新年を迎えて。

新年明けましておめでとうございます。

昨年は怒涛の如く過ぎ去った忙しい一年でしたが、正月休みの四日間は妻と外出続きで遊び呆けました。

こんな正月を過ごしたのは初めてでしたが、その間の三日に初孫の百日の祝いに招待され、孫の将来を考えて色々な意味でしなやかな強さを身に付けて育って欲しいと願いました。

それはこれからの日本の未来は様々な意味で厳しい時代になる事が予感され、それに耐え得るにはしなやかさと共に強靭な精神と体を身に付けないといけないカオスの社会になるよう思うからです。

栄枯盛衰という言葉が有りますが、間違いなく衰退の方向に向かう局面に入って行くと思うからです。

人口減少に高齢化社会という難問から新しい社会の在り方を模索して行く中で、どういう社会に着地するのか? その時までの波乱を生き抜く知恵と体力を身に付けなければならないからですが、実歴史とはその繰り返しです。

孫が百日の祝い二~三日前に初めての寝返りをしましたが、その祝いの日も六人が見守っている時は成功しませんでしたが、談笑して誰も見ていない時に寝返りをしていて、全員で驚かされました。

誰に教えられたわけでもなく、胎内のエラ呼吸から生まれてすぐに肺呼吸になり、生き抜く為に力強く乳を吸いやがて寝返りを打ち、やがて立ち上がり歩き始めますが果敢に生き抜く力をごく自然に発揮しながら育って行きます。

子供(人間)が本来持つ生きる力は、実は誰も見ていない所で発揮していて、それを真っ直ぐに育てるには干渉せずにただ愛し見守っているだけが一番良い方法なのでは? と確信させられました。

ほとんどの人は他人と比較して判断しがちですが、それは間違いでそんな孫の様子を見ていて趣味の俳句を一句作りました。

『育つ子の遅速を愛せ冬の空』・・・これは他の子供と比較せずに

その子の生き育つ力を信じて待ち、ただ見守ることに徹して愛情という滋養を与え続けることが厳しい冬の空の下でも生き抜く力を身に付けることに繋がると思ったからです。

急がないで待ち育てることが親としての成長とその子らしく育つことに繋がり、一見すると遠道がその子にとっては近道に繋がっていると思います。

引き籠りや社会との適応障害は大人の過去の常識で子供の為と強制する事が、実は子供の時代にそぐわない事に繋がっていたり、その子供の育つ方向と反対だったりして、その子供の育とうとする力を奪い実は迷路に追い込むことに繋がってしまった結果ではないか? と思うことが有ります。

親と言う字が立木の横でると書くように、手も口も出さずに見守ることに徹し、子供が振り向き助言や助けを求めた時に、本当に見守っていた親は適切な助言が出来ると思います。

しかし決断は子供に委ねるのが子供の生きる力を倍加する為に重要ですのでここが一番大切です。

いつも孫を見ていて井上陽水の歌を想い出すのですが、この子はいつ何処で誰と幸せになるのだろう、そして誰を幸せにするのだろうの言葉です。

最近の風潮はお金も地位も物も手に入れることのみ考えていますが、人間はあげた分しか貰えないと思いますので、貰う事よりあげる事に喜びを感じ優先できる人間に成長して欲しいと願ってます。

例え少子化でも子供自身が育つ中に持っている生きる力を親が信じて、その求める方向に伸びることを見守って行くことが出来る親が増加すれば子供の幸せに繋がり、少数精鋭でも日本の将来は明るくなって行きます。

そして子供は助言を受けても本人が決断をすれば、例え自分の決断の結果が悪くても背負って行く覚悟に繋がり、不運も乗り越えて幸運に繋げる力になりますので、やがて大人になるに連れて分自身をじられる自信になって行きます。

どの時代の・どの親に・男か女かも選ぶ事が出来ない状況で生まれて来るのは生物の宿命ですが、今の人間はどう生きるか? は自分で決められる時代なっただけ幸せな有難い時代です。

どう生きるか? を哲学し、何を学ぶべきか? に結びつけないと

どんなに贅沢な生活をしても虚しい人生になると思います。

新年に新しい命と向き合った今年の正月は、こんな事を感じながらも残り少ない妻との時間も実感して二人で遊び呆けた次第です。