無駄とゆとりは紙一重。

毎日の仕事を通じて社会と向き合って来て、今は資本主義と民主主義の行きづまりを迎えていて、新しい生き方への転換点では? と感じることです。 

私が子供時代からの習慣として続けられて来た事が、様々な分野で終りを迎え合理的な生活が進み、あらゆる分野で無駄を排除して行く事が進みましたが、合理的にすべき事と、してはいけない事の区別もなしに進んでしまった結果の格差進行の今の状況には肥大するエゴへの恐怖を覚えます。 

無駄とゆとりは紙一重ですが経済合理性のために派遣を増やし、果ては人間関係まで合理的にしている二重苦が犯罪や自殺や鬱病の増加に繋がっている様に思います。 

贈り物も年賀状も無駄だから止めようとか、通販は勿論スーパーでも機械的な人間を相手にして買物をするうちに、動物としての人間の心の栄養不足に気が付いていないようで、人の表情から読み取れる喜怒哀楽の感情こそが生きている証を忘れ、仮面のように本音を隠し建前でやり過ごすことが今は常識です。 

様々な人間が存在する社会の中で、違う考えの人を説得する為に有る言葉の技術と努力が失われて行ったことも、波風を避けるためにマニュアルの言葉が蔓延した結果で、子供の世界も大人社会を真似ているうちに人が人と解り合う心からの生きる喜びをも失う事に繋がっています。 

人間関係においてもF1レーサーの車のハンドルのように遊びがないものになってしまい、微妙なハンドル操作ミスで事故に繋がる危険性を誰もが抱えているような社会になってしまいました。

無駄な行為や言葉のような見えるものの中に『ゆとり』という潤滑油が含まれているもので、度が過ぎた大人の期待に息切れしている子供達も、親や大人にほんの少しでも無駄に見えるようなゆとりが有れば救われています。 

こんなブログも無駄な事ですが、こんな無駄な作業から得たものが内省を含めて私には沢山有ります。 

これからの社会に一番必要なものは、人間関係のゆとりに繋がる無駄と言う心の潤滑油の様なもので、その心のゆとりなしに相手の立場を思いやることに繋がっていかないような気がします。

社会保障費の負担が増え可処分所得の減少による個人消費の落ち込みは商売をしていて肌で感じますが、最近は家庭生活の危機に繋がって相談される機会も多くなりました。 

お金が無い時ほど家族の結束が試されていて、如何に生きて危機を乗り切るか? の助言は、金欠病の経験が豊富な私ので得意分野ですので相談に乗っています。 

しかし家族形態の多様化が進んでいる事と世代間の相互理解の希薄さも想像を越えていますので、絡んだ糸をほぐすように手間と時間を要して話しても、最後にほとんどの人は状況を変える行動を相手に求めます。 

相手を変える為には、まず自分がどう変わるべきか? 状況を悪化させた要因が自分にないのか? その内省から出発しないと、お互いに傷つけ合う堂々巡りに終止符を打てない事を自覚してもらうことが一番大変です。 

相手の変化を望み待つより、問題点を自覚出来た者が受け入れ哲学しないと前に進まないので、相手を変える為の自分の言葉と行動の変化をお願いします。 

お金は『衣食足りて礼節を知る』言葉のように、家族全員が心を豊かに出来る事に優先順位を置き、ささやかでも美味しい物で幸福感を共有できる食生活が一番大切で、季節の果物や嗜好品も心の潤滑油です。 

物欲で満たされない心を埋めて誤魔化しても、実は『蟻地獄』のように際限がなく、人は共感なしに心から満たされないようにできていることを忘れています。 

欲望は肥大しますが、美味しい・楽しい・嬉しいは・それだけで幸せな気持ちで心を満たしてくれる脳への特効薬です。

人に愛されたいけれど、心から人を愛せない人の増加は、物欲と同じ一方通行で共感・共有を果たせない悲哀に繋がっています。

愛されたい(傲慢)より愛する(謙譲)ことから始め、愛する方が快感であることを知る心のゆとりを持てる人達の増加を願っています。