自分を肯定できる大人になってもらう為に。

傷のない家庭はないのですが、現代日本の家庭で一番多く抱えているのが自立できない子供の増加です。

不況や格差進行から共働き家庭の増加や単身赴任やストレス増加の犠牲者は大人から、時間差を経て子供の思春期以後に自立できない子供として発症し、その子供達の多くは自分自身を肯定できず苦しんでいることが遠因です。

この自分を肯定できるように育てて社会に送り出すことは本人にとっては勿論、家族や社会の幸福にとっても非常に重要なことで、成長過程やその後の人生において困難に遭遇した時に立ち向かって打ち破れるのでは? という自信(分をじる)みたいなものや友人関係などの社会性とも密接に繋がっています。

しかしこの能力は幼少期からの子供と父母の関係性の中で身に付けている要素が非常に高いのが厄介な所です。

誰でも子供時代を振り返れば判ることですが、両親が仲良くない状況の時に何故か? 悲しい思いや怒りを覚えた事を記憶していると思います。

子供は母も父も多少の問題があっても愛すべき存在であって欲しいと願っていて、愛する価値があると確認して育つことが実は他者(友人・大人)を信じる事と自分自身を信じる心を育むことに繋がっています。

父親が母親を悪く言うことや母親が父親を無能呼ばわりの悪口を子供に言うことは、子供の健全な成長と成熟への障害として精神的副作用をもたらします。

母親には愛して見守って欲しい、父親には力と知恵を持って家族を守っている尊敬すべき存在であって欲しいというイメージを持っているのが子供のわがままな理想です。

そして子供は父親という力と、母親という母性の愛の両方に共有されて育つことがバランス良く健全に成長を遂げることに繋がっていますが、大切なことはどちらからも自由であることが子供の主体性(個性)を身に付けることに繋がっている矛盾も含んでいます。

特に思春期の多感な時期には、父親の力で子供の壁になることが社会へ出る前に自己抑制能力を身に付けために大切な役割を果たしていると思いますが、現代はこの時期に単身赴任や忙しさでいないことも問題を生んでいます。

良き父親や母親になるには自己抑制と自己犠牲が必要な場面がありますが、一般的には逆に親の自己満足の欲望を押し付けて子供の主体性を潰している人達が多く、子供も幼少期は親に好かれたいのでその親の欲望を無意識に取り込んでいます

子供時代に無意識に取り込んだ親の押し付けが、実は親の自己愛の犠牲であったことを思春期の子供の自我が論理ではなく肌で感じた時の逆襲が不登校・非行・自傷行為・摂食障害・鬱・無気力・引きこもり等の様々な抵抗として思春期以後に現れている場合が多々あります。

男女共に自己愛が異常に強い未熟な人ほど他者を悪く言う傾向がありますが、幼少期の子供は全て鵜呑みにしているので、その子の無意識領域に沁み込んで行って沁み付きます

例えば母親に刷り込まれた父親への嫌悪の先入観は、大人になって誤解だったと理解しても父親への愛情までには至らない悲哀にまで繋がっている事実もあります。

巷で起こっている事件を起こす人達は、父母両方への信頼感を失っている人達で、このように育つと誰に対しても安心した関係を持てない人間を生み社会性を失い、自己愛と欲望だけしか信じなくなり自己愛と欲望だけが肥大化したモンスターになって事件に繋がっていると思います。

その治療には親の自己犠牲による愛を確認する作業が一番の近道ですが、それには子供が両親を愛するに値する人間と思いたい気持ちを親が理解し示す努力をすることで、子供は初めて自分の幸せを考えるようになることを知ることです。

夫婦の原点で考えれば完全無欠な男も女もなく、お互いが相手を選んだ責任が自分にも半分あることを自覚をして、自分が相手に望むことがあるように相手も自分と同じような希望を持って生きていることを理解し、相手への贈与から始め半分返してくれたら感謝してお互いを育て合う関係、つまり子供のような貰う愛ではなく大人としてのあげる愛に希望を見出すことが大切と思います。

子供達に対しては母親の価値を父親が上げて、父親の価値を母親が上げて行くような会話と接し方を子供達に心がけることが、実は子供達が逆境においても挫けず、豊かな価値や大きな愛を手に入れる心を育てていることに繋がっています。

親としての最後の喜びは、そんな自立した子供達の姿を見ながら老いて行くことが本当の幸せではないか? と私は思っています。

私もそうでしたが不幸にして恵まれずに育った人達も、自分の人生を俯瞰して眺めて修正していく参考になればと願っています。