官能とは? 生きる意味。

当店にお茶の説明として『お茶は不確定要素の高い官能商品であり、品質の優劣がわかりにくい,飲んでみなければわからない商品です。これがお茶の特品的特性です』の表示があります。

これを読んだお客様のほとんどの人が笑いますが、官能小説だけを思い浮かべて意味を捉えているのが判ります。

人間には五感(視覚・聴覚・触覚・味覚・臭覚)が備わっていますが、人はこの五感で感じたものに官能し判断して生きていて、その感知能力は人それぞれです。

好きな人とは肌が触れ合ったり(触覚)、その人の匂い(臭覚)だけでも官能し幸せな気持ちになるように、幻想的な景色や夕日などを見て(視覚)心が震えるような感動も実は官能です

官能している時は他に何もいらないと思えるほどに、その人の心は満たされているのも大きな特徴です。

先日、私共のお客様で音楽(聴覚)好きな一人暮らしの方が『新しく入力してもらったジャズを正月に聴いていて、自然に涙が出て止まらなかった』とお礼と共に言われ、『どうしてだろう』と聞くので次のように説明しました。

新しくUSBに入れたジャズのアルバム八枚は、その方が子育て真っ最中の頃のものがほとんどでしたので、その頃の事が走馬灯のように蘇ってきてそれに心が官能してしまったのです。

それは例えると、普段の人間の意識の世界は映画館で映画を見ている劇場の中の世界みたいなもので、劇場のドアーを開けた広大な外の世界はその人の人生の過去全ての出来事が散乱している無意識の世界で、日常における意識の世界では過去をその外の無意識の世界へ押し出して生活しているのです。

しかしその頃好きで聴いていた音楽を予期せずに再び聴いているうちに、そのドアーが開きその無意識領域から蘇った過去が侵入して来て、団欒や忙しく過ごしていても振り返ると自分が一番輝き充実していた時代が鮮明に蘇り、気が付くと心が官能して涙が出てきたのです。

その説明に『音楽って本当にいいものね、高野さんいつもありがとう』と喜んでくれました。

コーヒーやウイスキーでも味を決める資格を持ったテイスターがおりますが、その人達の部屋の入口には『官能検査室』と書いてありますので機会が有ったら確認してみて下さい。

絵でも音楽でも食べ物でも、官能(五感)するものは全て良い物に触れて悪い物が判るようになりますが、嗜好は全て理屈ではなく感覚の方が正しいのです。

つまり良い物にドップリ浸かり意識領域に記憶されると、悪い物に触れた時に不快を感じるようになります。

高級な贅沢な料理のことではなく素材の味を理解できるようになる事ですが、絵でも書道でも同じですが官能に理由はなく読んで字の如く感じることですので、理解には自然に沁み込むような時間がかかるものです。

味覚は特に母親による家庭料理を通じて味蕾が育つのですが、一般に優秀な料理人は自然素材の多い環境で育っていて、薄味で素材の甘味や滋味を生かした手料理で育つ中で、味を感知をする為の味蕾というセンサーが発達し敏感になり理解できるようになります。

予期しない綺麗な自然現象に触れて、思わず手を合わせたり・涙が出て感動したりする事なども人間固有の官能です。

そして人間が本当に官能している時は、それだけで心が満たされているのですが、そこに理屈が入っていたら洗脳されていることなので(例えば高級車だからと満足している)全然違います。

人間は何事にも物語を求めますが、そこにつけ込み物語で洗脳し商品を売ることが情報洪水社会になり増加していますが、自分自身の感覚に自信のない洗脳され易い人の増加も一因です。

そして理由もなく感じるもう一つのセンサーが第六感ですが、これは五感を研ぎ澄まし過去の無意識の領域の経験なども総合して『何か変だな』と胸騒ぎを覚える人間が生き抜く為の重要な役目を果たしています。

松下幸之助が『勘ほど確かなものはない』と言っていましたが、この勘は過去の経験という無意識領域も総動員して判断をしているからで、沢山の良し悪しの経験を積み重ねた過去と現在の状況を基に未来を理屈ではなく官能し判断しているからです。

つまり勘だけは教育できるものではなく、五感と経験による学習を総合した知恵として蓄積されて行きますので、高齢化による体力の低下を補う重要な役目も果たしています。

昔の理科の教科書で習ったように、苦みや痛んだ食べ物の酸味などは舌の前の方で感じるように出来ていますが、それは体の害になる物を吐き出し守る為のもので、甘味は舌の真ん中で感じ・物の味である滋味は喉元(ビールやお茶)近くで感じて、飲み込んだ後は嫌な感じが残らず口の中には爽快感が残ります。

だから苦い薬は喉の奥に入れて飲み込むような習慣になっていますが、それでも口の中に嫌な苦みが残ります。

たかが官能ですがされど官能で、五感で感じる良い物に触れる機会を多くして官能する機会を増やすことが、無意識領域の良い経験や苦い経験のドアーを解放し取り込むことに繋がり、第六感も働くようになり実はその人の人生を様々な面を通じて豊かにすることに繋がって行っているのでは? と思います。

お金や物には大きな意味がありますが、その道具を上手に使って意味のない官能(感動)を増やすことの方が人間が本当に生きている目的と意味ではないか? と私は思っています。

それは誰でも心から『生きていて良かった』と思える時は、自分自身の成長確認や愛する人の良い出来事などで無上の喜びに満ちている時で、お金や物や地位を手に入れた時のような人の優位に立っている喜びではなく、その喜びに心が官能して心の底から満たされているからです。

三十八年間店内では、最初は軽音楽から始まりクラッシックから歌謡曲まで楽しんでおりましたが、昨年アンプを代えてからはジャズに嵌ってしまい情報図書館のCD在庫を検索しジャズ・バンドを調べ勉強することも楽しく、借りて来てパソコンからUSBに取り込んで聴きながら自分自身の嗜好の新発見に繋がっておりますのでしばらくはジャズ漬けになりそうですが、五感が満たされた時の喜びと感謝を大切に生きて行きたいと願っております。