新聞・テレビも各社談合体質。

この頃の新聞は一段と読む所がなくなり、テレビもCMには世相が出ていて見る価値があるものの番組は見るべきものが減少し、特に報道番組はどこでも同じ内容ばかりの横並びで,まるで談合業者のように広告主を忖度した手先に成り下がり、ある時は読者や視聴者への迎合、ある時はサブリミナルの洗脳業者になり果て、最近は新聞を読むたびに購読を止めようか? と思い悩む始末です。

どちらも独自性を失ったのは広告で成り立つことを優先した為で、記事や番組の中身を売っているのではなく、販売部数を伸ばし(水増ししていますが)・視聴率を上げて広告・CMを増やすことばかり念頭なので、今のようなジリ貧を迎えるのは必然です。

芸者が芸は売っても体は売らないと、建前で言って実は陰枕で体を売っているのに似ています。

リスクを冒してリターンがあるのですが、目の前の利ばかり追った談合体質のリスクヘッジが続き、唯一の解消策が民の低俗化に迎合した記事と番組内容の低俗化に拍車をかけている自爆行為です。

販売部数や視聴率より報道したい内容を求めた姿勢に共鳴する人達は少なくてもおり、価値が認められて他社より高額な料金を求めれば成立することで、量を増やして広告収入を得るバブル時代の発想のままでは、今後は老人世代の減少に比例して購読者は減少するので、量を減少させても質に転換しないと生き残りは無理です。

テレビは広告収入で視聴が無料だから低俗化に拍車がかかるのですが、いずれ有料視聴が優勢の時代になれば良くなると思います。

只より高い物はないと言いますが、無料で見ているうちに視聴者が白痴化したのですが、気付いている人は有料の情報網にアクセスし対価を負担しても有益な情報を得ています。

例えばハウスメーカーのCMを見て原価はいくらなのだろう?  と私が思うのはCM料・住宅展示場・営業の給料などから疑問と不審がつのり、多くの書籍に当たり5千万円で購入した家の原価が2千万円であるという記事を見つけ納得しましたが、こんな報道を新聞やテレビがすれば即刻メーカーから広告がもらえなくなります。

昔の高額所得者の記事も所得一億とは報道しますが、税金を差し引い手取り額は千五百万円(現在は5千万弱)と報道しなかったのは、一般の人達の羨望や嫉妬で報道に注目が目的でした。

今は高額所得者に有利になり報道が減少しましたが、常に報道する側に都合の良いように配慮されていて、有名人の噂話や醜聞は一般の人達の溜飲が下がるので迎合し記事にしています。

そして政治と同じように新聞社でも派閥があり、新聞社によって違う思想に同化できない人は、その新聞社からはじき出されている現実は棚に上げて政治家の派閥を問題にしていますが、人間は三人以上集まれば派閥をつくるようにできているのです。

つまり横並びの記事が書けない人と、その新聞社の色を上手に入れ広告主や読者に忖度した記事を書けない人は駄目な人で、積み上げた事実と独自視点で記事を書くことが許されないのは、戦時下の大本営発表当時の報道と中身は同じです。

昔社会主義体質の朝日新聞は日教組を擁護し、文化大革命は『造反有里』と支持し、大虐殺のポルポト政権や北朝鮮をかばい、資本主義の国は悪の枢軸のように報道していたのです。

そして読売新聞は発行部数で朝日新聞を抜いてから、初めて憲法問題などでも朝日新聞と反対の意見を載せるようになりました。

高校野球などもオリンピックと同じように腐敗だらけと思っているので稀にしか見ませんが、あれだけの人気とお金が集まれば関係者の腐敗は有り余るほどにあるはずなのに、主催者が朝日新聞と毎日新聞(テレビ局は新聞社の子会社)なので美化した部分を報道し、醜聞は一部隠し通せないものしか報道しないのです。

もし宅配で届く大新聞が潰れると困るか? というと、いずれ細分化された情報を発信するタブロイド紙が群雄割拠する時代になり、そこから生き残るための高級新聞が生まれますので、もう新聞とテレビは破壊され創造に向かう時期を迎えていると思います。

