由さは場所と種類が違うだけで長短の数はほぼ一緒とここまでやって来て思いますが、唯一良い所は定年がなく健康であれば死ぬまでできることと、嫌な上司の言うことを聞かず済むことが一番で、私にとって三番目だった人生の暇つぶしとして健康な汗を流すことが出来ることでした。

でも自営業になって一番良かった点は、恋人から始り妻として四十二年間いつも妻と一緒に辛苦を共にしたことで、その間一番信頼できる友でもあったと此の頃は思いますが、脱サラ以後の苦節の年月が夫婦の信頼関係構築に繋がったと思っています。

人間は困った時や追いつめられた時に思わず本性が現れるもので、その時に伴侶が上司が友人がどのように振る舞ったか? が信頼と不信の分かれ目ですが、阿吽の呼吸で信頼感を得られた時が伴侶・上司・友人問わず快癒ですが、私には大きな倒産の危機だけで三度あったのですが、妻はただ私を見つめ『お父さんの好きにしていいんだよ』が決まり文句の答えだったのも、サラーリーマンとは違い私の全ての仕事を見ていたからだったと思います。

そんな事を振り返りながら現在の社会状況を眺めると、若者の過労死やイジメの蔓延で強者が弱者を利用し追詰めていて、いい歳をした大人達の私欲蔓延で未来を担う若者を思うのではなく利用する状況に、あの頃より大人に余裕がなくなったことを感じます。

最近のテレビや新聞の健康食品の広告や健康番組の氾濫も異常で、何事においても全てが一方向う姿には嫌悪感を覚え、私にはイナゴやバッタの大群が天地を覆っている状況に相似して見えて、地球上に人間という生物一種のみが異常増殖し、バッタやイナゴが食料を食べ尽くし餓死して最適量に減少するに似た現象を予感させられ、今はもう起こり始めているような気もしております。

最近のゲリラ豪雨と台風・ハリケーンの大型化は海水温の上昇という温暖化による人間のエゴが主因で、魚なども限界があるのに人間だけが増え続けるといずれ限界値が訪れて奪い合いになり、核戦争より食料をめぐる戦争に発展する危険も孕んでおり、食物連鎖を無視した人間だけが豊かになって行く反動が恐ろしく、このままでは突然の豊かさの終焉を想像させられます。

医療の進歩も長寿に貢献していて、認知症を怖がっていた妻も脳の萎縮状況検査をCTでなくMRIで手配していたら? くも膜下出血の原因だった動脈瘤が見つかっていたので、そんな知識があったために私はそのことを悔い苦しみ眠れませんでした。

夫婦も親子もいずれ迎える別れですが、妻を残して私が先だったらと思うと『絶対私を見送ってね』と言っていた妻が可哀想だったと今は自分に言い聞かせて毎日を過ごしています。

食物連鎖を無視して人間の存在もないと思い、人類の未来を思うと社会への役割が果たせなくなったら私の死も社会奉仕で、少子高齢化社会では社会に活力が沸き上がらないので、いつの時代も若い人達を優先するように心掛け、人間種の新陳代謝の為にも私などは程々にして死を迎えたいと思っています。

もう十分に自我を貫き通し、好きな妻や娘の為に精一杯働いて満足なので、残りの人生は婿殿・娘・孫に迷惑と負担をかけないように心掛け、孫が学校に上がる頃まで力になりたいが唯一の目標です。

そして死期が近づいたら動物のように姿を消す孤独死が潔いので本望と思っていたのですが、野生の動物は体が弱ると敵から身を守る為に身を隠すと知り、潔いのではなかったのでがっかりでした。

そう言えば子供時代から飼っていた二十一歳の猫の最後も、エサをくれる母に甘え死んでいったので死を悟り姿を消すは間違いのようで、人間も動物も文化的な危険の伴わない生活を続けると、きっと甘えで未練がましくなるのです。

人間は生活レベルを一度上げてしまうと下げられないように、物も持ってしまうと無かった昔に戻せないように、核も兵器も高度化は進めても無くすることができないのは、人間の中に厳然と備わったプチブル的なものは本能に近いもののように思います。

アメリカが月面着陸した時に『何用あって月に行くのか?』と言った人がいましたが、ips細胞で新たに臓器を作るように、あらゆる部門での科学技術の進歩が産業革命以後あまりに急激過ぎて、物とお金に翻弄され人間の心が置き去りにされ、バッタの大群のような人間社会になっても渦中の人間には自覚できないのです。

ドライブ中に三歳の孫が月を見てと言うので、『月は??ちゃんが好きだから、ずーっとついて来るよ』と言ったら、眺め続け家までついて来たので喜んでいましたが、月を見て風流を味わうように程々の生活の中に着地点を見つけないと、過去の歴史のように戦争で人間を適正な数にするか? 破滅するまで誰も知らずに突き進むか? どちらも人間の悲しい性なので、そろそろ縮小均衡を勧めるための哲学が出番なのでは? と思っています。