ひとり暮らしの一年を終えて。

十二月十一日妻の一周忌を終え、ひとり仏壇に向かい長かった一年を振り返って『お母さんよく頑張っただろ、褒めてくれ』と妻にお願いしました。

御飯も炊いたことがない所から、妻の姉と兄に最低限の要領を聞きスタートした一人身の生活でした。

二か月程は心に穴が空いたようで眠れず、料理は既製品や魚を焼くだけの悲惨な食生活でした。

テレビでゴミ屋敷の報道が出ますが、実は心に深い傷を負った人達で、私自身もそうなることを実感していましたので、紙一重で踏みとどまるために掃除や洗濯に夢中になった事を想い出します。

以後娘と婿殿のアドバイスでパソコンのクックパッドという料理レシピのサイトを教えて貰い、印刷し買物をしてレシピを見ながら作り過ごしておりますが、もし共働きで幼子を抱えた娘が自己犠牲を払って私に手を差し伸べていたら、心苦しさと甘えの狭間で私は駄目になっていたと思います。

帰宅すると妻に『ただいま』を言ってから、妻の聞いていた歌謡曲をかけ、まず妻の死後にまた始めたタバコを一服します。

花の水換えから掃除・洗濯・ゴミ出しなど、仕事の他に妻に支えられていた業務を、同じ一日の中で全て一人ですることにもやっと慣れて来ました。

家では何をする時も妻愛用の音楽をかけ、料理等の家事をしていますが、二人で行ったカラオケでお互いが歌った曲が流れると『お母さん、行くぞ』と写真に声をかけ、一緒に口ずさみ懐かしんでいます。

しかし店を開けてからの一人が大変で、ちょっとの留守番がいないので、買物や病院やトイレ等も規制されていますので工夫するまでが大変でした。

閉店後にする夜のお茶製造仕事後の夕食の為にも、冷凍保存できるオカズのストックは必須です。

最初の頃はレシピを見ながら一時間半ほどかかっていた夕食も一時間位でできるようになり、その間に洗濯機を回す余裕も生まれ、煮込み料理などの時は煮込み時間の間に掃除や洗濯物を干す要領も覚え、十一時半までには床に入るように心がけても、洗い物が終わり一服してラジオ体操とストレッチをして床に入りラジオ深夜便をつけると零時の時報です

寝る前には天気予報を確認し、雪はねが必要な時は一時間早く起きるのですが、先日は予報がはずれていたので溜まったアイロンがけが出来ました。

楽をする為にシャツはクリーニングに出せば良いのですが、なるべく出来るうちは頭と体が錆びないように動かすようにしています。

いずれ老化の機能低下と共に、色々なことが億劫になると思うので、その時のために取ってます。

毎日が日常に追われているので、何事も気が付いた時にしないと時が過ぎるので、換気扇や照明のような妻の年末行事は日頃気が付いた時にします。

昨夜は時間が有ったので冷蔵庫の掃除と加湿器のメンテナンスをしたのですが、やりながら思ったことは綺麗好きというより空いた時間の寂しさを埋めるためにやっているのです。

そして出来るだけ日曜の閉店後は泳ぎに行くようにしていますが、体を動かした後の爽快感は心の健康を維持するのに最適と帰宅車中に実感します。

店にいる時も商品発注の手配や昼にできるお茶詰めを来店のお客様の合間にするのですが、時間が貴重な最近は一見のお客さんで冷かし風の人や、お茶の味など判らないで講釈を言う人達には、心と体の消耗を防ぐために穏便にお帰り願いますが、四十年もやっていると、来店時の様子と言葉使いやお茶とコーヒーへの質問内容で、何を求めて来店したのか? ほぼ100%判ります。

妻が元気な時『あなたは小生意気でひねくれているから、お客さんでも威張る人には噛みつき、弱者には優しいけど商人としては失格よ!・・・でもいいんだよ好きにしなさい!』と言ってくれました。

