人間の脳の形成過程。

クリストファー・ウイルズの『暴走する脳』を読んで、人間の脳の発達過程を知り、人間性の形成をつかさどる過程において幼児期の環境が如何に大切か? を改めて思い知らされました。

今までは心理学的観点から『三つ子の魂百まで』と思っていましたが、脳科学的アプローチによる人間の脳の発達過程をも知り、脳の発達過程が遠因生後から思春期までの環境が以後のその人の一生をも左右する人格形成に繋がることを確信させられました。

私達が産声をあげて誕生した時の脳の重さは平均三百五十グラムで体積は清涼飲料水の缶くらいの大きさですが、人間の脳のおよそ九割の千二百グラムくらいになるのが十三~十四歳頃の思春期とのことで、最終時の千四百グラムになるのが二十歳前後だそうです。

三百五十グラムの脳で誕生後、一年で人間の脳は三倍と爆発的に大きくなるのですが、その後脳の成長は減速しゆるやかになります。

ヒト科の大型チンパンジーも出生時の脳の重さは人間と同じ三百五十グラムですが、大人になっても増加は少なく四百五十グラムになると成長が止まるそうです。

では何故人間の脳は小さく生まれてくるのか? それは産道の大きさに制約があるからで、チンパンジーのように脳が八割方完成した所で出生するには人間の産道は狭すぎるわけです。

つまり無事母親の胎内から生まれる為には、脳が未成熟な状態で誕生して、残りの四分の三を危険な外界で成長しなければならない宿命を背負って生まれるのが人間なのだそうで、生後その四分の三の脳の成長があったから人類は支配者になったとも言えます。

生まれる前は羊水という緩衝材に守られて育つのですが、胎児が狭い骨盤を通り抜けて生まれてくる時、四分の三の脳の大きさでも産道で頭蓋骨は軋むほどの大変な困難と苦痛が伴い、そしてそれまであらゆる衝撃を吸収してくれていた羊水がないので一時的に失神もあるそうです。

生まれてすぐは鼻からしか呼吸できないのに、鼻と口には羊水が詰まっていますので取り除かれてから第一吸気、それから第二呼気に繋げて産声になりますが、ここから子宮という胎内楽園から外界という新たな胎内環境に似た家庭や社会で脳の発達が始まります。

そして子供達の脳がほぼ完成する十三~十四歳になるまで、家庭や親類や属する共同体や学校などが子供達の母胎代わりになって、まだ未発達な脳に人間としての精神や言葉を植え付けてあげる責任が周囲の大人にあるのだと思います

狼が育てた人間は狼になるように、言語野も真っ白な状態ですので神経細胞にはどんな言語も書き込むことができます。

一歳で五語、一歳半で四十語、二歳で二百六十語、三歳で八百語に増えて行き、この八百語の時期に自意識という自分自身の意志みたいなものを持つそうですが、この時に脳は平均値で千百グラムくらいになっているそうです。

その後五歳から七歳にかけて語彙数が増えると共に、接続語を使い感覚ではない言葉を用いた思考と推理をできるようになります。

そして十三歳~十四歳前後の脳が九割方完成する頃に言葉を使っての知識や観念を自分を中心に整理できるようになり、この世をどう捉え・自分がどう生きて行けばいいのかという自分自身の世界観を確立してやっと実質を備えた『ひと』になると述べています。

だとすれば生まれた後の脳の四分の三を獲得するまでの環境が如何に大切か? が判明する訳で、思考し自我を確立し自分自身の世界観を獲得するまでのこの期間こそが、その子の人格や人間性を決めていると言って良いほどです。

脳の八割方を完成して生まれてくるチンパンジーの脳は、生後二割の脳が生後環境の中でエサ取りや集団のルールを覚え、他の能力のほぼ八割は遺伝子の影響によって決まっていることになります。

だからほとんどの動物のメスは、自分の子供が生き残る確率を増やす為に、集団の中で最強のオスとだけ交尾をするようにプログラムされているのかな? とも思いました。

人間の脳は四分の一で生まれてきて、以後四分の三を生後の環境で生育させて行くことになる訳ですから、身体能力などは両親の遺伝子の影響は有るでしょうが、その能力を伸ばす環境作りの方が大切で大きな影響力を持っていますし、増してや白紙の状態で生まれてくるとすれば文化的な側面の礼儀・知性・人格・人間性・倫理観なども四分の三の環境次第が一番大きな影響力を持つ事になるのは否めないと思い到ります。

今出版をめぐり話題になっている酒鬼薔薇聖斗を始め、様々な子供達の事件においても生後の幼児期(三つ子の魂百まで)の環境が脳的には大きく影響していて、ほぼ九割の脳が出来上がる思春期の時期は肉体的に大人に近づいてもホルモンバランスは不安定な時期なので、生後自分が生き残るために抑圧して来た第二胎内環境への不満が噴出する一番危険な時期になります。

それは動物と同じ本能による性の目覚めのためで、精神的に不健全に育つことによって起こる病理が遠因となり、弱い者いじめによるエロティシズムの反復強迫が起こってしまうからで、これは本能的で極めて原始的で幼稚な欲動から起こってしまうと思います。

その原始的で幼稚な欲動を抑制できる人間に育てるために家庭や地域社会での慈愛体験や学校での教育と集団生活があるのですが、それが何らかの形で欠落した状況で育ってしまうと、脳科学的にはその欠落した部分の脳が八百五十グラムの七割を占めてしまうことになってしまうことになります。

この本を読んで思う事は、ミクロの科学的研究や学問を総合的にプロデュースする学問も必要な時期にきているように思いますが、現代は子供が問題を引き起こすような商品でも金儲けの道具にし、そして人間は便利さの持つ悪魔的好奇心の前では無力で、家庭環境は各家庭の自主性に委ねられ、社会という川は制御できないほどにグローバル化が進んで激流化し、強者に都合の良い自己責任という言葉とエゴだけは拡大し続けています。

個人の肉体はその個人の脳に支配されて行動しているとすれば、どんな凶暴・凶悪な人間も狡猾な人間もその人達が育てられた家庭・その周囲の共同体・学校・社会という大人達による第二の胎内で形成されたものですので、本当は大人達の責任だと思います。

人間の叡智を何処に向けるのか? 過度な資本主義化の果てに訪れる恐怖を脳の形成過程と共に考えさせられています。