全ての人達が貧しかった時代は、人々の生活と心を豊かにする為にと企業も正攻法で望めましたが、豊かで物に溢れた時代と少子化を迎えてからは消費者も細分化されたので、老人は不安に陥れて物を売り、若者には旧製品を無用の長物にして新製品を売り、お金のない人達にはクレジットで売りつけて自己破産を増やしておりますが、これも雑誌が醜聞で販売部数を伸ばすように、自己破産が収益になる弁護士や金融関連への経済効果に繋がるからで、現代は強者が弱者を食い物にするようにシステム化されています。

犠牲者は身体的弱者と知的弱者ですが、小泉さんの頃から何事も自己責任の風潮になり強者には非常に都合がよくなっております。

出版などもアマゾンの存在が巨大になり、日販やトーハンなどの二大取次店の存亡も囁かれるのは、本が売れなくても新刊を出し返本の山を作っていることもありますが、図書館の存在と雑誌は読んでも本を読まない人の増加も背景にあり、これからはメディア関連の技術革新で全てが急変しますので、どんな大企業でも生き残りが難しくなり、破綻は寝耳に水で突然表面化する時代です。

自動車も電気自動車の時代になると部品点数が劇的に減少しますので、どこの企業でも作れる時代になりトヨタですら危険です。

月満つれば則ち欠くの諺のように全て栄枯盛衰ですが、新聞の元々は瓦版屋の醜聞が本業で、人の不幸や嫉妬の醜聞記事だけは嬉々として買う人間の性ですので雑誌は続くでしょう。

元々は瓦版屋が新聞社になり政権への批判者になった経緯を本で読んだのですが、倒幕された幕府側の知識人が明治政府高官を批判するために新聞社を作ったのが始まりとあり、批判記事と醜聞記事も企業文化として体質的に残ったのですが、浮世に嘘や偽善は必要でも自分の醜聞は棚に上げ過ぎた正義にも限界があります。

世の中は嫉妬と偽善で成り立っているといつも思いますが、何事にも程々が肝心で、この程々を守るには規模も程々でないと守り切れないことを成長神話に憑りつかれて気が付いておりません。

北朝鮮のミサイル報道でも同じ内容を繰り返し脅威と報道しておりましたが、私には今の北朝鮮の姿が太平洋戦争前の日本の姿と一緒に見えたので、概要を知ってからは耐えきれずテレビを消し、嫌気が差してひたすら音楽ばかり聴いていました。

昭和の初め頃の新聞記者は飲む・打つ・買うの、絶対嫁に出せない職業として見られていて、その頃は東京も雪が降るのが当然だったのですが、現代の新聞記者はエリートで、東京に雪が降るとニースになるのは、人は自分の経験した事だけを信じてしまう一面傾向があるためですが、実は過去の人達の歴史的な経験が現代人にも精神文化として染み込んで生きていることは忘れています。

新聞やテレビのマスコミだけでなく、今は既存の全てが大きく変容する過渡期で、丁度地球の支配者だった恐竜が亡びたように、産業革命に似たような大変革が起こる時期と予感しています。

それが人工知能なのか? 食料・医療革命か? とにかく人間にかかわる大変革がないと食料や資源も含めて難しく、その大変革がテロや戦争で自爆や破滅に向かう危機を回避すると思っています。

哲学や宗教という精神文明が人間を救ってくれない苛立ちからか?産業革命が始まり蒸気機関車・電話・車という機械を発明し続け、機械文明が与えてくれる快楽から機械信仰が生まれ今も続いていますが、物の豊かさと心の豊かさが反比例して『こんなはずではない』という心の乖離が進み、心を蝕み病んでいる人が逆に増え続けていることを思うと、やはり哲学と宗教に戻る時を迎えているのではないか? と思ってしまいます。

それは科学は進歩した所から次の世代がスタートしますが、人間は人格や人間性を極めた人の子供でもゼロからの始まりなので、ギリシャ哲学の頃・中国の孔子・孟子の時代から人間自体は進歩していない悲しさがあり、この科学技術の進歩に反して、人間そのものは進歩していないギャップが問題を起こします

誰もがお金という経済的利益優先のみに走る行為を理解した上で、同じ人間として『相見互い』という言葉があるように、全ての動物や全ての人間にそれぞれの役割が存在しています。

地球上で人間だけが勝手なことをしている天罰が来る前に、新聞やテレビなどはメディアとしての役割を意識して欲しいものです。