もうひとつの自我。

一日中雨と風の定休日に『今日は終日雨だったけど、どう過ごしたの?』と娘に聞かれたので、定休日が雨の日はお母さんとカラオケに行っていたので一緒に行ってきたと答えました。

お母さんの写真を毎日胸に入れて過ごすようになってから、最近はいつも一緒にいるような気がして何処にでも一人で行けるようになったと言うと、微笑みながら『それは良かったね』と言いながらも若い娘には多分少し不思議だったでしょう

それは『お母さん、おはよう』から始まり、行って来ます・ただいま・おやすみなさいを今迄通り『お母さん』と呼びかけて毎日を過ごしていると、日常の出来事や孫の成長も含めて報告した時など、妻ならこう答えるだろうと頭に浮んで返事になっています。

此の頃は夜中や朝方に目が開くと、いつもの場所のベッドに妻が寝ていると錯覚することが多くなり、いなくなった寂しさで眠れずに過ごした日々からは想像できないほどに今の私の心の中にはこれまで通り身近に妻が存在するようになっております。

こんな気持ちになれたことは娘や婿殿や孫の存在や配慮のお蔭とも思うのですが、もう一つの要素に二人で過ごした四十三年間の夫婦生活を通じて、お互いの心の中にある邪悪な自我さえも容認し合える関係に繋げたことが大きいとつくずく思います。

結婚後私は全ての自我を妻に丸出しの生活でしたが、そんな私の自我に圧倒された妻は心の奥底でいつも様子を伺っていて、十五年位は自分の自我を押し潰し我慢していました。

妻は自分の自我を出したら、この人ははどんな反応をするのか? 私は嫌われるのか? 喧嘩になって離婚まで行くのか? など。

面倒くさい男だから我慢した方がいい! とずーっと思って暮らしていたと本音を言ってから、妻だけでなく私も楽になりました。

誰もが心の中にある邪悪な算盤的な計算の狡さや僻みや妬みなどを表面化させずに繕って生きているのですが、このような邪悪さも含めて愛することが夫婦と親子の絆を強めることに繋がります。

妻の自我が噴出したきっかけは忘れましたが、抑えきれない怒りで『本当に小生意気なひねくれ者なんだから』と台所で吐き出すように言った時、私は立ち上がり妻の前に行き『こんな小生意気なひねくれ者と長年一緒にいてくれてありがとうございます』と慇懃無礼に頭を下げました。

妻は返事に困り『判ってくれればいい』と言って呆然としていましたが、その後から私への心の壁が取り払われたようでした。

それ以後『お母さんは本当に頭が悪いけど、私のような人間を見抜いて選択した悪知恵と教養がある』などと言っても怒らないようになり、『そうでしょう』と答え『その分頭のいい? お父さんが頑張れ』と言う余裕が生まれ、怒鳴るように『ただいま』と言うと怒鳴って『お帰り』と言ってくれるようになりました。

人は自分の中にある邪悪な自我を容認し包んでもらうと、その相手の邪悪な自我も愛おしく容認し包んであげたくなるもので、細い絆の糸も引いたり引かれたりする間に太い絆に育って行きます。

夫婦のように長い年月を共に穏やかに暮らすには、お互いの邪悪な自我や短所を受け入れ、怒らず『不徳の致す所』と頭を下げる気持ちの余裕を持たないと愛する心が育っていかないので、相手の欠点を見抜けなかった責任の半分は自分にもあると思うべきです。

つまり小生意気でひねくれた性格を見抜けなかった妻にも半分責任があり、あまり頭が良くないので仕事(帳簿など)の手伝いもできず水泳と卓球に出かける放し飼いの妻も、見抜けなかった私に半分責任があって背負うのが自業自得という次第です。

惚れた弱みで目がくらみ、冷静に欠点を見抜けなかった責任をお互いが潔く認めると、自分の欠点を指摘されても怒らずに謝罪することで、お互いの自我や欠点を許し助け合う毎日に繋げられます。

そんな積み重ねの毎日がお互いの中にある邪悪な自我の自覚に繋がり、その自覚が自らの邪悪な自我が動き出さないように自制するもうひとつの自我を育て、その抑制するもうひとつの自我が育たないと、真に他者を愛する心が育たないように思います。

邪悪な自我が動き出して自由を得てしまうと、自分自身を押し止められなくなり真の悪者になってしまう危険は誰にでも紙一重で存在しております。

自我が暴走してしまうと、人を愛せず・人にも愛されないので自分で自分を苦しめる悪循環に陥ってしまいます。

私がこんなもうひとつの自我を認識するようになったのは、きっと幼児期からの自殺願望で死の深淵を覗き込んで生きて来たことと繋がっていて、いつも死を前提に生きる意味を問い続けてきた習性の私が、妻のような正反対の性格の人を愛する対象として結婚し同居してから、私の自我にじっと耐え見守ってもらい、その後娘を授かり単純に人を愛することが私の生きる意味に繋ってから、こんなもうひとつの自我構造を自覚したように思います。

今は娘も嫁ぎ、妻という私自身の生きる支えになった目的と意味を失ってからの眠れない二ヵ月間で5kg程痩せ今も体重は戻っていませんが、振り返って様々な人達のご支援とご厚情もあり、初めての家事や料理なども乗り越え半年を過ごすことができました。

ここまで来る過程においても、このもうひとつの自我が私を支えてくれましたが、今の日常生活には『心から自分を褒めてあげたい』と思うほどに心が安定して参りました。

きっとそれは妻との四十三年の過去が今も継続して私の瞼に浮かび泣かずに過ごせるようになったことと、娘達家族の未来の象徴である孫の成長が私に生きる意欲を与え微笑みかけてくれて、この過去と未来の支えに現在の毎日の仕事があるお蔭と思い到ります。

老いて一人になっても社会から必要とされ・人と繋がる糸口となる仕事という現在を前輪に、そして娘達家族の平和の象徴である孫の成長を見守る未来を右後輪に、そして妻と苦労をしても楽しかった過去の想い出を左後輪の三輪にした、過去と現在と未来を支えに日々をふらつきながらも何とか? やって行けそうな気持ちに少しなって参りました。

これからは老いの一人身ゆえに湧き上がりがちな邪悪な自我を、もう一つの自我で押し止めながら目の前の一日を過ごし、若い時の一人身とは全く違う老いの独り身を、これも初体験として楽しむ余裕を持ちたいと思っております。

 

      初蝶や老いてひとり身初舞台