躾とは?

今の若いお母さん達にとって子供の躾の悩み相談はネット検索ですが、文明が進んでも人間模様は変わらないので原点を理解しないと駄目で、我が子の躾に親として悩み成長した分しか子供は成熟しないので、子供は我が身を写す鏡と認識しないで安易な答えを求めていては、我が身を棚に上げて子供に迫る親への反発が増えて、実は子供には逆効果になっているものです。

私の思う躾の必要性と目的は『社会人として子供が生きて行く上で必須な、自分の行動に責任を持つ選択が出来る人間に育てる』事で、まだ意思の疎通が難しい会話にならない三歳頃までの対応が一番大切なことが知られていないのが残念な思いです。

躾について学問的に一番理解しやすい心理学者アルフレッド・アドラーが述べている子供の行動には無意識だが全て目的があるです。 ①注目して欲しい ②力という権力闘争 ③復讐 ④無力さを示す  主にこの四つの目的を持って無意識に自分の居場所を獲得しようと子供は行動していることを理解することが躾への近道です。

無力な赤ん坊は泣いてミルクを要求して注目を促し、自我が目覚め始めると自分に注目しないと悪さをする目的も私の方を見てです。

幼児でも権力闘争はあり、駄々をこねて親を困らせる行為は自分の要求が認められないことへの復讐の場合もあり、やる気のない無力さを示し親の注目を求める場合もあります。

ではどのように接するのか? の原点は何事も子供に根気よく説明する寛容さで接し、子供の心のドアーを広げてあげることです。

甘やかしと誤解され易いでのすが『親の寛容さに包まれ育った子供は、粘り強い子供になります』。

我が儘を言っている時はその前の出来事の不満への復讐な場合が多く、子供は自覚せずに無意識にしています。

支配・命令ではなく四つを意識し子供の意志と人格を尊重する育て方をすると、自信に満ちた自立心の強い子供に育って行きます。

子供の全ての行動には目的があるのですから、その子供の選択と決断を見守るのが親の務め(親という字は立木の横で見ると書き、口や手は出さない)で、失敗しても危険が伴わないものは容認し失敗から学ぶ経験をさせ、失敗してもその過程を見守り『頑張ったね』と勇気づけることが粘り強い子供に成長し自信に繋がります。

親が選択に関与すると、失敗は関与した親のせいになり責任感が育たず、失敗を恐れる依存体質の子供にも繋がり、何事にも決断ができない優柔不断で無責任な人間になりがちです。

勇気づける中身は、結果ではなく努力と進歩に焦点を当てて子供を見守ることが肝心で、選択・決断・行動を子供に任せ危険が伴う時だけアドバイスをする親に徹すると、親の寛容さと自分への信頼を肌で感じて粘り強い子供になって行き、何事にも結果ではなく過程を楽しむようになり、得た自信から好奇心に満ちて沢山のことに挑戦するようになり、失敗は内省して自己改革に繋げます。

勉強もスポーツも他者との比較ではなく、知らない事を知る喜びと出来ない事が出来るようになる喜びを自分自身が味わう楽しみになり、気が付くと自己改革の善循環に繋がっています。

誰でもやらされることは不平・不満に繋がりますが、自分の意志でやる努力は苦悩にも耐えられ達成できた時に自信を得ています。

能動的な子供か? 受動的な子供か? は先天的な要素がありますが、建設的か? 破壊的か? は環境因子が大部分を占めます。

子供は親や性別や時代や環境を選べずに生まれてきますが、子供は受容してくれる環境で育つと建設的になり、支配・命令のような敵意を感じる環境で育つと破壊的な人間になります。

受容や寛容のことを甘やかしと捉える人が多いのですが、我が儘な子は自分の意志や人格を尊重されずに、親の欲望や希望という線路に乗せられ勇気をくじかれた子供がなるもので、自分の意志を否定され自分の為ではなく親の意向の為に努力させられた復讐から親を困らせるために甘えの行動を取っています。

子供の感受性は鋭敏で、言葉に出さなくても肌で親の意向を感じ取り、無意識に親の欲望を取り込んで親に愛されようとしています

どの子も三歳頃までは無力ですので四つの行動が顕著ですが、それ以後から思春期まで生存自己防衛のために親や社会の顔色を窺いながら潜めていますが、その抑圧していたマグマが体力的な自信がつき始める思春期頃から噴き出す不良化も親を困らせる復讐です。

