若者が生きていて楽しい社会へ。

人には誰かに何かをしてもらった事(贈与された事)を大きく恩義に感じる人と、何かをしてあげた事(贈与した事)の恩を売り続ける人の二種類に分かれるように思います。

一般に人格者と言われる人達は前者の人が多く、自分の成功した結果において些細なことでも恩義を感じて『あの時あの人がこうアドバイスしてくれた』等のように、自分の身の周りの様々な人達のお蔭で今の自分があると自覚・感謝する心を持っています。

逆に後者の贈与したことを言い続ける恩着せがましい人は、良いことは全て自分の力で成し遂げた事で感謝より自慢が多く慢心していて、誰かの成功も私が何かをしてあげたからと常に自分の贈与への返礼を相手に声高に言い続けます

これは人間性や人格みたいなものを山の高さに例えると判りやすいと思うのですが、富士山の高さの人は裾野から頂上まで登って来て今の場所にいますので、裾野の人も中腹の高さの人の状況(どこの地点の風の冷たさも暖かさも把握している)も理解していますが、裾野の人は頂上の人の気持ちは(風の冷たさも)理解できません。

新渡戸稲造さんが本に書いていましたが、東京在住時に北海道から訪ねて来た人達の中で自分勝手な人は身を犠牲にして尽くしても陰で不満を言っていて、逆に謙虚な人は時間が取れず十分な事が出来なかったのに終生感謝してくれたと述べていました。

昔の新聞記事に不幸な境遇の人の面倒を見ていた人が、その面倒を見ていた相手に殺された事件があり、その犯人が『俺はずーっと酷い目に遭ってきた、あんなに恵まれた人を殺して金を取って何が悪い』と供述していた記事に愕然としましたが、その相手の立場になりきって考えると境遇が人を創る要素もあると思います。

特に高い倫理観から薄情の情けであえて厳しいことを言った時、低い倫理観の人がその深い愛を逆恨みすることは日常にもあるような気がします。

人は誰でも自分の尺度で人を推し測っている所があり、不憫に思って好意で援助をしたら、あいつは何の魂胆があってこんな事をするのか? と邪推する可哀想な人も沢山おります。

相手の立場を理解できない人に共通しているのが僻み妬みが強く、逆に相手の立場になり考える習慣のある人は謙虚で素直な人が多いので、自然と多くの協力者が得られて何事も達成できる幸運に繋がっております。

一般的には身近な人の良い出来事を心から喜べる人が謙虚で素直な人で、その素直さは『自分もそうなるにはどうしたら良いか?』という学びの姿勢にも繋がっており、逆に自分で努力しない人ほど学びの姿勢も無く、成功者を妬み僻む所に真っ直ぐ行ってしまうので悲運に繋がってしまいます。

誰もが際限なく欲望を肥大させる傾向の昨今ですが、『分をわきまえる』と言う言葉があるように、人と同じものを際限なく望む前に自分にその資格があるか? その努力をしたか? の内省が肝心で、その資格と努力に心当たりがなかったら不遇を受け入れる方が実は未来の幸せに繋がっています。

格差の進行は自由と権利を持たしてはいけない人間性の人達が社会の中で力を持ち過ぎたことが主因で、弱者への労りより弱者を自分がより強者になる手段として使っています。

資本主義が行き過ぎた今の社会では、正義に力はなく・力が正義になってしまったようです。

政治家のレベルが落ちたのは選ぶ国民のレベルが落ちたからで、商人のレベルも消費者のレベルと相関関係にあることを実感させられることが増え、中小で立派な製造業や商人の方達が嫌気を差して廃業すると連絡がくることが最近は特に増えております。

人にしてあげたことより、人からしてもらったことを大きく感じる人間の増加が社会を暖かく豊かにして行くのですが、まるで合法的な搾取構造の今の社会では冷たい利己主義の人達や病んだ人達を増やすだけです。

児童虐待死で一番増加(四割増加)しているのが乳幼児で、産後鬱の情緒不安定に重なった母親の孤立が引き金ですが、根底にある問題は愛されて育っていない母親は子供の愛し方が判らない事も根本にあり、全ての社会的問題は家庭事情から発生して個人へと押し寄せ社会へ帰って来ます。

若い人達が生きていて楽しいと感じる社会が住み良い社会ですので、搾取より贈与の多い社会が理想です。

その為には『自分に厳しく人に優しい』大人の増加が必須ですのでそんな大人の増加をひたすら望んでおります。

そして若者に一番大切なことは若者が投票行動を通じて政治にコミットすることです。

社会を良くも悪くも劇的に変える力を一番持っているのが政治なのに『変わらないから』と他人事のように済ませ投票率が落ちるから、利害で結びついた組織票がものを言ってしまうのです

今回の衆議院選挙の出口調査で若者の投票率が二倍になれば、子育て支援や現役世代の租税負担率の修正や将来世代の受給年金を考慮に入れなければ政治家は将来の当選が難しいと考えます。

つまり権力者を不安定な状況に追い込む投票行動をするまでに国民が成熟していないから民意には耳を貸さず国民を騙し続け財界や官僚の癒着が進み(派遣法・法人税減税・最高税率の引き下げ・消費税率の引き上げ)豊かの者はより豊かに、一億総中流を謳歌していた人達が下流に落とされ喘いでいるのも実は政治が決めているので、騙された方にも半分責任があるのです。

若者が生きていて楽しい社会は、若者が将来に希望が持てる社会ですが、大人の責任もありますが若者にも同じだけ責任があることを認識することが肝要です。