結婚とは?

妻を亡くしてから振り返ることが多い毎日ですが、四十二年間の結婚生活前に私は二十三年、妻は二十五年間の独身生活があり、お互いが出会う前の知らなかった人生と育った文化も違う二人が添い遂げた四十二年間を思うと、短かったようで紆余曲折を思うと長かったとも思います。

私がなぜ妻と結婚したか? を振り返り思うと『寂しく、一人で生きて行く自信がなかったから』が一番の要因と思いますが、その時は妻が好きで私の話をよく聞いてくれ、幼児のように私を頼りにしたからなど色々あっても、やはり信頼できるこの人と相互扶助の結婚という契約を結び、社会の荒波を共に乗り切って行く人を求めていたことが一番大きな理由だったと思います。

私達はキリスト教会で式をあげた訳ではありませんが、結婚とは『健やかなる時も病める時も、富める時も貧しき時も、愛することを誓いますか?』と聞かれ、『誓います』と宣誓し長い人生を共にしながら相互扶助を実践し、二人の子供を育て次世代へ繋げて行く行為と思います。

長い結婚生活の間には、夫が仕事で挫折し妻や子供に迷惑をかけるような時もあると思いますが、そんな時に妻がどう振る舞うか?  妻が家事や育児で大変な時、夫がどう振る舞うか? どちらかが病気で役割を果たせない時、伴侶がどのような言葉と行動で振る舞うのか? などの中で愛情が冷めたり愛情を確認できたりするものです。

そんな大変な時は余裕がなく、ほとんどの人は『誓います』と宣誓したことなど頭にありませんが、誰の人生においてもそんな時が『人生で一番大切な、試されている時』で、そんな時に伴侶の自尊心と自己規律の基準である人間性が言葉と行動として表出してくると私は思います。

夫婦間でこの誓約を守れない人は、結婚生活以外でもやはり『ここ一番』という時に約束を破る人です。

つまり配偶者を裏切るような人は、公的な場においても自己規律の弱さを持っているので、上手く行って勝ちに乗じている時には人が付いてきても、落ち目になると人が離れ誰にも手を貸してもらえないような人です。

人は自分のことは棚に上げても他人のことは良く見ているもので、利害で動く人には利害で動く人が集まり、ここ一番で情で動く人には情の深い人が集まって来るものです。

結婚生活とはたまたま意気投合した二人が、お互いに生き延びる為に共同で助け合う最小の共同体で、人間とはそうゆう共同体的なものにすがらないと生きて行けない弱いものと私は思っています。

現代はお金さえあれば食べ物も含め何でも手に入るようになったので単身者が増えておりますが、昔は家族という共同体に属していないと生存確率が下がるので考え出されたものが結婚で、特に貧しい時や病める時には扶助してくれる人がいると生存確率は確実に上がります。

そしてその共同体において一番求められるものが『信義』と『気づかい』という人間としての美徳で、その日常の繰り返しの中で『情が移って行き』愛情という強い絆になりますが、逆に少しでも手荒に扱うとアッという間に壊れてしまい離婚に結びつく極めて危いものでもあります。

『健やかなる時も病める時も、富める時も貧しき時も、愛することを誓いますか?』と聞かれ『誓います』と宣誓したはずなのに、こちらが傷ついている時に罵声を浴びせるような罪深い人とは別れるか? そのような人間を選んだ我が身の不徳を悔いて諦めるか? この二者択一以外ないのが結婚なので、間違ったと気付いら悩み葛藤しどちらかの決断することも残りの人生を豊かにする為に必要です。

若い時は単身者でも健康でお金さえあれば生き延びることができると思っていますが、それは若くて健康で病気にならない時は老いることを他人事と思っているからです。

若い時は病気になっても精神的・肉体的に補助してくれる人がいると回復が早いものですので、結婚は社会制度として人間の知恵が生んだ本当に良いものと思います。

良い配偶者を選ぶために私は同棲を勧めていますが、三日間でも一緒に生活してみれば、外で十年付き合っても判らなかった人間の地みたいなものが必ず出ています。

良い配偶者を選ぶためのもう一つは、その人の人間性がまともに現れる困難な状況を一緒に体験することですので、二人だけで旅行することなどもお勧めです。

特に海外旅行のような場合は言葉も含めて様々なトラブルが突然起こりますので、そんな咄嗟の時にどのような対処をするか? そしてその困難を引き受けるか? 責任転嫁するのか? そして引き受けたらその人の手持ちの能力でどのように対処するのか? を見ていると、依存型か? 逃避型か? 責任転嫁型か? など如実に表出し、その人間の器みたいなものが如実に出て参りますので結婚をお考えの方には一度お試しすることをお勧めします。

以上の内容が正しいのでは? と思うのは、海外新婚旅行帰国後の『成田離婚』増加が証明しています。

こんな婚前旅行を推奨すると女性の貞操観念を問題にしますが、これも女性蔑視で貞操観念は『誓います』の宣誓以後の問題で、過去の貞操まで問題にするような男なら最初から伴侶として選ばない方が良いと思います。

もうひとつ結婚後の男の浮気を甲斐性というのも男尊女卑の詭弁で、結婚後も浮気を繰り返す男は過度のマザコン体質で、幼児期の母親の幻影を追い続けているだけです。

結婚は極論すると偶然と錯覚から始まるのですが、錯覚から覚めるとお互いが『理解や共感が難しい、育った文化も価値観も美意識までも違う人間と暮らしてしまったという後悔や葛藤を繰り返しながら継続するものです。

