空気を読む?

お盆明けから十月に入るまでは店も暇な日が多く、心の隙間に寂しさという隙間風に襲われますが、妻がいなくなってからも同じ空気の家で暮らしていることが救いになっていて、このふたりで共に過ごした空気というものがいかに大切であるか? を実感するのですが、日本という大きな空間として捉えて巷に漂う空気の匂いには、何か? 危険で不穏なものを感じている此の頃です。

バブルの時も今のデフレの状況においても、大勢の人はその空気に踊らされ・怯え過ごすものですが、その空気に振り回されずに毅然と淡々と生き生活している人はごく少数に思えます。

良い時も悪い時も同じ姿勢で同じ生活を続ける事の難しさは理解できるのですが、廻りの空気に流されずにそれを続けることが危機を回避することに実は繋がっていると思います。

日本は島国のせいか? 閉鎖的で廻りの空気に敏感になり、いつも心の何処かで廻りの空気に怯え、その空気に合わせて生きることが肌に沁み付いているようで、多様性などというものは外部からか?  大勢が認めてから? でないと受け入れない所があり、そんな国民性による危機が今迫っているような気がします。

昔何かの本で読んだのですが、太平洋戦争時のアメリカの資料の中に『日本兵捕虜の変貌』が載っていて、鬼畜米兵と叫んでいた日本兵が捕虜になると、米兵が聞いてもいない日本軍の機密をペラペラと話し驚いたという記載があり、まるで終戦後に空気が変わると簡単に対米従属に変わるのも日本人の気質にあるような気がします。

私も行商を二年程続けてからプレハブの店舗で十年、その後に借財を背負って今の店舗併用住宅を持ったのですが、その変遷の中で感じた驚きの一番は所有物による私を見る目の変化でした。

私自身は何も変わっていないのに、プレハブでも店舗を持ったことやその店舗が借財なのに立派になった時、様々な人達の感情の振幅が言葉や態度に現れ、何か? 自分の実態など無視されている怖れのような不確かなものを感じたことは未だに忘れられません。

行商の時から今の店舗になっても変わらない接し方をしてくれた人はごく少数で、行商の時には気付かなかったのですが同情で買ってくれていた人達の変化の嫉妬も敬愛も不安を誘う変化でした。

生前の妻に『あなたの説明や忌憚のない話し方は、商人にしてはとても生意気に映り、特に何事もきちんとする人間は鼻に付くものなのよ』と言われましたが、その後もある日突然に敬愛の態度から憎悪や排除の態度に変わった人達に逢い戸惑いを妻に話すと、妻は『私もきちんと出来ないから気持ちが判る』と教えてくれました。

日本では『空気を読め』と言いますが、子供の頃に海外で育った帰国子女が帰国し日本の大学で学んだり、会社で働き始めたりして理解できずに苦しむ一番のものがこの空気読むだそうです。

苦しむ理由は、或る日突然に廻りが親密な敬愛から憎悪や排除への変貌で、変貌した人は空気を読めない相手への感情的なものが優先する日本の文化で育っていますが、欧米で育った帰国子女はその日本独特の文化的なものが理解できないのです。

欧米では論理や議論を通じて相互理解するディベイト文化が一般的なので空気だけで判断できず、態度の変貌ではなくて何故指摘してくれないのか? という戸惑いで情緒が不安定になるそうです。

見た目から違う外国人には親切な日本人が、同じ日本人の帰国子女が空気を読めないと変貌する所が日本人特有の病理と思います。

こんな病理を抱えた日本で今進んでいる政治状況を思うと、あらゆる面で空気という雰囲気に流されている所に危機を感じます。

政治的に若年層への配慮が欠けていることは、高齢者への配慮という空気に支配され続けた流れで社会保障費が膨らみ続けた結果ですが、実は高齢者の方が貯蓄は膨大にあり、景気を良くする為に子供達への生前贈与を促す姑息な手段を政治家は使っています。

国や社会の安定と繁栄には、若年世代が子供を産み育てる未来への安心と希望を感じる環境を整えるべきなのですが、高齢者の増加と若年層の減少が政治家の当選に深く係わっているので、人口分布が多数決制度に弊害をもたらしている面もあると思います。

