文明(腹の足し)と文化(心の足し)。

誰もが人生において様々な人達と出会っていますが、善人・悪人を問わずそこから学びを増やすことが人間としての成長と人生を豊かにすることに繋っています

その学びの姿勢がその人の人格という幅を広げることに繋がりますが、その為に必須なものが『受け入れてみる』という素直さです。

この要素が根本にないと物の見方や考え方の枠の拡大には繋がらず、いつも自分の尺度で人を捉える小さな殻から抜け出せない悪循環で、そのような人ほど結果が悪いことを人や社会のせいにしている傾向があります。

何事においても幅の広がりは深まりや高まりへも繋がっておりますので、仕事や人生においても深まったり高まったりして行かないのでは? と思います。

昔から学びの姿勢という素直さを身に付けている人は少数ですが、最近は特にこのような人達が増殖しているように感じるのは、インターネットやスマホの普及も関係しているような気がしています。

知らない事を人に聞くという謙虚な気持ちや恥をかく覚悟もいらず、手間をかけて調べるなどの勉強を積み重ねる必要もなくなり、取り敢えず知りたい事だけ知るという手軽で短絡的な情報収集には、歴史的・論理的な思考能力欠落に繋がりがちで、絆創膏による継ぎ接ぎだらけの知識になりがちです。

それでも本人は他者に『あたかも全部知っている』ようなそぶりで過ごしていますが、これでは人間としての幅は生まれません。

『愚か者が自分の愚かさを認めると愚かでなくなる』という趣旨の言葉がありますが、同じように『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』の諺もあり、聞くとか知らないことを認める行為の中に謙虚な心の芽生えが隠れて存在しています。

この謙虚な心の芽生えが幅・奥行・深さの広がりに繋がり、人間としての人格の広がり・深まりに繋がって行きます。

つまり他人の考えを聞き受け入れてみてから、もう一度自分の考えと照らし合わせてみる咀嚼の繰り返しが、自分自身の人間性の血肉となって身に付いて行き、それが人生の結果に繋がります。

沢山の方達とお会いしていて、良くも悪くもその人の人間性は『咄嗟の時』の言葉や仕草や表情に一瞬ですが現れます。

先日いつ来店しても何故か?私の心が和むお客様とお話していて気付いたことが有りました。

その方の言葉の中に『そうなんだ・そうだね』と同意を表わす言葉が多いことと、自分自身の意見は『・・・じゃない?』と疑問形で投げかけ、その余韻に強い押し付けの自我が入っていない穏やかさがいつも有ります。

人間としての成熟にも様々なパターンがありますが、私などは怪我や挫折をしないと学習できず、常に向こう傷を負う失敗からしか学べなかったように思いますが、この方と話していて感じた事は何事においても硬軟があって、辿り着く山頂は同じでも登山口は色々あるものと思います。

インターネットもそうですが、文明の進歩が全ての物事を簡便化し安価にして便利になる状況を飛びつくように受け入れていますが、果たしてこれが人間の幸せに繋がっているのか? とつい考えてしまいます。

安価で便利な生活を疑問も持たず受け入れているうちに、肝心の思考が停止した状況で生活する人が増加することが格差の拡大になっていたり、過剰な文明の発達に対して文化の発達が追い付かない歪(ギャップ)が人類に何を及ぼすのか? も考えさせられます。

文化人類学者の梅棹忠雄氏は、文明と文化の違いについて『文明は腹の足し、文化は心の足しになるもの』と述べておりましたが、現代を生きる私達は文明と文化のどちらを今はより必要としているのか? を問われているのだと思います。

全てはバランスの問題で、格差と貧困の問題も含めて文明の発達に現代人の文化(心)の発達が追い付いていない状況が地域紛争やテロなど多くの問題を引き起こしているような気がします。

より多くの人の腹を満たす為に文明が発達したはずなのに、資本主義台頭につれて個人の私利私欲という欲望だけが文明のエネルギーになって来ているような気がします。

文化は限りない人間の欲望というエゴの緩衝材としてあり、人間社会の崩壊を防ぐ役目として欠かせないものと思います。

文化の発達にはその時代の人達の遊び心という幅や深さが伴っていないと文化の深まりに繋がって行きません。

人間は文明と文化のバランスの取れた発達なしに健全な社会を維持できないほどに知的な動物で、このバランスの微妙な狂いが戦争や格差を引き起こす歴史のように思います。

心の幅の狭さはエゴに繋がり、心の広さは他者への思いやりとして広がり、高さや深さは判断力の確かさに繋がっているのでは? とも思っています。

個人も企業も国も自分だけが大切で、自分だけが良ければ良いという世界は『力が正義』になりがちで、そこから搾取がはびこり格差が広がって潜在的な憎悪が蔓延し、無差別殺人やテロから地域紛争に発展して規模拡大が戦争ですが、戦争も国家間で追いつめられた国が起こすので個人と同様です。

勿論誰もが自分を一番大切にするべきですが、何事もほどほどで済ますのが自制心というもので、最近は際限のない欲望が目に入り過ぎで、そんな人達を羨みこそすれ蔑む人が稀な事も異常事態です。

人間としての幅と深さを持っている人は搾取とは反対の贈与という愛に幅(多くの人への)と深さ(思いやり)があります。