愛する人を変えたい時。

人は人生のどの場面においても悩みを抱えるものですが、一番多くは対人関係の悩みで人生の一場面を捉えると悲しかったり幸せだったりしますが、たとえ今は幸せでも喜怒哀楽はその先も続きますので、やはり人の悩みは際限がないと思います。

好きな人と結ばれても子供が出来ない悩みや、子供ができると子供の教育方針の違い、手のかかる子育てへの協力のあるなし、子供に手がかからなくなるとお金がかかる金銭的な苦労等が待っていて、それを何とか乗り切り子供の自立でホッとすると、今度は子供というカスガイを失った老夫婦だけで向き合う難問など、人生は目の前の障害を乗り越えるたびに新しい局面への対処に追われ、あらゆる場面で幸せな形を求めて工夫し努力を重ねなければなりません。

恋愛という錯覚を成就させ、その伴侶を失うまで錯覚し続けられることが如何に難しいか? そしてその錯覚し続ける努力を続けた人達だけは、お互いの長所だけでなく欠点も含めて愛することに繋げられてお互いの全人格を認め合える信頼関係に繋がります。

妻を亡くし恋愛期間を含めると四十四年弱の生活を振り返ることが増え、店頭でそれぞれの人達が抱える今現在の悩みと苦労を聞きながら、それぞれ違った文化で育った男と女が縁あって一緒に長く暮らすようになった成果として、いつか『あ~この人、こういう人なんだ』と相手の全人格を受け入れて欲しいといつも思います。

たったそれだけのことでお互いが楽になって毎日を過せますし、私のように一人になってからも妻と私の人生に意義を感じられ、私自身の人生が悔いのない意味のあるものだったとも思えます。

地位も名誉もお金もなくても、お互いをかけ甲斐のない人と思って苦労を共に暮らして来られたことこそが老いを迎えた誇りです。

しかしここに辿り着くまで、私のような面倒くさい男と暮らした妻の忍耐は大変なもので、相互理解に繋げた頃から妻に『自分でもよく耐え頑張った』と事あるごとに言われ続けました。

私はいつも反論せずに『すみませんでした。 ありがとうございます』と答えておりましたが、妻も自分の欠点とその為に私にかけた負担は理解していて、言葉では私に『小生意気なひねくれ者』といつも言っても、日常の言動の中に私への敬意が出ておりました。

妻はおとなしい幼児のように人の様子を伺い私に依存するタイプの人でしたが、結婚して間もなく妻の貯金を一ヶ月で全額競馬(当時で六十万円位)に使った時なども、泣きそうな顔で『お願いだから、もうしないでね』と懇願するだけでした。

元々口数が少なく喜怒哀楽を表面に出さない人でしたが、どのようにすれば私にはありのままの自分をさらけ出してくれるか?  をいつも思案していましたが、結婚十年目頃に機会が訪れました

食事の用意をしている時不意に『一生こんなことをずーっとしなきゃいけないのかねー、考えたら嫌になる』と言ってしまってから不安そうに私を見たので、『お母さん、嫌ならしなくていいよ! 今日は外食しよう!』と言うとホッとした顔で喜び出かけました。 

翌日も用意する頃に『嫌なら、今日も外食しよう』と言うと唖然として『いいの?』と聞くので『いいよ』と言うと、私を伺うように不思議な顔をしながら『何にするの?』と聞きついてきました。

次の日は私が行くと『毎日外食ばかりはしてられないからね!』と機先を制して言ってきたので、『はい』と答えて終わりです。

この間、私は妻に文句を言わず私の役割を淡々と果たしながら過ごしていたのですが、妻の予想を裏切る私の対応によって、妻自身が内省し自問自答した貴重な時間に繋がっていました。

誰にでもある日常への不満を受け入れ、文句を言わないように心掛け、家事などの大変さで恩着せがましいことを言われた時はひたすらへりくだり低姿勢に『はい、そうですね、ありがとうございます』と答えるように心掛け、非難や命令もせず自分の役目を淡々と果たす姿が相手に内省を促し、その内省から妻の意志で自分の役割を果たそうと立ち上がることに繋げてもらうためです。

私がそのように心掛けてから妻も少しずつ変化して行き、言いたい事を平気で言えるようになった時『お父さんも可愛くなったねー、私は言いたい事を言ったら嫌われると思っていた』と言ったので、妻に『完璧な人はいないよ、お互いに大した人間ではないので、欠点も本当のことは怒らないようにしようね』と言ってから、人前では大人しい妻が私にだけは自我を全て出すようになりました。

そんな出来事から学んだことは言葉や暴力などの支配・命令では人は変えられないということで、愛する人を変え導きたいと思った時はできるだけ低姿勢にへりくだって感謝を繰り返し、日常行動で自分の役目を誠意を尽くし黙って積み重ねる事が相手の内省を促し、やがて自らの意志で自分を変えることを待つ大切さです。

私は特別ですが人間は元来ひねくれているもので、『やりたくない事は、やらなくていいよ』と言うとやるもので、子育てなどもそうですが子供が自ら『やる』と決めるまでジーッと待つことが親の仕事で、子供が自分で決めたことは覚悟が違うので継続しますし、それをやり遂げた時は自信になっておりますが、言われてやることは自らの意志を伴う達成感がないのでやらされた不満が残ります。

妻が言いたい放題になってから明るくなったので、安心して私自身の義務と責任を果たせるようになり、時に欠点や間違いを指摘されたら『はい、すみません』と謙虚に謝罪することが、逆に私の権威を高めてくれていることに繋がり、意外な結果として私の欠点や間違いを指摘した妻や娘にその発言に伴う義務と責任が発生しているので一石二鳥の役目も果たしておりました。

このような安心して自我の出せる毎日の積み重ねが、家族・夫婦の間にしか理解できない阿吽の呼吸の愛情表現が育まれ、気が付いたら無意識領域まで信頼し合える強い絆に育っているものです。

もし愛する対象にへりくだり低姿勢にできないとしたら、それはプライドという自己愛の方が相手への愛情より勝っているからではないか? と思います。

今の私は妻と二人で築き上げてきた家庭も一人になり改めて思う事は、私の人生にとって一番の暇つぶしの相手だった妻を失い、二番目の暇つぶしだった子育ても終了し、その娘には私より大切だと思える婿殿に恵まれ孫もでき感謝すべきと自覚しておりますので、唯一残った三番目の暇つぶしの仕事を私の残りの人生の一番目の暇つぶしに昇格させ余生を懸命に過ごして終了したいと思います。

幸いお客様から必要とされ、来店・通信販売などで長年の固定客の方達に話し相手になって頂き、私自身の存在意義も確認できることが大きな救いですので、この昇格した暇つぶしの仕事を続けるためにも毎日の食事作りや家事なども手抜きせず果たし、美味しい物を食べて嫌な奴に合わない生活で健康管理に努めたいと思います。

人は誰でも一人になり、否が応でも伴侶と共に暮らした生活を振り返るものですが、妻がポツリと言った日常のつまらない事を愛する人のために積み重ね継続することが、自分と好きな人の為に懸命に生きたという『人間としての生きた証』と私は思っています。