多数決による決定の前提は民意の反映ですが、アメリカの大統領候補のトランプ氏やフィリピンのドゥテルテ大統領のような粗暴な人達が指導者として選ばれてきている現実が実は民意の危機です。

この種の人達は民衆の格差や不満を代弁しているように煽って票を得る手法で、民衆の困窮や不満や不安を過激な言葉で煽りながら実はその人達を利用するアドルフ・ヒトラーと同じ手法です。

北朝鮮は勿論のことロシアのプーチン大統領も独裁的ですが、冷戦終結後から敵対する両巨頭の子分達だった全ての国が抑圧からの解放で自国の独立・主張を始めましたが、そこにも民意を汲み取った形から独裁に近い汚職政権が横行し始めました。

企業においてはグローバル化の波に乗じて過剰な資本主義が進み大企業は利益を再投資や労働者に分配せず蓄え続け、日本の大企業ではこの十年間で内部留保は二倍になっています。

過酷な労働を強いても労働者への健全な分配が行われずに、経営陣だけは役員賞与や高額な所得と退職金に走り、正社員の数は減少し続けている現状での景気回復は無理で、企業においても国家においても独裁者のエゴが蔓延し始めています。

労働への対価としての正当な分配という正義に力はなく、権力やお金という力が正義になった結果の格差と貧困層の増大です。

衆愚政治という状況の果てに待っているものは、ファシズムのような独裁者を生むようにできているのでは? と考えさせられます。第一次世界大戦後に不況で苦しむドイツ弱小政党のヒトラーは福祉国家を唱え、民主的な選挙で大統領に選ばれ、大規模公共工事でアウトバーンを建設し始めた頃から景気が回復し始めたので、国民は豊かさを実感し熱狂し権力が強大になってから、ヒトラーは立法権を行政府に委ねるという『全権委任法』を強行採決しました。

次にワイマール憲法が認めていた『危機に際して国家元首の権限を拡大する《緊急命令発布権》も合法的に手に入れ』絶対的権力として掌握し、権力で労働者階級を抑え、外国に対しては侵略政策を取る独裁制というファシズムに邁進し世界を震撼させました。

日本でも景気回復が優先という空気の中で、陰で進行している恐怖政治の予感があり、格差を進め不安に陥れ大衆を愚かにし、景気回復という蜜に群がるようにすることが権力拡大に繋がり、日本でも似たような法案が可決し憲法改正も視野に入ってきています。

家族でも企業や国家でも、権力者の感情が支配する空気に身をまかせていたら未来は荒廃したものしか見えて来ません。

多数決で決める民主主義に最良の選択はなく、最悪の選択を回避する為のものでしかないので、甘い言葉をささやくバブルを期待させるような空気への警戒と洞察力が民衆に必要で、そして危険な空気には迎合ではなくて嫌悪感を覚える人が増えないと、戦争のような大多数の個人にとっての未来が暗いものになってしまいます。

マスコミも資本主義に追い詰められ、国民を啓蒙し物事を咀嚼し熟慮させる空気を作り出す媒体から、権力者の手先に成り下がってしまっている現状に虚しさとリテラシーの必要を感じます。

メディアリテラシーという言葉がありますが、空気に流されずに一人ひとりがリテラシー(物事を理解・分析して表現)する能力を高めないと、民主主義が搾取の資本主義に利用され格差拡大と貧困層の増大に繋がり、その不満の暴発が危険な指導者を選び始めたことになっているような気がしてなりません。

シリアはアメリカとロシアの代理戦争ですが、その結果としてアメリカとロシアの軍需産業が繁栄し、その利益から莫大な政治献金になっている矛盾、イスラム国の兵器や武器はどこから買い、そのお金はどこが出ているのか? が報道されない不思議です。

ひとり一人が日常の感情に支配された空気に惑わされないで、苦難な状況の時に俯瞰して空気を冷静に捉え投票に繋げる訓練が大切なことはイギリスのEU離脱投票の結果にも学ぶべきで議論に伴う責任と選んだ方の責任を自覚しないで全て政治家のせいにして来た結果が現状と認識すべき時です。

選ぶ時は熱狂し敬愛し、たやすく嫌悪や憎悪の対象に転換して終わりの感情的な民衆のままでは、日本の民主主義はいつまでも成熟していかないような気がします。