しかしその葛藤を繰り返しながら継続して行くことが、実はお互いをひとりの人間として成熟へ導いています。

それはまず自分の価値観や美意識や世界観という閉ざされた領域からの批判から抜け出し、伴侶が持っている価値観や美意識や世界観を覗き込んで理解しようとする気持ちを持つことが結婚継続の前提条件になりますので、その理解しようとする心の余裕を持つことが自分自身の成長と成熟に繋がり、その成熟の証として『ああ、この人はこういう人なんだ』と思える果実を手にすることができ、その思いは何故か? お互いの絆へと繋がっているものです。

なぜ『ああ、この人はこういう人なんだ』という気持ちが果実か? と言うと、自分がそう思うと相手も『ああ、この人はこういう人なんだ』と以心伝心で伝わり、そこから相互理解による絆が生み出されるからです。

しかしその絆の維持にもうひとつ大切な要素があります。

それは家庭においても親分・子分のような関係が必要なことで、それは最小単位の社会である家族内における権力闘争を回避するためには必須、家庭における針路を決める親分的存在を暗黙に了解しておくことが家庭内闘争を回避することと密接に繋がっているからです。

その親分には家族を守る義務と責任があり、従う子分の家族にはその親分が家族を守る為に果たしている義務と責任への敬意を払う暗黙の姿勢が日常を和やかにします。

一般的には夫が親分ですが、妻や子供の果たしている領分にまで干渉することは越権行為で、あくまでも針路です。

家庭の針路からそれる行為をする妻や子供への指導・注意は大切ですが、それぞれの領域への過干渉も離婚や不良化や引き籠りの引き金になりえるので避けるべきです。

現代は共働き世帯が多いのですが、夫がリストラされたりして妻の収入で生活を維持するようになったり、妻の収入が夫より多くなったりすると、つまらないことで喧嘩が増えてくるのが家庭内権力闘争の始まりです。

私共のお客様で、妻の方が収入があるので夫が主夫をしている家庭がありますが、その家庭の針路はほぼ奥さんが決めご主人は主夫に徹している円満な家庭で、最近子供達が自立を終えたので老後設計の話を奥様がして帰りました。

その時に『子供が結婚したら毒親になるんでないよ』と話したのですが、それは私自身が親の過干渉と甘えに苦しみ妻に多大な迷惑をかけたからで、子供が家庭を持ったら意識して遠慮を心掛けて若い人達の家庭を見守ることで、私のような一人身には寂しさを感じる位の少し疎遠な距離を保つ方が最良ですが、これが中々難しいのは健康寿命が延びた事と高齢者に時間と経済的余裕があるからです。

そんな親達が子供達の家庭に入り込み過ぎると権力の二重構造が起こることと、子供達も親の年齢にならないと親の気持ちは判らないので、そのズレが歪を生み子供達の家庭を壊し離婚に至った家庭も少なからず見て来たからです。

最近の調査で親の過干渉ストレスを約50%の人達が感じ、『親に疲れた症候群』という診断が精神科に存在します。

過去の親分・子分という権力闘争回避のシステムを、子供が独立し家庭を持ってからも行使し続けることの弊害を避けるためにあるのが『老いては子に従え』の名言です。

これは親も老いて子供が独立した生計を立てるようになったら、親の役目終了と共に過去の親分・子分の関係も白紙にして対等より下に降りろということで、今度は愛する子供達の成熟のためにもへりくだり低姿勢に振る舞えという意味に私は受け取りいつも自分に言い聞かせてます。

結婚にも離婚にも様々な形とケースがあり、ひとり者を選択している人もそれぞれの考えで生き残りと幸せを求めて精一杯生きているのですが、生きている喜びの実感をお金や家や孫の可愛さに節度を失い子供の家庭に入り込むようになると様々な形の思わぬ破綻が待っています。

お金や家や車の所有の喜びは一過性のもので、私のようにひとりになると喜怒哀楽を共有できる人がいることが生きる力の源であることを実感させられます。

楽しい事も辛い事も共有し共感できる人を失うことは、本当に寂しいことで生きる勇気さえも萎えがちになりますので、ご夫婦元気で結婚生活を継続中の方達には少しでも長く仲良く健康に過ごされることを願っております。

そしてこれから結婚なさる方達には、結婚に幸せを求めているならその甘い考えを捨て、相互扶助が結婚と再認識して与えることを優先し、相手をどうしたら幸せにしてあげられるか? を結婚の目的にすると、逆説的ですが自分の幸せと平和な家庭に繋がると思います。

私の経験ですが、妻に充分与えられない状況が続いた時、不平を言わず黙って役割を果たしてくれ、私が精神的に参っていた窮地の時に黙って手を握ったり抱きしめてくれたりされて、この人を守ろうという勇気が湧いて来ましたが、逆にいつも求めるものばかりが多い人と暮らしていたら、誰でも心身ともに疲れ切ってしまうと思います。

結婚とは心や体が窮地に陥った時、優しく手を差し伸べ合う相互扶助が基本で、そこから絆に繋げると共に人生を切り開く心強い同志(同士)のような存在になります。

絆は私のように一人になっても、心の中に妻という同志が存在していることが日常を支えてくれ、挨拶や報告だけでなく家事などで失敗したり成功したりした時なども、無意識ですが妻に語りかけ今でも助けられております。