大切なものは信頼。

私の散歩コースはほぼ決まっているので、家々の変化から微妙に家庭状況の変化が感じとれ、新築入居後しばらくして離婚に至った模様なども家の明かり数減少や家族の洗濯物が突然干されなくなるなど、家族模様が自然と外に出ていることを実感させられます。

先日も妻と時々行くパスタ屋さんの奥さんがいなくなって若いマスターが一人でやるようになって半年ほど過ぎた時に、妻が『離婚したのかな?』と小声で聞いたので『子供がいた二階の電気が半年前から消えているから、子供を思うと悲しいけれどそうでしょうね』と答えると、『私も随分我慢したわ』と言われ『本当に若気の至りとは言えご迷惑をかけ、すみませんでした』と頭を下げました。

いつからか忘れましたが妻にこの手のことを言われたら、決して反論せずに速やかに謝罪の言葉を告げて頭を下げます。

この歳になってから結婚生活において一番大事なことを考えると、日常の生活の中に何気なく感じながら潜んでいるお互いが相手に信頼がおけるかどうか? が一番大切な要素で、人間関係を紡いでいるものは心という皮膚感覚で感じるもののように思います。

恋愛の要素は好き嫌いという理由のないものですが、信頼とは日常の咄嗟の時に表出するものの中で培われているもので、その積み重ねの中で伴侶が自分の事を大切な人と思っているかどうか? が言葉や態度として如実に出ているもので、それが愛情という自己犠牲的な行為として自然に相手に伝わっていると思います。

恋は下に心がある下心で、愛は真ん中に心がある真心と書くように自分を良く見せる自己中心的なものと、相手の立場をも考えた思いやりが優先する利他的なものほどに正反対です。

子供の一歳の誕生日に、『あなたも母として一年頑張ったね』との労いを夫からかけられたら、意外な配慮に妻は感謝の気持ちで報われた思いになり、きっとこれからにも繋がると思います。

恋愛のような好き嫌いの一時的感情を、持続した愛情へと繋げて行くためには、普段の日常の中に相手を思いやる感情を言葉や何気ない行動でどれだけ出来るか? で相手への思いへの人間性が試されているもので、そんな積み重ねの毎日が夫婦の信頼関係を築き上げる一番大きな要素になっていると思います。

お互いに体調が悪い時に相手がどのような言葉や態度で接したか?

心が折れて落ち込んでいる時にどう答えたか? 何も言わなくても大好きな食べ物を作ってくれたりなど、一緒に暮らすということは皮膚感覚で相手の内面の思いが伝わっています。

そして双方がこの信頼を勝ち取るために必要なものは、お金などではなく自分自身の体と時間という心を伴う身を削って差し出す贈与の姿勢がないとできませんので、愛という真心が必要です。

私のように若気の至りで気が付かない時に、妻がじーっと耐え忍びながらも気が付くのを待ってくれたケースもありますが、その忍耐の時間が長いほど重く心に響きますので、こちらも長い時間をかけて償わねばと決意させられています。

言葉にすると簡単な『信頼』ですが、積み重ね勝ち取るための時間が長いことに意味があり、老後も含めて続きますので最近はこれが人間としての生きる意味みたいに思えるようになりました。

娘も家庭を持ち子供が生まれてから、何気ない時に私達親より婿殿や孫への思いを確認した時は、帰宅後に妻と『あの気持ちのまま』親より家族を思う気持ちを続けて欲しいねと話します。

人間は誰でも長所と欠点を併せ持っているものですが、お互いの信頼を作り上げる過程において基本になる必須なものは、相手に望むことより相手の在りのままを尊ぶ姿勢です。

この相手の在りのままを尊ぶことは、夫婦の場合も大切ですが家族においては子供達に対する親としての姿勢としても肝要です。

大概の子供は大人や親が自分に望んでいるものは理解していて、実はその為に自分の欲望や要望を抑圧しているものです。

お金にはならないけど『絵』が好きとか、算数は駄目だけど本が好きなどや、性同一障害を抱えて悩んでいる場合もあります。

そんな時に見守る立場の親が子供の在りのままを尊重すると、そんな自分を受け入れてくれた親の愛への返礼として、子供自身が選択した行為への責任を果たす覚悟を身に付けますので、子供もいじらないで尊重した方が上手く行きます。

夫婦関係においても相手への思いが先にあって炊事・洗濯をするのと義務としてするのでは内容にも雲泥の差が出ます。

夫も自分の自己実現としてお金を稼ぎ地位を求めているのと、その行為の中に家族への思いがどれだけ伴っているか? の違いは一緒に生活している家族には黙っていても明確に伝わっています。

人間は誰でも在りのままの自分を受け入れてくれる人を好きになり大切に思うものですが、片方が受け入れると相手もこちらの在りのままを受け入れている以心伝心の不思議さがあります。

そんな関係に近づけると家族全員が無理をしないで過ごせる関係に繋がりますので、家庭内はストレスから解放された癒しの場になっていると思います。

人間は誰でも自分のことを判って欲しく、どんな人間でも自尊心を維持しないと生きられない動物ですが、いつも同じ思いを相手も持っていることを意識して生活する人が増えると、離婚による子供達の犠牲が減ると思い願いながら散歩している此の頃です。