力が正義の危機。

韓国のフェリー沈没事故原因は、日本も含めた資本主義の大企業にも共通した利益だけが目的化した体質にあり、労働者はその手段として下僕化され『力が正義で、正義に力が失われた』ことが原因の帰結です。

これは韓国だけでなく日本でも多くの犠牲者を生んだ原発事故や北海道JRの安全軽視など至る所に蔓延している問題です。 

軍国主義の時代に似た雰囲気の最近は、感情的で官僚的な人達が権力を掌握したり幅を利かしていたりしていますが、そんな人間を神輿に担いでいる人間にも半分責任があります。

仕事で様々な組織の人達と会って感じる矛盾は、人格者の上司に問題のある人間が存在している状況が増えていて、力に迎合する人間が重宝されている企業が増えていることを象徴しています。 

力を背景に義務と責任は弱者に押し付け、自由と権利を振りまわす不届き者が社会で力を持ち増殖し始め、弱者は最悪の事態が起こるまで口を閉じている現状が貧困と格差の広がりになっています。 

その種の人間は家庭でも力を振り回しますので、世代間連鎖が社会の活力を奪って行く果てに、人間の根源的生きる喜びを奪い、ただ生きる為に働く悲しい人間を増殖させ、治安を悪化させてお金という力か? 暴力という力か? どちらも選択できない人達は心か体の病に倒れている人が多くいます。

しかし最近は、頭の良い人達の中に学びの知識を変換した知恵と鋭い心の洞察力で企業や社会を見抜き、富や名誉ではない自分の人生を正しく選択している若者も現れ始めています。 

人間力などという言葉は死語に近いですが、自分に厳しく他者に優しい人格者の下で働く喜びを知った時、自分も他者であるお客様への安全・安心を贈与することや、部下や家族などの弱者の傘になって働く喜びを実感できる人間に近づき、その努力と贈与の結果が組織の利益として社会から受け取っていることを理解し自覚します。

つまり自分が社会や家族の役に立ち必要とされている喜びを知り、それが人間として生きている本当の喜びであることを知ります。 

愛を貰うものと思う人と、愛は与えるものと思う人では、その人の喜びは搾取と贈与の正反対になります。

娘が一番苦しんだであろう時期に『人間は白と黒半分づつの心を持って生まれてきて、親や社会の影響を受けて育つ中で白が増えたり黒が増えたりするが、白も黒も無くなっていない』という言葉に私は教えられましたが、搾取を続ける人達を見ていても私は白は残っていると信じています。

最近は魔女狩りのように一過性で騒ぎたてすぐ忘れていますが、果たして私はどうか? と内省する人が減っています。

そのうち自分に火の粉が降りかかると大騒ぎするのではなく、他山の石として日本企業も同じような問題点を早く修正して未来への備えをしないと、同じような火の粉はきっと広がって行きます。