逆に不登校になり引き籠りになるのも、無力化を示して親を困らせる復讐に繋がっています。

この四つの子供の行動目的は大人にも当て嵌まりますので、人間の持つ根源的な欲望なのでは? とも思いますが、特に幼児と老人に顕著に人間性として出る傾向があるのは、この四つの欲望を理性を獲得する前の幼児期と理性を失い始める高齢化の時期には、抑え隠しきれなくなるからでは? と思います。

親に依存しないと生きられない幼児期に寛容さに包まれ、成長過程に自分で選択し決断する事を親に認められ、その信頼してくれる両親から結果ではなく過程の勇気づけをもらって育った子供は、成長と共により能動的で建設的になって行き、支配・命令されて育っていないと何事も気軽に親に報告と相談をします。

フロイトは『意識の世界を支配しているのは無意識の世界』と言いましたが、この大事な意識の世界を支配する無意識の世界の基盤が三歳までの幼児期の親からの受容によって培われています。

ほとんどの人はこの幼児期のことをあまり覚えていませんが、

受容だったか? 支配・命令の伴った恐怖だったか? は無意識領域に刻まれ、建設的と破壊的の分かれ目になり易いのです。

意識の世界と無意識の世界を判りやすく例えると、映画館の劇場で映画を見ている劇場の中が日常意識して過ごしている世界です。

劇場のドアー開けた外に広がる広大な外界が、ひとり一人の生まれてから現在までの無意識の世界として抱え生きていると捉えると判って頂けると思います。

人は生まれてから喜怒哀楽を伴う沢山の経験を積み重ね人生を過ごすのですが、今現在の問題に効率よく取り組むために意識の世界を使い、普段は過去を無意識の世界に押し込んで生活しています。

つまり過去の全ての経験を普段は無意識の世界に押し込んで生活をしないと、日常に差しさわりと混乱が起こってしまいます。

私は妻を亡くしてからのテレビは、BSの古い映画やドラマを見るのですが、男女や夫婦の人情や愛情の機微に触れたものを見ると、いつも妻との生活を想い出し涙が溢れ出て来ます。

こんな時、今映画を見ている私の意識の世界に、劇場のドアーが開き無意識領域に押しやっていた妻との沢山の想い出が入り込んで来て涙が溢れ出ているのです。

このような無意識の世界に良い想い出があることは幸せな事で、無意識の世界に嫌な恐ろしい敵意を感じるものが多い人ほど残虐なことや搾取をするのは、能動的な人が辛く悲しい経験から芽生えた敵意が破壊的なことをさせているのだと思います。

一般的に躾とは挨拶や礼儀や整理整頓や身だしなみ等を言っていますが、躾の字は『身に付けたものが美しい』と書くように、自分の行動に責任を持つ選択をする人を美しいと誰もが感じます。

挨拶や礼儀のようなものは、強制するものではなく優しく言って聞かせ、身近な親が毎日やって見せる背中を見て育つ中で、真綿に水が沁み込むように沁み込んでいるもので、親がやっている全てが子供の心の中に沁み込んだシミになっています。

稀に批判的で能動的な子供が建設的に成長する人がいますが、実は親を反面教師にして成長した人で、内省を続け自分にも厳しいので柔軟性に欠けるための脆さという危険を持っています。

私もそんな幼児期の基盤を持たない頭でっかちの不安定な脆さを抱えたタイプで、妻の穏やかな母性に問題の多い性格を受容され支えられて建設的になった危うい虚勢の強がりです。

今こんなことを書きながら子育て時期を振り返ると、考え悩みながら勉強して子育てをしていた時が、私の人生の中で妻と共に過ごした楽しく輝いていた時だったと思います。

妻がいなくなってからは感情も液状化してしまったようで、涙もろくなりドラマ・映画で人情に触れぽろぽろ泣いています。

 

 追伸・・・心理学者アルフレッド・アドラーの日本人研究者が出した

       自己啓発本が最近ベストセラーになっています。

      題名『嫌われる勇気』で、こちらは幼児期に恵まれず育った

      人間関係に悩む大人の思考回路修正に参考になると思います。