集団的自衛権より育児権を!

民主的プロセスを経ずに憲法九条の解釈変更で軍事力行使を解除し集団的自衛権を容認する事は、日本の民主主義が壊れることに繋がりますが、別な視点から考えるとその前に少子化という大きな問題があり、自衛隊の隊員不足が起こってくると思います。 世界で警察官の役割をして来た米国の最前線に派遣されている海兵隊の人達は家族の生活維持が格差の為にままならず、国の為ではなく生活の為にやむなく入隊しているのが実情です。 日本の自衛隊も似たような面がありますので、日本が戦争に係わるようになったら除隊する人達が増加するのは必至ですので、次には徴兵制が待っている危険もあります。 日本のここ十五年間で進んだ格差拡大は、政治家(主に自民党)が財界(資本家)の要請に答え(談合)て企業に都合の良い雇用形態を法制化して来たことが根本原因です。 そして格差で底辺の人達を追いつめておいて、戦争の最前線を担う一番危険な所へは米国海兵隊のように、格差の底辺の人達が選択せざる負えない状況に追い込むことを考えています。 現代の企業でも底辺の人達は低賃金で過剰な労働を強いられているに似ていますが、戦争は命に係わる上に、無事帰還した人達でも恐怖体験のトラウマから一生逃れられない人達や働けない身体になった人達もおります。 どこの国の指導者も自分が最前線に行かないから戦争への準備行動をできるのでしょうが、昔から人間の歴史は差別の歴史のうえに戦争の歴史が有るように思います。 太平洋戦争で日本は徴兵制でしたが、子供が多かったあの時代でも兵隊不足に陥りました。 先進国は何処も少子化で、徴兵制の国以外はお金という飴で兵隊を確保しているのが実情で、格差が徴兵制の代替で兵隊を集める役目をしている見えない作為が現代の状況です。 日本と中国の有事を想定しても、少子高齢化は共通の深刻な問題で、老人の方が多い国同士が戦争しても犠牲になるのは多くの若者達です。 そういう実情を考えると、どちらの国も集団的自衛権より子供を持つ人達を支援する集団的育児権の成立を目指すことの方が優先課題ではないか? と私は思います。 国の繁栄も企業の繁栄も未来を背負う人材が優先で、人材なくして国も企業も豊かにはならない事を政治家も企業経営者も忘れて搾取に励んでいるのが実情です。 戦争不安は少子化に拍車をかけるだけで、今の若者が子供を持ち育てることに喜びや夢を持てるような支援体制を国民全員で考えることが先決で、次に現代のような親から子供への格差連鎖を防ぐ為に、貧しい家庭の子供達にも教育機会の平等を保障する事が出生率増加と国と社会の活力に繋がると思います。 貧困家庭で育った人達は勉強しても大学に行けない事を肌で感じ取って、学習することは無意味と子供時代から投げ出しているのが現在の状況です。 社会に出る頃にはコネや癒着社会で、昔の私達の時代のように努力すれば成り上がれると思えるような錯覚すら出来ない程に負の情報量だけは豊富ですので、追いつめられた人達は無差別殺人か? 引き籠りか? 鬱病か? オレオレ詐欺か? 違法に近い合法的犯罪か(脱法ハーブ)か? コンビニ強盗か? など、社会的知識とスキルが未熟な状態でお金がないと生きられない社会に放り出された人達の選択は短絡的行動になります。 格差の放置は国や社会の財産である未来を担う子供達を、逆に治安などの社会的コストを増やす状況に追い込んでいることになっていると思います。 少子化ならその貴重な子供達を社会や国の為に生産的に生きられるように導くことが大人達の役割で、成長した子供達も使命感に支えられプライドを持って生きることに生まれて来た意味を感じて生きる、それが国富に繋がって行くと思います。 少子化と騒ぎ立てはしても子供を育てるコストと結果は各家庭の自己責任にしておいて、その子供達が成長したら国や企業が都合のいいように扱い利用するのではなく、国と社会で未来へ繋ぐ子供達を大切に育てて行く育児権を育児している各家庭が行使できるように工夫する事の方が日本の将来にとっての先決問題では? と私は思います。