そしてひねくれ者は、金額は少なくても高齢の弱者のお客様達には、電話をお願いし届けます。

これは損得を越えた性格というよりもみたいなもので、昔から何事においても損得より好き嫌いが優先しているような気がします。

私は人間としての一番の幸せは、やりたい事をやって、言いたい事を言って、書きたい事を書いて、たとえ裕福ではなくても生活が破綻しない一生を送れる事と思っていて、これが実に難しいことです。

サラーリーマン生活六年を止めたのも、嫌いな上司に仕える我慢が無理と判断し自営業を選択し、行商から店舗借財返済までと、娘を社会人にするまで、少し嫌いな人も我慢して来ました。

小生意気にもお客様と対等で売り買いしたい為に、夜ただ働きで頑張っているのも、自我と妻や娘に生活の破綻で迷惑をかけられない責任からです。

好きな仕事で好きな人のために肉体的苦悩を味わっても充実感で、その分胸を張って毅然と対価を主張できる生活の方が満足できる人生と思っています。

娘も家庭を持ち、妻を見送り全ての責任を果たした今のひとり身、残りの人生を真にやりたい事をやって、言いたい事を言って生活したいと思います。

人間は孤立状態で生きて行くことは無理ですので、もし心優しいお客様に恵まれたこの仕事をしていなかったら、社会から取り残された思いから自暴自棄になっていたのでは? と心から思います。

昔『全ては人生の暇つぶし』と妻と娘に嘘ぶいていましたが、一番の暇つぶしがお母さん・二番目が娘の子育て・三番目が仕事・その後は趣味ですと言っていたのですが、娘が中学生の時にその順番は何なの? と聞かれ、思う様にならない順番ですと答えたのですが、好きな家族やお客様のために思う様にならないことを思う様にしようと思案し、工夫努力して為して行くことが、生まれ死ぬまでの長い人生における一番の楽しい暇つぶしです。

妻を失い・娘も結婚し子供を持って家庭を持って自立した生活になり、一番目と二番目を失い三番目の仕事と四番目の水泳だけになりました。

五十歳の時に娘の仕送りを果たす為にトライアスロン(自転車の怪我)を止め、五十五歳で膝の違和感からマラソンを止め、妻の死後は二十三年間楽しんだ英語の勉強もやる気が失せて止めました。

これからも若い時に獲得してきた色々なものを失って行くのが歳を重ねることと思いますが、三番目の仕事を止める頃合いは思い定めています。

それは他人からは見えない家の中がだらしなくなって来たら、仕事を止めるべき時と思っています。

洗濯でも他人からは決して見えない、敷布・タオルケット・枕カバーなどを交換する時、ひとり身の人達が万年床になる気持ちが良く判ります。

人は自分の為より大切な好きな人の為の方が頑張れるもので、自分自身には何事も甘くなります。

この自分自身に甘くなると邪悪さや怠惰なものが肥大し、社会や他人に迷惑をかけるようになります。人間という生き物は『一事が万事』で、やがて仕事の中身に徐々に出て来ますので、長年のお客様への裏切りをしないで散りたいと思っています。

こんな心境を寂しいと受け取らないで理解して欲しいのですが、人は得たものがあるから失うものがあるので、失うことは幸いなことで『死もまた社会奉仕なり』という言葉通り、散り行くことにも満足感は持てるのでは? と勝手に想像しております。

男は地位や名誉や財産形成に意欲を持って生きるものですが、私はある出来事からこの三つより『ひとりの女を幸せにすることと、子供を社会人として自立できるようにすること』になりました。

これが達成できたら、いつ死を迎えても私は満足感を持って迎えれるはずと思っています。

先のことなど考えず、最初に決めた三回忌まであと一年頑張ることを目標にしています。

できれば妻のように寝ている間に一気に行きたいのですが、一瞬でも意識があれば妻の写真に『今行くぞー』と告げて行きたいが願いです。

来年も皆様にとって良い年でありますように。