労働・お金・苦・楽。

客観的に人の人生を見ていると、徳川光圀の言った『苦は楽の種、楽は苦の種』なのですが、当事者には未来を予測して俯瞰する余裕がなければ現在の苦と楽の状況に溺れてしまいます。

しかし生きている限り人生はエンドレスで続くのも自明のことと思えば、今の苦や楽の時にその先を想像して生きることが肝要です。

たとえば子育ての大変さでも、子供が手がかっかる時には親としての身体的負担と時間に追われますが、子供に手がかからなくなるとお金がかかるようになり身体的負担から金銭的負担に移りエンドレスに心配や負担は続き、子供が自立を迎え私のように高齢時期を迎えると今度は自分自身を支えることへの不安が訪れます。

人は自立と共に労働が始まり自活を求められますが、現代はこのお金を求めることが目的化したことが今度は別の問題に波及していますが、その問題を抱えた時にはその原因を忘れています。

戦後の日本人は豊かになれば幸せになれると思い、わき目もふらず汗水たらして猛烈に働きましたが、実はこの一種のヒステリー的精神状態が働く強力なエネルギーとして作用していたと思います。

その後高度成長を経験して豊かさという目的を達成した後、それでも満たされない心に戸惑い蔓延し始めましたのが鬱状態で、これが『達成のあとの精神的崩壊』という現象です。

高齢者の認知症増加もこれに似た現象では? と時々思うのは、子育ての身体的・金銭的苦労と労働から解放され、労働しないで年金だけで生活するようになり趣味もないと、次第に自分自身の社会的無価値に苛まれ、全ての役割が終わり『達成のあとの精神的崩壊』という満たされない心と、家族や社会への役割もなく必要とされない存在への懐疑から鬱状態に陥り、老化の脳にあるタンパク質が増加して認知症になるのではないか? と私は思っています。

キリスト教的な考えでは『労働は神から与えられた罰』だそうですが、神も仏もなんでもありの日本人の昔の労働観は単純に『食べて生活するため』として当然と考えていたと思います。

しかし戦後の高度成長期頃から、日本人の労働観は生活のためを越えて、いかに多くお金を得るか? ということが目的化し、その心理的欲求が果てしなく増大し続けるので満足感が持てず、持つ者も持たざる者もお金への飢えと渇きで鬱病だらけになったのです。

『知足安分』はもう死語ですが、足ることを知って分をわきまえ欲をかかない意味で、お金への欲望は塩を舐めては喉が渇くような際限のない飢餓状態を心に生み出しますので、真の心の平静を求めるなら『安分』の自分の境遇・身分に満足する以外ありません。

日本人がこの欲望に目覚め競争に励み出した源泉が戦後の自由平等主義で、何者にもなれると錯覚させた平等主義が戦後の日本人に立身出世を夢見させ、わずか四十年で最貧国から最豊国のひとつに跳ね上がった高度成長を生み、さらなる豊かさを求めてバブルの崩壊を招くと、更にエゴが進行したお金への欲望と競争の格差社会で、富の分配ではなく搾取と詐欺の時代になりました。

『知足安分』の時代は士農工商があり、スタートラインから違っていたのですが、戦後は学歴を除けばスタートラインが一緒になって誰もが平等に競争できる社会になったので活力が生まれたのですが、大きな成功をおさめたは人は意外に低学歴の人達です。

松下幸之助や本田宗一郎なども中卒ですが、この人達が競争社会で成功し自分より高学歴の多くの人達を雇用する立場にまでなりましたが、このような社会的成功を成し遂げるほどに良く働いた人達に共通している労働観が面白く皮肉です。

それは西洋にはない考え方で『働くことは自らの人格的完成への道に通じている』というものと、自らの企業の社会的責任と雇用者への責任を果たすで、これなどは日本人特有の思想と思います。

このような思想の根に日本の歴史的な文化があるのですが、徳川時代中期の思想家・石田梅安なども生涯呉服問屋の番頭で、その後塾を開き教えましたが『番頭如きが偉そうに』と言われたので、徳川時代の基盤になっていた儒教や孔子や孟子などの権威を引用し教えを説いたそうです。

辺境の日本は大陸中国を手本に文化を吸収してきたので効果があったようですが、どうも日本人は外的な権威には特別弱いようです。

明治時代になると今度は西欧の文化を吸収し真似て行きましたが、アジアの辺境日本はこのなんでもありの真似文化が活力の源泉で、新しい思想なども辺境からで、辺境には真似る謙虚さと辺境ゆえの独自性との化学反応が柔軟な新発想に繋がるのだと思います。

神も仏もイエス様もごった煮の柔軟性は長所でもありますが短所でもあり、西欧的な神との契約という思想的基盤がないので『達成のあとの精神的崩壊』に弱く、一種の目的喪失のパニックからの立ち直りが難しい面が如実に現れるようです。

西欧では企業と労働者も雇用契約から始まっておりますが、日本の企業では契約はなく入社して何となく会社の空気で仕事を覚えて行き、それぞれの企業文化という空気で動いているから過労死などが起こり社会問題になるまで、社内常識の異常には気付きません。

例えば銀行が合併すると、それぞれの銀行独特の企業内言語があるので、お互いの意志の疎通の弊害が起こりスムースに仕事を進めるには、この企業内言語の共通化が進むまで時間がかかります

これなどは合併企業で働いた人でないと理解できないほどに説明が難しいもので、このような日本の風土や文化はキャッチアップ(追いつく)には向いていますが、追い付くと戸惑うのです。

ではなぜ中卒の人達が創業して大企業に育てられたか? ですが、

丁稚奉公という幼少期からの辛苦が、人間観察眼という教育の力では身に付けられない人間学を身体に沁み込ませたことが大きく作用したのでは? と思います。

そのような人達の性格は生来建設的で、お金でも正々堂々と手に入れるがモットーで、権力を手に入れても協力者のお蔭と律儀に人に感謝する心を持っていて、破綻や破滅に到らないのは信じるべき人を間違わない人間観察眼を苦難から学習しているからと思います。

それは『人により、時によって人は違うと悟る』境地で、数々の失敗や挫折から立ち上がってきた繰り返しと天性の才もありますが、もうひとつ生まれた時代と場所の合致もないと生まれません。

毛利元就なども苦難の境遇でしたが、もう少し遅く京に近い場所に生まれたら天下を取り、日本の歴史が変わっていたのでは? と思いますが、良くも悪くも人間は数奇な運命に翻弄されます。

こんな島国の辺境日本が経済大国になったのには、ここまで書いた内容と少し矛盾しているような日本特有の下剋上文化の歴史があるのですが長くなるので次にします。

こんなことを書いてきた私は、負け犬の遠吠えで『普通が一番で、お金は少し足りないくらいが幸せ』といつも思っています。