寛容と甘やかしの違い。

昨年十月のブログ『躾とは』の中身にある寛容は甘やかしに繋がるのでは? と言う人がありましたので寛容と甘やかしの明確な違いを書きます。

その前に脳科学で判明している重要なことが、生後三年間で学んでいることは、優秀な人が大学四年間で学んだ知識量より勝っているということです。

目や耳からの情報だけでない五感で感じ取った全てから学び、好奇心を武器にして知識を知能に発展させながら、両親の在り方(仲睦まじい・不仲)や表情などを感受性で受け取り、乳幼児の心に作用して塗り替えながら人格形成の作業が行われています。

人間は嫌な記憶を忘れるように作られていて、この記憶の塗り替えが生命維持装置としてセットされているので子供の様々な現象が見えずらくなります。

性格は遺伝子的な先天的のものもありますが、人格形成と忍耐力は後天的なものが圧倒的と思います。

以上を念頭に入れて、甘やかしと寛容の違いを私と孫の関わり合いを例に説明したいと思います。

二人だけでイオンに初めて行った時、アンパンマンのガチャガチャの前で、お金二百円を一枚づつ渡し入れさせレバーを回すとキャラクター人形が出てきたので喜び『もう一回』とお金を要求しました。

まだお金の価値は知りませんが、これは一回だけだよと言っても聞かないのが普通です。

二歳五か月の幼児には、何故もう一回が駄目なのかは理解できませんので不満そうに『もう一回』と言いますので、孫の目線までかがみ優しく説明を五分ほど納得するまでこちらが忍耐し繰り返します。

表情は穏やかに話すのですが『いけないことは譲らない』毅然とした態度で説明と説得を続けますが忍耐を忘れ拒絶や命令はしないで根気よくお願いも含めて続け、本人の表情が納得しかけた様子が見えたら『?ちゃん、我慢・我慢』と励まし、受け入れた時に『?ちゃん、偉いねーありがとうー』と言って抱き上げます。

それから偉かったのでアイスクリームを買いに行こう言い、『アイスはご飯を食べた後ですよ』と約束してから買ってあげました。

次に行った時、ガチャガチャは一回だけ? と聞くので一回だけと答えると、自分から『我慢・我慢』と言い、次にアイスは? と言いました。

まだ前に買ったアイスがあるとお母さんが言っていたから『今日はだめだよ』と言うと不満そうな顔をしているので『じゃ見るだけ全部見て』お家に帰りましょうと、抱き上げ全部のアイスを見せて帰ろうとすると、不満から抱っこと言うので抱き上げ車の助手席のチャイルドシートに乗せ、シートベルトをしようとすると『嫌だ!』と言うので『はい』と答え運転席に座り、シートベルトをしないとこのままずーっとお家には帰れません! と我慢の説明を続け、以後黙って待っていると長い沈黙のあとに『する』と言うのでシートベルトを締め『?ちゃんは偉かったねー』と帰宅まで褒め続け、今度お家のアイスが無くなったら買おうねーと約束しました。

子供は大人が忍耐し説得を続ける姿から忍耐を学んでいるもので、つまり親が親として成長した分だけ子供が成長すると説明すると判り易いと思います。

話して聞かせることは、生まれて間もなくからでも表情で読み取り、優しく話しかけると心が開き受け入れ、怒ると心を閉じ拒絶します。

一ヶ月程前スーパーで買い物時の出来事ですが、私の財布は孫が脇の下に挟みいつも買い物をします。

孫の好きな物を『買う?』と聞くと『買う』と言うと籠に入れましたが、調子に乗りあれもこれも言い始めたので、一度入れてから孫が見ていない時に棚に戻していたのですが戻すのを一品見られました

レジに来るといつものように財布を渡すので、会計を済まし又財布を孫に渡し、商品を詰めていた時に孫が財布を開けてお金を落とし始めていました。

こんな事は初めてで、説明をしないで商品を戻し孫を騙した私への無意識の復讐行為です

お金を拾いながら私のしたことの謝罪を続けていると、他のお客さんが不思議な顔や好奇心で眺めていましたが、私は気に留めずに孫への謝罪とお願いを十分~十五分位は続けたと思います。

そのうち孫の溜飲が下がったのか? 納得してくれたので、お札も硬貨も一枚づつ丁寧に渡し孫が自分で財布に入れ終わるまで待ち、最後にゴメンね・ありがとうと声をかけて抱き上げ帰ってきました。

こんな出来事の最中も、孫の頭の中では不審や葛藤が渦巻いていて、私の説明や謝罪を聞きながら他者と自分の関係性も考えて決断しているのです。

こんなことを成長の初期に繰り返しすことが、忘れた頃に成果として現われるのですが、それは人生における様々な苦難において我慢強く粘り強い行動を選択する出発点として繋がっているのです。

生まれてからすぐにでも繰り返していると、一歳半頃からの嫌々期も親子共々苦もなく乗り越えます。

そして生まれてから積もり積もった復讐の爆発時期の思春期を迎えた時も、抑圧がなかったマグマは小爆発はあっても幼児期からの会話が成立しているので難無く乗り越えるものです。

何事も原因があって結果があるのですが、子育ても同じですので上手く行かないと思ったら、子供に原因を求めず自分の言動に原因を求める習慣を身に付けると、不思議と子供は自然に内省する習慣を身に付けてくれています。

甘やかしは子供の機嫌を伺い善悪を教えない大人の罪で、説得という手間を省かれた子供は犠牲者として大人社会で苦しむことに繋がってしまいます。

甘やかしてなんでも希望を叶えてくれる人を、子供は利用する悪知恵に使い、心の中では相手を馬鹿にしていても決して尊敬はしていません。

しかし厳しくても薄情の情けでいつも見守ってくれる人はちゃんと理解し尊敬しています。

寛容は親に忍耐が必要で、甘やかしは親が忍耐しない楽をする手抜きの子育てというのが結論です。